年忘れ

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年忘れとか忘年会とか、なんで「忘」って言葉が入るのよってふと思いました。全然違うと思うけど、忘れたいことがたくさんあるってことかもな、と。人生は忘れたいことばっかりなんだよな、と。

昨夜は仕事納めをして死ぬ寸前まで酒を飲み、今日は大晦日で、半ば義務感でこの記事を突っ込んでいますけれども、世の中がどんどん変わっていくことを肌身で感じております。

今年も何が何だか、コロナに全部持ってかれた感ハンパないですが、ワタクシもどうしたらよいかとかは全くわかりません。わからない中で大きな変革に一歩踏み出した。怖いが楽しみでもあり、苦しいが今の所後悔はない。


この1年に絞っても、大きな変化があったが、俺が産まれた昭和後期から比較しても社会の形は大きく変わっている。変わっていない部分もあるが、多くはテクノロジーの進歩とともに社会の構造も人の心も変わっていかざるを得ない。

中でもこれまで当たり前だったことが実は当たり前じゃなかったんだよという話は、しばしばクローズアップされる。それを最近一番感じるのが(多くの人にとってそうだと思うが)男女差別の構造である。ワタクシも最近は仕事のせいもあって、青少年の教育システムについてよく考えるのだが、本当に日本の国はシステムが旧態依然としていて、末端の子どもたちのレベルで意識の改革がどんどん進んでおり、オカミはそれに追いつかないし、追いつこうとの努力も全くしていない。そのため進歩的な思想に影響された青少年たちは、結局権力を持った旧システムに抑圧されるという悲劇を産んでいる。

なぜ意識の改革がこうまで急速に進んでいるのかといえば、これはSNSやインターネット、それを使用するための携帯端末の飛躍的進歩による。これまで知識は、特権階級のエリートが高い学費を払って良い学校に行って、ようやく手に入るものであったが、現在はスマホを持っていれば大抵のことは無料(通信料を別にすればだが)でその場で調べてその場でわかったような気になれるというわけだ。もちろん上っ面だけの知識であり、そこに深みはないのだが。

グーグルのおかげで人に質問する必要もないわけで、他者との交流はもちろん減っていく。それまでなら勉強したい、質問したいと思ったら、偉い先生や先輩、親、学友にちょっとご機嫌伺ったり下手に出たりして、ようやく教えてもらう必要があった。教える側も単に答えをすぐに教えるのではなく、ヒントを出したりもったいぶって少し考えさせるような取り組みをしたものだった。だがそんなやり取りはいまやオワコンで、未熟な青少年たちはわからないことは自らグーグルのAIに問いかけ、それをわからなかったという事実さえ隠蔽し、さも昔から知っていたような顔で物知り顔をすることが可能となり、誰にも礼を述べる必要がなくなった。もしその必要が生じてしまったなら、なぜ下手に出ねばならないのか、自分がへりくだらねばならないのは社会がおかしい、パワハラを受けたなどと憤慨し、憤慨するだけならまだいいが病み垢作って自殺仲間を探し始める始末だ。

誰でも「物知りな人」となり、人のご機嫌うかがったりする必要は無くなり、人にお礼を述べる必要もなくなり、声を掛け合う必要もなくなった。色々な意味で他者とのコミュニケーションの規模が縮小することとなったのだ。その結果、人々はうっすい人間関係ともいえぬようなコミュニティの中で個々が孤立するという構造が産まれた。

そして、グーグルのAIは常に進歩的で、選択肢のない回答をあっさりと検索上位に持ってくるので、皆が同じ回答をみて、同じ価値観や答えを共有するに至る。これはSNSのインフルエンサーも常に「正しい言葉」を大安売りするがために似たような現象が起こっている。「多様な価値観」などというのは皮肉そのものだ。皆が検索の一番上の安物の紋切り型を好み、それ以外の選択肢を排除し、多様性はむしろ狭まっている。

俺が最も危惧するのは、こうまでお手軽に「知らないことを他人に聞く必要がなく自分でわからないことを解決できる」状態が続くと、他者とのコミュニケーションは大部分必要が無くなってくるわけで、そのスキルやノウハウも死にコンテンツとなり、人々はただテクノロジーの進歩で相当に出会いやすくなった環境の中で、ただ心地良いだけの関係のみをキープし、他の面倒くさいアレコレはすぐに捨ててしまうだろう。その結果ますます孤立するだろうってこと。ま、もちろんこれは自分自身がまさにそのドツボにはまっているんだが。

下手すりゃ医者にすらグーグルのAIと言ってること違うだろ、と噛みつく患者もいるというし、残念ながらその通りで医師が誤診していたりもありうるから、問題は複雑だ。グーグルがけっこう的を得た回答を用意することも多いんで、我々はグーグルをおおいに信用してしまう訳だ。特に、初めて作るタイプのビジネス文書をメールで送るときなど、お決まりの定型文が必ずあるが、そこはもうオリジナリティが嫌悪される世界なんで、そのまんまコピペでもして宛先だけ変えるとかしたほうが良いわけなんで。道具は使いようだが、脳髄まで支配されてはいけないぞ、という自戒の文章である。(なんだこの懺悔)

最近、ピッコマで「闇金ウシジマくん」を無料で読めるので毎日戦慄しながら読んでいるんだが、暗黒の平成後期を描いた群像劇だと理解している。これを昔読んだときは不快感以外の感情は生じなかったが、この歳になってこれほど純度の高い現代文学もないだろうと評価を改めた。本当に面白いし、そして心が凍てつき、心底落ち込む。作品の持つパワーが強烈がゆえに、である。

表現物と自分の内的世界がシンクロした時、その表現物は傑作といともたやすく呼ばれると思う。まさにそれが今の俺の身分で、脱サラした直後にこの漫画を読むのはある意味リスキーであり、そして運命的でもあった。

表現されている世界は、あくまで「平成」であり、「令和」とはちょっと違っていたりする。「令和」では、国内で闇金業者は潰滅の憂き目で、リーガルな消費者金融でさえ息も絶え絶えである。儲けられなくなったと感じた黒社会の人々は特殊詐欺へと流れた。これはまだまだ隆盛であるが、警察の撲滅キャンペーンはイマイチの結果だとしても、騙されるのは富裕層の老人であり、闇金のように最下層の人間がしゃぶりつくされるという図式ではないので悲劇度が低く、社会の関心も低めだ。

また、スマートフォンが使われずガラケーであったり、今はもはや死語だが汚ギャルだの、ギャル男だのといった人種が登場する。雰囲気は90年代後半の混沌とした世紀末の世を秀逸に表現していると思う。まだ、俺も前半しか読んでいないんで、後半はスマホとか出てくるのかもしれないが。

ここで汚くて頭悪くていいかげんで無計画で無責任な下層の人々が、死神のように冷酷な闇金業者うしじまによって容赦なく地獄へ落とされるサマを延々見せられる群像劇だが、うしじまはまだ信念やポリシーを持った秩序ある悪党であり、下層の人間たちの無秩序で、とにかくその場限りの快楽を優先する思考回路、自滅する姿をみていると、どのような悪法でもあったほうが良いと思わされる。

この漫画の女性の描き方も酷いものがある。もちろん男も酷いんだが、確かに90年代後半という時代は女にとっては悪夢だったのではと思われる。若い女は歩くオッパイかマンコ以上の扱いを受けるのは困難であった。常に抑圧され、制限され、自分の考えを述べることを教育も期待もされず、暴力を振るわれ、賃金は安く、稼ぎたいと思ったらすごく良い学校へ行くか売春するしかなかった。

どちらの道に進むにせよ、歳をとったら子育てマシンを兼ねた家政婦になる必要があった。悪夢である。自尊心の低さ、プライドの低さが彼女たちの特徴で、世界最弱レベルの恋愛攻撃力しか持たぬ日本男にちょっと優しくされたり奢ってもらえたら、全く将来や先のことを考えぬままに酒の勢いやその場の甘い雰囲気に乗せられてパンツを脱いでしまうという特徴があった。(そしてその点は今もあまり変わっていない。とにかく自尊心が低く、すぐにセックスさせてしまう)

ギャルは無秩序に誰とでもやっちまうという意味で、末期帝政ロシアの売春小屋より酷い惨状であり、梅毒のリスクはそうでもなかったにせよ、クラミジアやHIVなどの性病を撒き散らしていた(そして彼女たちは大抵が不幸な生い立ちで貧困層であった)。管理するヤクザがいるならまだ良いほうで、草の根レベルでは犬猫以下の交配がそこかしこで起こっていて、援助交際なる言葉が流行った。個人事業者の売春婦だ。もちろん違法だったのだが、取り締まりなどはほとんど行われていなかった。

このように、この作品でも女が酷い描かれ方で、本当に醜く身勝手で、畜生以下の存在として描写されているんだが、これが末期平成のリアルでもあった。そしてそれを抱く男たちも畜生以下として描かれており、どこにも希望はないが下層をありのままに描いた平等な表現物だともいえる。

令和になって、じゃあ今はどうなんだと言えば、変わったようで変わってない部分もあるんで怖い。特に援助交際=円光なんて言葉は廃れたけど、パパ活なんていう言葉に変わっただけでより地下に潜った(或いは表に出てきた?)感がある。援助交際って言葉はまだ影があって、当時はやってるやつは後ろ指をさされていた。買う奴も同罪だったし、売る側も同性異性に関わらず軽蔑の対象だったし、マスコミも攻撃していた。それがいまはどうだ。

パパ活なんて、めちゃくちゃマイルドな言葉だし、そこに売春が含まれているかは一見するとわからなくなった。飯を食うだけで小遣いをもらう娘もいれば、それ以上が暗に含まれていることをぼやかすことが可能になっているからだ。つまり「パパ活はしてるけどウリはやってないよ~」って簡単に言えてしまう。

買う側も買う側で、金持ちのダンディなイケオジみたいなイメージが先行しており、むしろお金持ってるハイクラスのかっこいい人みたいなイメージになっちまってる(これはスマホ普及により、おおいに流行り始めたマッチングアプリの広告のイメージによるところが大きい)。前は買う側は犯罪者の扱いだったが、今は金があれば女を囲うことがステータスになってしまった。ウシジマの時代よりも女を搾取する構造はより巧妙化し、アンダーグラウンドを脱して露骨化したのだ。そして、女の側も、露骨に男に金やステータスを求めるのはもちろんだが、令和時代は恋人雰囲気も味わいたいとお洒落でスマートなオッサン(=既婚者)が好まれるようになった。そのため、「パパ」もなんだかちょっとかっこいいイメージになってしまっており、これは正義ではないな、と。そう思うしかない。彼女たちの金銭感覚は労せずして崩壊し、不必要に跳ね上がった生活レベルを落とすことができず、売春の地獄へ落ちてゆく。

このような不正義がまかり通る汚れた社会で、女はどう生きればよいのか難しい。男は欲望のままに生きるだけで身を立てることが容易だ。男に求められるのは仕事をし、金を持っていることだけである。社会も男にそれ(納税)だけを期待し、女達もそれ(奢ってもらえること)だけを求めている。なので、男は欲望を満たすためにお金を稼ぐ=仕事をする、それだけが求められてきた。日本はそんな社会である。

一方、女は安定した仕事を続けることは難しく、金が無くなればあっけなく黒社会へと転落する。女達は生きるために、金を得るために、食い物、服、ブランドのバッグ‥それらを手にするために金持ちの男だけを選んで恋愛する必要があった。消費を喚起する広告は殊更に女を標的にした。欲望を満たすためには、女は男と寝なければならない。それが後期平成のリアルだ。

より残念なのは、90年代後半に欲望のままに、畜生以下の人生を歩んだ若者たちが、今は親世代となって子供を教育していることだ。中身は子供以下で、金を持たず、部屋に引きこもってゲームばかりしてる社会性なき男は女に指一本触れられぬまま人生を終える。男(の財布の中身)に縋り、人生そのものを他人に依存する女も悲惨だ。こちらは子を残す可能性があるためより悲惨である。

そんなのが親になれたらなれたでよくわからないまま子育てをする破目となり、育てられる子供たちはヤングケアラーとなって、ダメな生活力皆無のいわゆる毒親の面倒をみる業を背負う。

このような落とし穴がたくさんの社会の中で、勝者の道を歩むのは常に高学歴でイケメンの男達で、彼らは女の愛を履いて捨てるほど簡単に得ることができ、多数の女を苦も無く囲う。女も童貞のオタクは絶対に拒絶し、調子こいたイケメンの金持ちが自分だけを愛してくれるというドリームチケットに全存在と人生を賭ける。

落ちこぼれる者達は新興の差別語「発達障害」という括りで一纏めにされ、ますます下層に追いやられ、人間として見做されなくなった。にもかかわらず、アダルトチルドレンだのHSPだのと、自分が人より繊細だの病んだ部分があるだのを自ら誇張して他者へアピールし、苦役(=労働)を逃れるための免罪符にしようとしている。これは敢えて言うが弱者の思考である。

性の解放は望ましいはずだが、自分が働く気はサラサラない女達。彼女達は金持ちをマンコで釣れないかとSNSや pcmaxに入り浸るようになった。その試みは大抵カップラーメンのお湯を捨てるみたいに無駄に終わる。それはただ自分を安売りして切り捌く行為だからである。一種の自傷であり、そのような人間が人間から愛されることは決してない。何が間違っているかもわからぬまま、徒に歳を取り、ただ食って酒を飲み、ブクブク太り始める。

令和の暗黒に堕ちないために必要なことは、①決して今手にしている職を手放さないことだ。金を稼ぐシステムを放棄しないことである。例えそれが搾取の構造であるにしても、何も持たず何もできず一円も持たない奴より遥かにマシなのである。会社に所属せねば金を稼げないなら、会社に居続けるべきだし、自営でやれるんなら休む間も惜しんで働かなければならない。そうでなければこの国は決して生きられない。そして②ギャンブルをしないこと③ブランド物に浪費しないこと④(あなたが男ならばだが)女子供を金で買わないことだ。下層に追いやられて惨めな思いをせぬためには、以上の4つのルールを守らねばならない。それは平成も令和も変わりなく、おそらく今後もずっと変わらないルールだ。

では皆さん良いお年を。

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