性自認

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ここ数年で「性」に関するアレコレを目にする機会が増えた。「性」とは言っても「エロ」の話とは違う。とはいえ性とエロは切り離せないファクターかもしれないが今日は下ネタを話す気はない。

いつもこの辺の話になると極端な過激思想をべらべらくっちゃべって終わりにしたいとの衝動に駆られてしまう。今日はブレーキかけながら理知的なフリでもして色々思うことを書くようにしよう。

こういうのって、自分なりの経験とか周囲の状況を基にして考えてしまうタイプと、自分の周囲のことだけじゃわからないから、有識者の意見とか当事者の切実な想いなどを読んでそれにそのまま感化されちゃって、そのまんまを繰り返すだけの人とに分かれる。だいたいその2パターンで、他はなかなかいない。結局考えが浅い、意見が紋切型になってしまいがちだ。

ここで一つ思考実験を。

人間が無人島でたった一人であったならば、性自認の問題はあっという間に解決するんじゃないかと思われる。無人島でたった一人といっても、大人になってこれから無人島に行く場合ではない。生まれたときから一人だった場合の話だ。西ベンガル州の狼少女やジョージ秋山のアシュラみたいな状況。それが本当にあった場合の話。その人のことを仮にAと呼ぶ。Aは他に人は誰もいない島で自給自足の生活をしているのだ。

多分Aは自分の性別が何かなど考えることもないだろう。そもそも言葉を学習する機会もない。男とか女とか、そんな文字を目にしたとしても(???)となって理解できないだろう。

他に人もいないのだから差別をすることもされることもない。トイレの分類に思い悩む必要もない。性別は無人島で一人だった場合、意味のない記号となる。せいぜい体でブランブランして邪魔になる、怪我をしやすい部位を葉っぱなどで覆うかもしれない。せいぜいその程度だ。

でも、Aが思春期に差し掛かった場合、何かが変わる可能性はある。Aはひょっとしたら10~13歳ぐらいになったら何かに対して性的欲望(のようなもの)を抱く可能性があるからだ。それが何なのかは予想がつかない。島に住む山羊かもしれない。直径3センチぐらいの根菜かもしれない。何に対しても何も感じないかもしれないが、おそらく本能から何らかの命令が来て、何かに対して欲望を覚える筈だ。

Aがどんなものに対して性的欲望を抱くのかは予測がつかないが、どうであったとしても大した問題ではない。ここ(無人島)では人目を気にしたり、他者との違いに思い悩む必要はないからだ。そのような概念自体が無い。食べ物を確保し、寝る場所のメンテが終われば自由な時間で自慰をするようになるかもしれない。波打ち際でうつぶせになって恍惚の表情を浮かべるかもしれない。木の幹のわずかな突起に股間を擦り付けるかもしれない。誰も見ていない。好きなだけ快楽を貪ることができるのだ。

Aはそのようにして性欲を解消するだろう。では、誰かを愛したい、誰かと一緒になりたいなどと考えるだろうか?それは可能性は低い。生まれたときから他者と隔絶されているAは「他者」という概念がそもそも無いからである。存在しないものを空想し、恋焦がれることはなかなか難しい。Aはそもそも結婚とか同棲とか恋人がほしいだとか、そのような欲望は抱かないと推測される。

まとめると、原始の人間は性欲は抱くし物や動物や自分の指を使ってそれを解消するが、愛したい、誰かと一緒に暮らしたいとの欲望は感じない可能性が高い、ということである。そう仮定される。

ただし、ここで強調せねばならないのは、性欲の問題とは別に動物と一緒に暮らす可能性はある、ということだ。例えば島の山羊や猫を配偶者のように傍に侍らせ、夜には山羊や猫と性交(或いはそれに類似した行為を)するのかもしれない。これをどう考えるのかは難問だ。仮にAが生物学的にペニスを持つとしたら、パートナーに雌山羊を選ぶのか雄山羊を選ぶのか、ってのは無視できないところである。俺はそう思うけど「いや、そもそも動物だし、話になんない。そんなもんは考える必要ないよ」って意見もあるだろう。これはどう扱うかは露悪的で嫌う論客も多そうである。こんなん獣姦だし変態性欲だし、そんな議論はしたくもない、考えたくもない。そう考える人がどちらかといえば多数派になりそうである。(この手の人は俺が最初に性欲の問題とは別に、とチャプターの冒頭に書いていることを容易に忘れそうである)

そもそもAは性欲は木の幹や砂浜で解消して、一緒に暮らす山羊や猫とはモフモフしたりナデナデしたりする程度で幸福を感じるかもしれない。性行為はしないのかもしれない。原始の人間がどう行動するかはまだ謎である。仮にペニスを持つAが雌山羊をパートナーに選んで夜な夜な性交に及んだとしても、同じ状況に置かれるBが同じ行動をするとは限らない。

何が何だかわかんなくなってきたところでこの話は終わりにしたい。

1つ言えそうなのは、人間は原始のままのありのままの存在として生きることはできそうにないってことだ。上の思考実験のように無人島で一人で生まれて一人で育ち一人で生きていく人間がいるだろうか?或いは過去にそんな人がいただろうか。人間は、他の哺乳類とは異なりかなり未完成な状態で産まれてくる。それはよく知られている。きのままの人間は誰かに育ててもらう前提で産まれてくるのである。その時点で「原始の人間」などという概念は空想の産物だとわかる。人間はたとえどんな環境であろうと、自分以外の他者が最低一人はいる、社会的な存在だということが言えそうである。社会的な存在であるからこそ性自認の問題は重大事項であり、白黒はっきりさせねばならぬのである。そして、社会的な存在だからこそ社会の目を無視することは如何なる個体であれ許されず、個の意志とは別に社会がの望む行動をとらざるを得ないということだ。別にここは反対意見は出ないだろう。

最近目にしたことだが、50歳の「オッサン」が女子トイレを使って逮捕された事件があった。「オッサン」は性自認的には女なのだから、女子トイレを使った、と供述しているらしい。「オッサン」ではあるが性自認が「女」であれば女子トイレを使うことは一見問題なさそうである。オッサンは体は男だが心は女なのだから、女子トイレを使う他の女性に痴漢行為をはたらいたり覗きや盗撮をする可能性は低いからである。もしも、「オッサン」の行為がリーガルならば、社会は大きく変革するであろう。なぜなら「実はアタイもこんな身なりしてるけど心は女なのよ」と主張し、女子トイレを当然の権利として使う個体が日本中に現れると思われるからである。ただし、問題なのはそのほとんどは嘘つきで、女子トイレに堂々と入って覗きや痴漢や盗撮を行い、撮れた動画をポーンハブに投稿する者が無数に生まれるだろうということである。女子トイレを使う誰しもが、排尿時のシャーという音を録音されたり、化粧直しをしてるところを動画に撮られる可能性がある。また、強姦されるリスクもこれまでよりずっと高くなる。このような事態になったとしても、これを社会が容認できるならばそれでよいのだが。(もしもこれをどんなお題目にせよ容認するなら、女性の人権は著しく侵害されていると言える。深刻なパラドクスである)

ただこれも無視できないのだが、件の事件における「オッサン」はただの自称女の変態であると思われるのだが、実際本当に「オッサン」の心が女であった場合、問題は一気に複雑化する。「オッサン」の行為は犯罪的とは言えず、むしろそれを逮捕することによって著しく人権を侵害していると思われるからだ。これは難しいところである。ハードプロブレムだ。ただし、心が女であったとしても、それを目に見える形で証明できなければ言ったもん勝ちである。しかし、だとすれば住民票に《性自認》という項目を作って役所に医師の診断書付きで登録せよと要求するのも過酷である。なぜそんな恥ずべき真似を強要されるのか?それこそ行政が差別を行っているとの動かぬ証拠である、と反論されそうだ。そう思いませんか?そもそも「自認」を自分以外の誰が証明できるのだろうか?上で医師の診断付きで…と書いたものの、性自認を医師がどう解釈できるのだろうか?それともこれは医師ではなく弁護士の仕事だとでも?

医師や弁護士がお墨付きを与えれば権威に弱い百姓は平伏すであろうが、結局自認は自認で自称するしかないわけで、それを目に見える形で証明する手段がなければ他者(社会)がそれを証明(=理解し、受け入れる)するなどということはできない。嘘発見器にでもかけるのか?目の前でオナニーさせるか? あり得ない。性自認は性的嗜好と結局不可分で、密やかなものであり、個人の最も奥深くに隠されるべきものであり、他者が性的嗜好がどうであるとか証明するなんて不可能

俺は「心は男か女か自分でもわからないけど、女に性欲を感じるという生物学的な女(なおかつ2歳の子がいる人妻)」とセックスしたことがありますけれども、これをどう扱えば良いのか、結局自分でもよくわからん。よくわからんが、大した問題でも無さそうだから放っておいてるし、別にそれで何の問題も起きていない。

というわけで、性自認の問題はあくまで個の価値観から大きく外れない項目だと言えそうである。行政が個の性自認を証明することはできない(行政が絡んだ時点で公的な差別となり、アパルトヘイトやホロコーストに並ぶ野蛮行為として糾弾されるのは確実。だからダメ)。医師にもそれはできない(性自認をビョーキと考えられた時代ならば「診断」も可能であったが、いまや最もわかりやすい人権侵害となった。だからダメ)。弁護士にも当然できない(弁護士は金を払えば何でもやる連中なので、もしそのような強権を弁護士に与えれば、女子トイレに侵入する権利を金で買うことができるようになってしまう。だからダメ)。

つまり、今のところ性自認はハードプロブレムなのである。自分には赤く見えるリンゴが、他者も同じように赤く見えているのか、それを証明する手段は無いのだ。今後文明が如何に進み、科学がどれほど発展しようとも、これは解決できない問題なのである。

ただ、一つ確かなのは、産まれた時から他者によって性別が観測できる唯一のものは、生物学的な特徴である。オチンチンがありますね〜だ。それ以外に判別する手段はない。脳を取り出して「このニューロンとこのニューロンが関連しあってますね」或いは「血液検査の結果、この数値の値がコレコレなので」だからこの人の性自認は××です。←そんな技術がない以上、胎児のエコー検査でオチンチンらしき突起物が股間に生えていれば「あれ〜?男の子ちゃんかな〜?」と言わない臨床検査技師はいないのである。そこで性別を知りたいという親の意見を無視して、「性別は産まれてきて本人が何と言うかまでわかりましぇん」と強弁する臨床検査技師は倫理的に問題がある。自分の思想を患者に押し付け仕事をサボる技師がプロの専門職と言えるだろうか?答えはノーである。結局体の形で判別する以外になく、性的嗜好や自認の問題は個のプライベートな事象として、他者がよそからどうこう言うことは不可能である。不可能ではないが、口を出したら問題である。

一方で、どこからどう見ても女にしか見えない普通の女の子っぽい人が、性自認的には男なのだ、バイセクシャルなのだ、と公言すること自体は自由である。それによって差別や制限を受けてはならないと思う。一方で、社会のルールというのはある訳なので、生物学的には女なのならば、女トイレを使わねばならないことは理解してもらいたい(本来トイレは性的アイデンティティーを問う場所ではなく、排泄を行う場所だからである)。そして、性自認がなんであろうと、社会的になんらかの優遇を受けることも義務を免除されることもないと思わねばならない(今日の話の核心はココである)。↑では逆の例を挙げているが、性自認で何らかの特権を認めれば秩序が崩壊し、治安が悪化するからである。(日本社会はこの辺こそが怪しい。生物学的な男で自認が女の個体と、その逆では扱いが別になっている気がするからである。前者はファッションリーダーとなれるが(無論、中身とか無関係に見た目が美しくなければならない。欺瞞である)、後者はオネエ系のお笑い芸人扱いになりがちだからである(これも見た目が美しければ性解放運動のアイコンとなってフォロワーが勝手に増えて崇めてくれる。そして問題の本質からはどんどん遠のいてゆく)。

もちろん、犯罪率の問題があるため真の平等は難しいかもしれない。本当の性差別とは、男トイレを清掃するのが女清掃員しかいない、というような、そんなパターンであろう。俺は正直自分が用を足してるすぐ横で、老女がゴソゴソ便器を掃除してるのはかなり嫌である。必ず老女であるというのもポイントだ。若い女はまずいない。ここにも日本社会の性差別の深刻さが描かれていると思うのだが如何でしょう。(イギリスの植民地では白人専用の女子トイレをアジア人の男が掃除しても誰も気にも留めなかったそうである。人間以下の存在として、視野にも入らないからだ。同じようなことが現代でも続けられている。これは恥ずべきことである。日本の高齢女性の労働者が、日本社会では人間以下の存在として扱われているってことは忘れてはならない)

以上をまとめると、性自認について、他者がアレコレ人のことをうだうだ言うのはナンセンスである。賛成も反対も何もあったもんじゃない。「自認」は他者が外部から客観的に観測することはできないからだ。ましてや性自認は今の時代ファッション化してるので、カッコつけるために嘘ついてる人もいっぱいいるであろう。そういう嘘を事務所に強要されてるアイドルもいそうである。そのような人に対して「女が女を好きになってもいいよ!あなたに賛成!」と安易に口を出すのは金儲け主義で人権無視の事務所に加担するのと同じ。当の本人は普通にイケメンと恋愛がしたいかもしれないのに、ズッーと嘘をつき続けなきゃなんない。それはきっと辛い体験だろう。(わかりやすい例をもう一つ。一番上のスカート履いたにいちゃんの画像をとくと見てほしい。彼は仕事でこんな格好をさせられているだけであり、おそらくゲイでもバイでもトランスジェンダーでもないだろう。しかし、彼は流行に卑屈なデザイナーや、ポリコレ気取りの会社のトップに命令されてこういう格好をしていると思われる。まさか彼自身も、この服装がお洒落で素敵で人に好かれるとは毛ほども思わないであろう。しかしすごく空気読めなくて思慮の浅い観客は、勝手に「貴方がゲイでも全然気にしなくていいのよ?そのスカート、とっても似合ってるわ」などと言ってるのかもしれない。男友達にはゲラゲラ嘲笑されているであろう。彼はきっととても嫌な気持ちになっている筈である。でもプロだから我慢してやっている。そう思われる)

少し思慮が働けば、この辺はノーコメントを貫くのが普通の大人。性別に関わりなく好き合う2人が結婚できるというのは(「同性結婚」とか「同性カップル」などという表現がそもそも奇妙)、時代がそういうのを求めてるんかな?と感じるのみだが、個人的に最近のLGBTのファッション化には違和感を禁じ得ない。結局、男×男や女×女のカップルに萌えてるだけじゃねえのか?キミたち。腐女子やBL・百合マニアがサブカルの延長で言っているのならかなり問題である。お前を萌えさせるための素材じゃねえぞ。その辺をきちんと自分の胸に聞いてみなさい。

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