ヨーゼフ・メンゲレ
Josef Mengele
死の天使
所属:第5SS装甲師団軍医→アウシュビッツ強制収容所医師
出身:ドイツ、バイエルン
階級:SS大尉(SS-Hauptsturmführer=ハウプトシュトゥルムフューラー)、医師
罪状:アウシュビッツでの数々の非道な人体実験、数多の囚人の処刑
「死の天使」と恐れられたナチス親衛隊医師、SS大尉。アウシュビッツ収容所に勤務し、数々の残虐な人体実験と囚人の処刑に関与。制服をしっかり着込み、白い手袋を着用した優雅な姿で、アリアを口ずさみながら囚人を「選別」したという死の天使…メンゲレはイスラエルの諜報特務局モサドの追撃を振り切り続け、遂に裁かれることなく闇に消えた。
1911年、バイエルンで出生。
このころナチ党へ入りSSにも入隊。戦争が始まると武装親衛隊へ志願、第5SS装甲師団「ヴィーキング」へ配属される。が、東部戦線で負傷し、前線勤務は適さないと判定された。1943年アウシュビッツに医師として勤務することになる。囚人が汽車でアウシュビッツに到着すると、ホームでまず最初の選別が行われる。労働に適すか、すぐにガス室か、それともモルモットか…そのような選別はメンゲレをはじめとした医者の仕事だった。他の医者はこの陰惨な選別作業を嫌ったがメンゲレは嬉々としてこの作業に参加した。アリアをくちずさみながら… メンゲレは立身出世や師であるフェアシェアー教授に実験結果を報告するなどの理由で数々の残酷人体実験を囚人に行っている。また、純粋なアーリア人種の数を増やすことを目的にしていたとも言われる。 特に残虐なのは、双子を使った実験だ。彼は囚人を選別しながら周到に双子を見つけ出し、1500対、3000人の双子をコレクションしていたのである。特に10歳前後の子供の双子を好みモルモットにした。生きたまま解剖したり、逆さに吊るして胃液の動きを測定したり、裸にして氷水にぶち込んだり、病原菌や有害物質を注射したり、瞳の色を変えようと薬品を眼球に注射したり、四肢やちんこを切り取って移植しようとしたり、静脈をつなぎ合わせて人口のシャム双生児を作ろうとした。 メンゲレは双子のモルモットに栄養のある食事を与え、住み良い環境を与えた。子供のモルモットに「おじさん」と呼ばせ、一緒にドライブしたりもした。しかし、それらの双子もすぐに実験に使われ生きたまま解剖された。 わけのわからぬキ×ガイ実験により、3000人いた双子たちで生き残ったのはたった100人だった。 メンゲレの興味は双子だけではなかった。彼は小人症のモルモットもコレクションしていた。また、「水癌」という状態にも興味を示し、この奇病の遺伝学的原因を探ろうとしていた。 メンゲレは囚人の処刑にもかなり関与しており、ユダヤ人の贖罪の日などの行事の日には残虐性が爆発し、1944年にはしょーもない理由で少年を1000人も処刑した。 彼はユダヤ人をはっきり人間以下の存在と定義していたようである。 ソ連軍がアウシュビッツに迫ると、メンゲレは実験データをシェアフェアーに送付して(シェアフェアーはこれを廃棄。彼も一切裁かれていない)逃亡。モサドの追跡を振り切り続け、逃亡先のアルゼンチンで海水浴中に死んだとされている。 しかし世界はメンゲレの死を信じなかった。メンゲレの居場所を知っていながら警察に通報しなかった息子ヘルマンに非難の声が集中した。後にDNA鑑定でこの時偽物とされたメンゲレの遺骨が本人のDNAの型と一致したことがわかった。彼はバカンス中になんの罪も裁かれないまま楽しく死んで行ったのである。そして彼の行った闇の実験の全貌…そして「成果」は謎のままである。 眠れぬ夜の恐ろしい話―西洋残酷人物譚 |