ある人質 生還までの398日の【映画評】

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「ドラゴンタトゥーの女」のニールス・アルデン・オプレブ監督の最新作(2021年現在)。

「イスラム国(IS)」の恐怖政治について詳しい者は日本にはほとんどいないだろう。アレは日本人にとっては対岸の火事だった。まさしく歴史に残ろう程の対岸の大火事だ。アレは本当にとんでもないことだったのだが、日本での影響は大きくなかった。マスコミは今と同じくすごく不安を煽っていた。最悪の場面を専門家に語らせ、それがもう明日にでも起こるかのように連日報道していた。しかし、日本では何も起きなかった。幸いなことだ。

SNSは憎悪を拡散するための装置として機能している、と俺が考えるようになったのはこの頃だ。正確にはもう少し前、スリランカ内戦の実態を知ったとき(ググらないことをお勧めする)や、ビルマの少数民族が軍に民族浄化を受けるにあたり、Facebookが民衆の憎悪を刺激し、実際に暴徒を動員するための便利アイテムとして使われたことを知ったから。別に根拠もなく適当に言っていたわけではない。

そして、今もまあSNSは酷いものだ。酷い使われ方をしている。何でもかんでもシェアできて便利だが、主にシェアされているのは些末な嫉妬や憎悪、デマ、嘘・謀りごと・陰謀論、偏った思想、弱くても良いのだと自分を慰め、成長や進化を否定する自己憐憫だ。いまや憎悪は世界を覆いつくさんばかりだ。多様性が素晴らしいと謳っておきながら、実際には一定の考え方に人々を誘導し、従わない者を変人扱いし、お互いに粛清させるのだ。

SNSは本来の理想的な使われ方をしているとは言い難い。人々の憎しみと暴力性を刺激し、正当化するために使われている。それをまさしく体現したのが…ダーイシュ、IS、ISIL、イスラム国、イスラミックステートだ。(あとは神奈川県座間市が誇る日本のジェフリー・ダーマー、白石隆浩だ)

イスラム国が何だったのか説明する必要はないと思うが、テロリズムとはなんぞやを心底面白おかしく世界中に知らしめた集団だと言えるだろう。恐怖政治というものの本質を。敵を屈服させるために暴力を用い、恐怖を浸透させるためにインターネットやSNS、動画共有サイトを最大限利用した連中である。彼らのやり方はまさしく現代が生んだ闇だ。

インターネット、動画配信サービス、SNSによる共有はまさしく貧者の核兵器である。金はかからないのに、行われていることはまるで魔法だ。一昔前なら、同じことをするのにどれほどコストがかかったかわからない。それが現代ではほとんどタダで当たり前に個人レベルで誰でもできる。大した規模の組織でもないのに、まるで世界を覆いつくすほどパワフルなのだと世界に誤認させたのだ。今思い返してもすごい連中だったと思うし、真似する奴が今後必ず現れると思う。

いまや動画を撮るなんてスマホがあれば誰でもできる。カメラの前で首を落としたり、後頚部を撃ち抜く映像を撮り、インターネットに流すだけで、敵には恐怖を与え、味方には勇気を与えて士気を奮い立たせたのである。世界を支配する白人至上主義。白色人種は暴力と絶滅と都市空爆でこの惑星を占領した支配人種だ。「イスラム国」は支配人種の専売特許である暴力を用いて、既存秩序に挑戦し、屈服させようとしたのだ。そしてその試みは確かに世界を大混乱に陥れた。その快進撃にワタクシも密かに暗い興奮を覚えたことをここに告白する。ワタクシも白人主導の既存秩序にムカつく大衆の一人だからだ。

ISはもともとフセイン政権下で働いていた旧イラク軍、特殊部隊幹部の残党が元となった組織だ。イスラム教スンニ派の影響を色濃く受けている。アル・バグダディはバグダッドのイラク大学出身の神学者だ。その後シリアのアルカイダ系組織ヌスラ戦線と合併。シリア内戦の混乱の中で旗揚げし、「イスラム国」を名乗ることになる。

映画は2013年のある時期、まだ「イスラム国」が世界にあまり認知されていないころ、シリアで内戦下の人々の生活を撮ろうとデンマークからシリアとトルコの国境地帯へ向かった無鉄砲な若者、ダニエル・リューが謎の武装集団に拘束されるところから始まる。

ダニエル・リュー。(画像は本人)

もともとデンマークの体操選手だったが競技中の怪我が原因で現役を引退。実家でニートの身に甘んじていた。ダニエルはこういう境遇の若者が常に夢見るように、現状を打開するための妄想を膨らませていた。最も手っ取り早かったのだろうか。戦時下の人々の写真を撮るためにシリアへ渡る。そしてあっさり拘束されてしまうのだ。

イスラム国がジャーナリストを手当たり次第に拘束し、身代金を要求し、交渉が決裂した場合には首切り動画をネットに公開していたのは周知のとおりだ。その額は法外で、ダニエル・リューの身代金も70万ドルが要求された。両親は特権階級でも何でもない普通の庶民で、到底不可能な金額であった。その後身代金は200万ユーロに引き上げられ、救う手立てはないかに思われた。

一方で、拘束されているダニエルがお客さんとして手厚くもてなされていたかと言えばもちろんそうではない。相手は既存秩序、白人至上主義を暴力で粉砕しようと旗揚げした狂信者集団だ。ダニエルはえげつない拷問を受け続ける。「ロバ」とあだ名をつけられ、ロバの真似をして鳴くように要求され、従っても従わなくてもどつかれるのだ。きつすぎる。結局13ヶ月間も拘束され、200万ユーロの身代金が積まれ、ダニエル・リューは解放。その金がどんな風に使われたのか、考えるだけで嫌である。

この話から得られる教訓は、単に危険な場所に行ってはいけない、とかそんな単純な話とは違う。訳の分からないことに首を突っ込んではいけない、ということだ。

アラブの社会、イスラム教の宗派同士の対立、ゴロツキの内ゲバ、シリアの内戦は西側スタンダードからすればまったくもって了解不可能、意味不明かつ難解だ。西側スタンダードは、当初シリアの動乱をチュニジアのジャスミン革命から始まった「アラブの春」の延長上の一形態であると理解しようとした。シリアの残忍な独裁政権に抑圧される民衆が、自由と民主主義を求めて立ち上がった、正義の運動であると。そんな風に単純に認知しようとした。

しかし、それは破滅的誤りであった。アラブの格言に「一夜の無政府状態より百年の圧政のほうがまし」というのがあるが、シリアのアサド政権やイラクのフセイン政権は残虐で最悪のテロ統治を行っていたが、まさしく無政府状態よりはまだマシだったのである(無政府状態の混沌から生まれる武力革命の恐怖…それを歴史的によく知るロシアがアサドを支援したのはむべなるかな、である)。

アサド政権が民衆運動と欧米の支援を受けた自由シリア軍に追い詰められ、政治的な権力が弱まるとシリア全土は無政府状態に近い有様となった。アメリカの傀儡であるイラク新政権も、長らくフセイン政権ほどの求心力を得られず、地方では軍閥が割拠し、平和とは程遠い現状であった。

このような政治権力の間隙を突いて、旧フセイン政権幹部や好戦的なスンニ派武装集団が結託し、シャリア(イスラム法=コーランを至上とする過激思想)にて国を統治するとの大義名分を掲げて結成されたのがイスラム国である。

旧フセイン政権幹部の面々は、まさにテロで民衆を黙らせるスペシャリストであった。

フセインのバアス党は20年以上もの間、微塵も揺らぐことなくイスラム原理主義や宗派間対立を秘密警察と強制収容所で完全に封じ込めていた。いまやそのテロ統治のノウハウはイスラム国に受け継がれたのだ。二の句も告げぬ暴力と、憎悪すら挫ける恐怖。それこそ長年のモットーである。彼らは欧米主導のスタンダードを激しく憎んでいる。勝手に横から入ってきて、秩序を乱し、利権を貪り、空から爆弾を落として無辜を殺傷し、キリスト教を押し付け、イスラエルを支援する…彼らにとってはどれ一つとっても受け入れ難い屈辱だ。今こそ積年の怨みを晴らす時が来たのだ。

「奴らは憎悪に駆り立てられ、制御不能だ」

なぜイスラム原理主義の過激派が、これほどまでに西側を心底憎み、死神も裸足で逃げ出すような残虐行為を繰り返すことができたのか。歴史を知らねば全く理解できない。これほど憎まれていると知っていれば、ジャーナリスト達もこの混沌の地に足を踏み入れるのを躊躇ったことだろう。

更に悪いことに、ダニエル・リューが拘束された2013年5月は、「イスラム国」なる存在はまだそこまで西側には知られていなかった。西側が知ってる過激派はせいぜいアルカイダだった。ビン・ラーディンが死んで、力が弱っていると思い込んでいた。

原作も読んでみたけど、当初ダニエルを拘束したのはヌスラ戦線の兵士だと考えられていた。交渉人達はまずヌスラ戦線の人脈を探るのだが出だしからして躓く。それもそのはず、ヌスラ戦線は既にイラクのイスラム国に吸収合併されるその途上にあり、交渉人達は新たに産まれた闇のテロ集団の存在すらまだよく理解できていない。しかし、地元住民達はとっくにその胡散臭い存在を知っていたそうで、単にアッダウラ(国)と呼んで関わり合うのを恐れていたらしい。

西側のジャーナリズムは吸収や分裂を繰り返す複雑怪奇なテロ集団の影すら踏めず、何が何だかわからないまま、独裁政権に抑圧される人々の写真が撮れるんかなぁと無邪気にカオスの中心、イラク・シリアに続々流入。あとは知っての通り。首切り動画が大量生産され、大量の身代金が積まれて武器が売り買いされ、戦争が長引く結果となった。なんだかよくわからないことに首を突っ込んではいけない。それは間違いなくここから得られる教訓だ。

さて、やーっと映画の話だ。

「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」は個人的に大変思い出深い映画だが、その辺の個人的思い入れは抜きにしてもお洒落でみやすいミステリー作品だ。あの作品も変態に監禁された主人公の女の子がめちゃくちゃされちゃうシーンが迫真をもって撮られていた気がするが、今回もそのあたりは手堅い仕事を楽しめる笑。

鞭でぶっ叩かれたり笑いものにされたり、粗末な食事で1年以上も監禁されていたというのだから壮絶だ。しかし、原作を読む限りでは、途中で待遇が改善されたようで食事も3食毎日与えられ、普通に風呂に入れてもらえたり、割とまともに扱ってもらえていた期間もあるようだ笑。そうでなければ398日間も監禁されて、ちょっと痩せた程度で出てこれる訳ないんで、映画で酷すぎる(´;ω;`)と泣いた人は、ダニエル君は普通に生きて帰ってこれたし、ジャーナリストとして今も海外を飛び回っていることを思い出して自分を納得させてほしい。映画で描かれるような世界が400日も続けば絶対に精神が崩壊するし、普通は死ぬであろう。ここで描かれる悪夢のごとき強制収容所は多分に映画的な誇張が含まれていることを念頭に置くべきだ。(それでもあまりの絶望にめっちゃ泣けたけどな)

無論、ダニエルが気が狂わんばかりの恐怖と不安の日々を送った事実は疑いない。

印象深いのはジハーディ・ジョンとの異名で西側世界を震撼させたイギリス人テロリストだ。元ラッパーで、動きや喋りが実に映画的であり、イスラム国謹製のプロパガンダムービーとの親和性が極めて高かった。彼は自らカメラの前に立ち、世界が公然と見守る中、数々の人質を銃殺刑にし、首を生きたまま斬り落とした。(注:シャリアでは死体損壊は禁忌である)

このジハーディ・ジョンが恐怖の執行人として映画の中ではたびたび登場。イスラム国の頭のおかしい感じを全身で表現している。必見だ。

このような地獄に監禁されて200万ユーロを要求されて、なんだか素性の知れない得体のしれない団体と交渉するしかない感じは火も灯さず闇を航海するようなもので、ダニエル君の救出はどう見ても不可能そうに思える。民間交渉人アートゥアと、人質ビジネスの元締めとの緊迫感あふれるやり取りもこの映画の最大の見どころ。ぐいぐい観客を画面に引き込んでくれる。

民間交渉人の二人。めちゃくちゃかっこいい。

この映画が画期的なのは、ようやく「イスラム国」が娯楽映画に登場しはじめた、ということを印象的に世界に告げたことだ。これまでは超シリアスなドキュメンタリー映画に登場するのがせいぜいだった。当たり前のことだ。「過去」として娯楽に変えるにはまだまだ差し迫った恐怖だった。それがようやくこういう形で映画の悪役として出てくるようになったわけで、今後はシリア内戦を舞台にした戦争映画も増えてくることだろう(「アメリカンスナイパー」がその走りだったのかもしれないが。「イスラム国」の前身ザルカウィの軍団が悪役として登場する)。ナチスや旧日本軍と並ぶ超悪役として、今後は娯楽映像の中で大活躍するのだろう。皮肉なことに。

めちゃくちゃ良くできた映画なのでオススメする。95点献上。

自由に生きるか、さもなくば死を。

――独立戦争時のニューハンプシャー州の標語(帰国した後のダニエル・リュー氏の座右の銘だという。)

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