ヘルマン・プファンミュラー
Hermann Pfannmüller
独自の飢餓セラピーを考案した突撃隊医師
所属:エグルフイング施設長
出身:ドイツ、ミュンヘン
階級:ナチ党員。精神病理学者。医師。突撃隊医師中佐(Sturmbannarzt der SA)※自信なし
罪状:エグルフイングにて施設内の身体障害者・精神障害者・小児を飢餓に追い込んで400人以上を餓死させた
日本の鬼親もしばしば自分の子を餓死させているのは皆さんもよく知っていることと思う。ぶん殴って殺すよりは何もしないで自然に死なせるほうが寛大であると感じているヒトがいるかどうかは知らないが、ネグレクトによる虐待は保護責任者遺棄罪、遺棄致死罪がついたとしても殺人よりははるかに軽い罪ですむ。それがどれほどの破滅的誤りであるか教えよう。KGBの拷問で一番ツライのは何か?という話しがあって、それは「何もしないこと」だ、という話しがある。何もしない。何もせず何も与えず閉じ込めておく。しかしこの話しは確か食事はしっかり与えるのである。だが何もできないというのは相当人間のメンタルを揺さぶるらしく、囚人はじきに何か話させてくれ!自白でも何でもするから話し相手になってくれ!と看守にすがるようになるという。飯を食っててもだよ?余談が過ぎた。
ミュンヘン、ハール州立精神病院内のエグルフイング施設にかつて「T4作戦」の実行地があった。「T4作戦」はナチの歪んだ優生学に基づく、身体障害者・精神障害者・発達障害児童の抹殺作戦である。これは39年のポーランド侵攻以前からドイツ国内で水面下で実行されていた。ここではこの程度の説明に留めたい。この男、ヘルマン・プファンミュラー、1886年ミュンヘンにて出生。1933年ナチ党に加入。彼は当事より「価値のない命」の概念を強く信じており、T4作戦にも当初から参加していた。「価値のない命」、「哀れな患者」の抹殺に加担したのである。 彼は「無駄飯ぐらい」(特に小児)を殺す方法として特殊な飢餓セラピーとでもいうような方法を研究していた。 「15~25人の1歳~5歳までの子供が寝かされていた。プファンミューラーはこの病棟で特に詳しく自分の考えを明らかにした。次のように要約される彼の説明は驚くほど率直でかなり強く記憶に残っている。彼曰く、『こいつら(子供たち)はナチ党員の私にとって民族のお荷物だ。殺す(殺るという言い方もした)にしても毒や注射は使わない。外国の新聞や赤十字のお偉方にまた非難されるだけだ。方法は皆さんがわかるようにはるかに簡単で自然なのだ』こう言いながら彼は施設の常勤と思われる看護婦に一人の子供をベッドから引き出させ、死んだウサギでも見せるように皆に見せて、専門家ぶった冷笑を浮かべながら『これはあと2、3日はもつだろう』というようなことを言った。太ったニヤニヤ顔、肉付きのよい手に捕まえられてひいひい泣く骨と皮の子供、周りにうじゃうじゃいる飢えた子どもたち、その光景は目に焼きついている。プファンミュラーは食物の供給を急に止めるのではなく、徐々に減らすと説明していた」・・・ エグルフイングにはいわゆる「飢餓病棟」が2つあった。1943年1月から終戦までの約2年3ヶ月の間、患者に肉や脂肪を与えることは禁止された。被収容者は野菜、ジャガイモ、1日辺り一切れのパンしか与えられなかった。これはプファンミュラーがかつて在職していたカウフボイレン施設で’効き目’が確認された食べ物で、胃を満たすが、次第次第に目的に導く。脂肪分を与えないと彼らはほっておいても死亡する。これはプファンミュラーによる工夫で、多くの施設で効果が証明されているとされている。 彼の飢餓病棟では子供、大人約444人が飢餓に追い込まれ、餓死させられた。戦後、米軍に逮捕された後、裁判で彼は「安楽死作戦は合法だった。昔からあった考え方(障害者を殺すこと)だった」というようなことを述べたという。彼は6年間収監されたがその後はなんなく出所し、75歳まで生きた。 皆さんもムカつくヤツを殺したい時はさらって餓死させましょう。罪は軽くなります(笑)。 プファンミュラーはこうも述べている。
恐ろしい医師たち-ナチ時代の医師の犯罪 |