「恐怖政治bot」を作りました。
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一昨日の晩と昨夜で突貫工事で作りました。
<唯一の援軍>
「ベルリン市民よ!もう一息だ!ヴェンク軍がベルリンへ向かって進撃中!」
おびえきったベルリン市民はゲッベルスが約束したヴェンク軍来援を信じないではいられなかった。
ロシア軍相手の戦いに米軍が加勢するという噂もあった。
しかし、この時ベルリン救援に駆けつけようとしていた唯一の軍勢は、米軍でも独軍でもなく、フランス人部隊だった。シャルルマーニュ師団(武装SSのフランス義勇兵)の残兵である。
<狼煙>
ジューコフの第一ベロルシア方面軍とコーネフの第一ウクライナ方面軍の、ベルリンへの最後の総攻撃開始は4月16日を予定されていた。
北方のロコソフスキーの第二ベロルシア方面軍はその後を追随する。ソビエト赤軍の兵力は250万。それを支援する火砲と重迫撃砲41600門、戦車と自走砲6250両、四個航空軍作戦機7500。史上最大の火力の集中であった。
ラトヴィア首都リーガを流れるダウガヴァ川左岸に住むエルマル・リヴォシュが晴れ渡った青空に見慣れぬ戦闘機を認めたのは、6月22日の早朝だった。飛行機音は、夜のうちから聞こえていたという。何事かと訝りながらも、リヴォシュは息子を幼稚園のサマーキャンプに行かせることにした。それがとんでもないことだとわかったのは正午のヴァチェスラフ・モロトフのラジオ放送で独ソ戦の始まりを知ったときだった。
自由フランス軍というとどんなイメージだろう。連合軍のノルマンディー上陸でなんとか息を吹きかえしたというイメージが付きまとう。実際自由フランス軍はアメリカ軍司令部の傘下で戦うこともあり、兵士たちは米軍の制服を改造したりそのまま着てるものもいた。 >>続きを読む |
1941年4月6日、ユーゴの反独新政権を打倒するべく、ドイツ空軍が戦端を開いた。その後ドイツの電撃作戦が圧倒的な成功を収め、ユーゴ軍総司令部はわずか10日で降伏し、ユーゴスラヴィアは解体された。 >>続きを読む |
ハンガリーとナチの同盟は最初から大したものではなかった。ナチは世界で覇権を握り歴史を作ることが目的だった。それに対しハンガリーはただ単に領土を増やしたいだけだった。 >>続きを読む |
![]() 黒海沿岸の港町、”オデッサ”がルーマニア軍の総攻撃を受けたのは、独ソ戦開始後四ヶ月ほどたった頃のことである。 |
![]() “lasi” |
1940年当時、ルーマニアには75万人のユダヤ人が住んでいた。これは全ヨーロッパ各国の中でも、ポーランド、ソ連に次ぐ数字である。そして欧州の他の国々同様、ルーマニアにも反ユダヤ主義が存在した。 >>続きを読む |