女性蔑視

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化石みたいな爺さんが悪気なく放った「失言」をマッチポンプで世界に広めてまんまと辞任に追い込み、今日も飯が旨いであろうマスコミの皆さん。個人的には、どちらかといえば嫌いなのはこちら。ジジイを擁護する気も特にないけど、集団でよってたかっていたぶってるようにしか見えなかったな。問題の本質はジェンダー?平等?とんでもない。この国の病理、集団で軌道を外れた人間を粛清しようとする、その全体主義的かつ卑しい心根である。

この特権階級のジジイに全く思い入れはないけど、がんを患って80歳超えていて、あれほど恰幅が良かった体格も見る影もなくやせ細り、顔は真っ白。もう何年も生きないであろうことは明白である。人生の最期に何かをしたいという信念があったのは確かだろう。その割に脇が甘いのは政治家として無能だからである。しかし人間としてはなかなか骨があるというか、ここまで世間にぼろくそ叩かれても「俺はまだやる!」とけっこう粘る姿、負けじ魂、それ自体は嫌いではなかった。政治家の罪はただ一つ、無能であること。無能な奴は消えてもらって構わない。どんなにあくどいことをしようが、首相に就任して10年で450万人銃殺しようが、有能な人間にこそこの国を率いてもらいたい。そういう意味ではこの爺さんが政治の世界から消えるのはやむを得ないだろう。まさに自分が撒いた種、である。

俺は東京アンダーグラウンドなるサイトで紹介されているような、東京の隅っこの隅っこの陸の孤島みたいな貧困地区を毎日走り回って仕事をしている。いつも、いつも、毎日思うことがある。「爺さんたちって何が楽しくて生きてるのかねえ?」だ。東京なる極東の都市で、平日の昼間に貧困地区をうろつくのはフードかぶった黒人でも悪ガキ集団でもない。歩行器ヨタヨタ押してる背骨の曲がった死にかけババアや、フラッフラノロノロと車道をのんびりガタガタのチャリで走るクソジジイどもである。何のために生きてるんだかなあ。

生きるために生きてる。そういう風に見える。買い物行って、風呂入って、飯食って、便所に行く。たまにデイサービス。近所の人とお喋りでもできればその日はきっと良い日になるんだろう。家族と電話で話せればその日は年に1度のイベントの日になる。何が楽しいの? 生きてて楽しいの? それだけでいいのか? 光り輝く日が今後1日でも訪れるのか? 食って酒飲んでタバコ吸うだけか。信念をもって何かを成し遂げようとする老人が、いったい何人いる?病気と苦痛と健康を気にかけて、いつ命が尽きるのか、戦々恐々と待つだけか。人生の終盤には想像を絶するほどの退屈と、絶望と、愕然とするような無為な日々が待っている。本当に恐ろしいことだ。それに向かって確実に歩を進めていること。これ以上の恐怖はない。

そんな中、俺もう83歳だけど、政治家として東京オリンピックを実現させてやるぅ、コロナとか国民の反対とか、色々あるけれども成功すればきっと良いこともある!頑張るぞ!この命を燃やす最後の舞台はここだ!・・・・・・・・・と思っていたかは知りません。話したこともないし。どんな人間かも知らない。だが、80超えても命を燃やす舞台が用意されている、そういう人もいたのだと、勇気をもらった人もいたかもしれない。それがどう考えても幻想にしてもだ。勇気を貰えることそれ自体は、そんなに悪い話じゃないと思うんだが、、、

「失言」の内容も実に阿保らしい。マスコミの切り取りだけではなく、全文をとりあえず読んでみたけど、こんなもんは爺さんに限らず男はほぼ全員言ったことも思ったこともあるはずだ。女はお喋りで、やかましく、ぴいちくぴいちく話題をとっ散らかして、合理的に短時間で話をまとめるのが苦手である。とはいえ、それは女の言語能力が男に比べて相対的に高いことを意味してもいる。脳の構造からも明らかだ。女の脳は男の脳よりも容積自体は小さいが、その分効率的に作られているとされ、特に右脳と左脳を橋渡しする脳梁と言われる部分は男は細胞が欠失している割合が多く、そうでないにしても女性よりも小さい(ちなみに同性愛男性も異性愛男性より脳梁が大きいことが知られている)。

脳梁が太いということは、脳の左右の連携が密であり、知覚したこと認知したこと思考したことをより詳しく話すことができるということになる。(もっと詳しく書こうとする解剖生理学の講義になってしまうので割愛。やろうと思えばできるけどね)。

もっとサルでもわかるように簡単に書くと、女のほうが感じたこと、見たこと聞いたこと思ったことを、ペラペラ喋るのが得意だということである。共感能力も高く、他人が感じたであろう痛みや感情を、よりリアルに「自分のことのように」認知し、考え、行動することができるわけなので、口下手な男、お喋りな女というステレオタイプは、あながち単なる決めつけでもないわけで。そう考えると森が言ったことは実にくだらん。普通にそうやん。としか言いようがない話なわけである。(女看護師どうしの申し送りを一度でもいいから聞いてみろ。1分で終わる話を45分ぐらいかけて行っている。)

ただ、注意したいのは、あくまで脳の構造の話は「そういう傾向にある」「統計的にそういう個体が多い」という話であり、個々の事情には無頓着なわけだ。個々の例外をあげつらって全体像を変えようとする試みは科学的とは言えないわけで、科学とはあくまで統計的に可能性が高いことを一般論としてルール化するしかできないのである。科学とは本来マイノリティに冷たい、つうかマイノリティは無視しないと結論を主張できない存在なのだ。こんなこと言わなくても普通はわかって頂けると思うが。(コロナのワクチンがアナフィラキシーが出現するごくコンマ数パーセントの個体を無視して開始された話を引き合いに出せばもっとよくわかるだろう。コンマ数パーセントに構うあまりに、もっと大多数の命を失うようなことは許されないわけなのだ。それを決断するのが政治の仕事である。言論も同じ。ごくわずかな例外を気にしていては何も主張できない)

脳梁のほっそい女もいるであろう、先ほどの例に挙げたように同性愛男のように脳梁の太い男もいるであろう。脳梁太いくせにお喋りが嫌いな人もいるでしょう。しかし全体像をマクロに捉えると、男は寡黙で女はよく喋るわけで。黙して語らず発声機能が衰えて嚥下障害で死んで行くのも男の老人が多いわけなんですよ。女はボケても何してもよく喋る。永遠にしゃべるつもりか?と聞きたくなるぐらい婆さんはよく喋る。心底楽しそうにね。これは医療介護の現場でも間違いのない事実なんですね。

政治家はマクロな視点でも物事を語るのが商売だ。森がこんな感じで言ってしまう癖があるのもある意味職業病でしょう。問題は言い方で、女の多い会議は時間がかかる?だっけ?そうではなく、

「女性は脳の構造的にも感受性が豊かで、コミュニケーション能力が高い。様々な視点で物事を感じ取り、それを豊かな表現力でたくさん語ってくださる。それで会議がいつも長時間化してしまって非効率に感じることもある。それで一人一人の発言時間をなるべく区切るようにしております」

・・・といえば全然良かったわけで。言ってることはほぼ同じである(笑)。結局この程度の話に過ぎない。それを「森氏の女性蔑視発言」「会議に女がいると時間がかかる」と短く切り取って拡散したのはマスコミであるし、それを海外の新聞社が面白がって記事にし、「世界からもほら!批判を受けてます。日本の常識は世界の非常識」とまたお馴染みのマッチポンプだ。心底阿保らしい。くだらんことで時間と金と労力を無駄にする。馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。マスコミに有能な人間がいないのはほとんど確かな事実であろう。←これもマクロな視点

俺は人権的な意味で男女差別はもちろん撤廃すべきと強く考えている。女の収入が男より極めて少ないのは絶対良くない。そう思っている。女の収入が増える、社会的な地位が上がることで、現実的には結婚する男女は減るであろう。女は自分より上の立場の男に抱かれようとするからである。(これは差別ではなく事実)女の立場が男とほぼ対等になれば、現実的にはかなり上の階層にいる一部の男がたくさんの女を囲ってハーレムを作るであろうし、その結果少子化は今よりもさらに深刻化するはずだ(女は自分だけを見てくれる非モテの貧乏人より、遊びまくりのチャラい金持ちのほうが好きだからしょうがない)。しかし生まれてくる子供たちは比較的に恵まれた環境で育つことができ、増えまくる老人は金持ちに高い税金を課すことでどうにかしてお見送りする。人口が今の半分ぐらいになったとしても、こうするしかないと思われる。今更軍国主義時代の価値観に戻ることはできない。女の翼を折らずに、社会に羽ばたいてもらい、それでいて子供を産みやすくする環境を常識化するしかない(例えば日本ではほとんど利用されないベビーシッター、家事お手伝いサービスなどがもっと当たり前になると良い。)

そんな中、ジェンダー理論が活発化するのはけっこうなんだが、あまりに「それ、はき違えじゃねえか?」と言いたくなる話が多いのは残念だ。「そんなこと言ってると逆に女という性が馬鹿にされるだけだからやめとけよ。。」と言いたくなるような、そんな意見だ。男とか女とかジェンダーではなくて、「それ、お前自身が未熟で情けなくて甘ったれてるだけだよね?」と言いたくなるような話があんまり多すぎる。そいつが単なるダメ野郎なだけなのに、女全体が馬鹿にされるのでは誠にいたましい。逆効果だろう。

女という性を攻撃しているつもりはなく、「ダメな野郎にお前ダメだな、情けない奴だ」というと「私が女だから!こんなこと言われるの!」と泣き言を連ねる奴が多すぎて、俺まで情けない気持ちになる。そういう甘えた感性も、学校など教育の場で甘やかされてきた結果なのかもしれない。論より証拠だが、不思議と女性アスリートなど体育会系の世界で努力している人々にはこのような情けない人があまり見られず、素直に「すごい根性だ。。」「マジかよ、、天才・・・」と言いたくなるような人が多いのですよね(池江璃花子とか人類の希望だろ・・)。だから結局性差別ではなくて、甘ったれてるやつが甘ったれんなよと言われてるだけというケースが多いんですよね。むしろ女だから手加減してもらってる、という現実がドーンと本当は立ちはだかっていまして、俺だって会社の上とか教師とかに非人間的に扱われた経験は山ほどありまして、女はそれらを免除されているようにしか見えなかった、そんな時期もあります。

男女不平等 | バツダの哲学ノート (adolf45d.com)

そこを平等に女を男並みに雑に扱えば「私が女だから!こんなこと言われるの!」というのは完全な見当違いでして、実はそれこそが男女平等だったりもするんですよ。殴られたらどうします?「暴力を受けました!!」とか言って泣くんでしょ?多分周りも「それはひどい!女性に暴力なんて!」と助けてくれんじゃない?でもこれが男だったらね。もし人に殴られたらちょっとカッコ悪いから人に言えないし、殴られてしまってやり返せないと自分を情けない、弱いからダメなんだ、と悲しい気持ちになりますし、もし「暴力を受けました!!」なんて泣くと「うわあ・・・。。。くそださ。。。」と世間にも呆れられたりして、誰にも助けてもらえないんですよ。(だから誰にも言わないです)

平等がどうのこうのというのは、女になったことがある男、か男になったことがある女、にしか実現できない世界なんですよ。それが平等な扱いなのか、逆に不当な扱いなのか、女しかやったことがないとわからないと思うんだよね。男しかやったことがない人もわかんないだろうなあ。だから簡単に論じることはできないんで、性別としての逆境を嘆くのは最後の手段にしてもらってまずは「性別を超えた自分自身」を磨くように努力したら?そのほうが建設的でいいと思うし、できる人は男女問わずみんなそうしてると思います。。。いつも厳しいことばかり言ってごめんな。。(←相手が男だったらこんなこと言わないです)

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