下層とは何かを知った話

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人間に上も下もない。人生に勝ちも負けもない。上級国民がなんだ、下層で悪いか、、、みんなそんなことをつい思いたいですよね、、、否定はしません。。安易に勝ち負け論に行っても不毛だし、人を差別することにもなる。俺もそんなことを考えたくもない。綺麗に安全に平和に暮らしてえ。この歳になるともうそれだけが願いだ。他の些事に気を回すゆとりもない。ただただ平和に暮らしたいのだ。それだけである。

人生に勝ちも負けもないのかもしれない。人に上も下もないはずである。ただ、確かに言えるのは、お金のない家庭、崩壊した家庭、不潔なゴミ屋敷でゴミの上にセンベイ布団敷いて寝起きする人間がこの世には山といることである。地方の話かって?違う。我が世界に冠たる経済大国、帝国NIPPONの中枢部、東京のど真ん中のお話だ。お話と言ってもお伽話ではない。現実だ。本当の話だ。いまや家の中は戦争である。いや、戦争が終わった後の焼け野原だ。いや、焼け野原ならまだいい。死体の山である。ドイツ軍が逃げてったあとのベルゲンベルゼンだ。破壊的で攻撃的な孤独と静寂、そして無秩序である。そして何よりも混沌である。そして狂気である。そしてさらに言えるのは、終末を予感させるような、ゾッとするような無気力である。

週に一度、仕事の都合で新宿のとある事業所で働いている。在宅医療だ。各家々をまわってリハビリや医療補助行為、生活相談を行う。コロナに罹ってないか、孤独のままに餓死していないか、自殺の兆候はないか、見張る仕事でもある。こう言うとアレだがけっこうダーティな仕事である。この世の醜い部分の85%ぐらいまでならここで全て見ることができる。

この仕事はもうけっこう長くて、かれこれ5年ぐらいやっているが、慣れちゃえばけっこう楽な面もある。給料はいいし、移動時間は息抜きだ。他の誰にも見られない空白の時間がやけに多い。それが俺の性に合っている。だからこそ長く続けているし、この仕事が好きだともいえる。

以前は大田区や川崎で働いていた。大田区もけっこうなものである。多摩川沿いの雲上の人々と、六郷土手付近の貧しい人々。世紀末的な漫画に出てくるようなゾンビのようなわかりやすい貧乏人はいないが、各家庭に踏み込むと、空前の完成度で隠蔽された建前社会の本質が見えてくる。

靴が1足置けるかどうかというぐらい狭い玄関。高すぎる上がり框(かまち)。人一人が通るのがやっとという廊下。その廊下の両端によけられた、ゴミ。ゴミ。ゴミの山。人間の足幅が15センチ?ぐらいだとしたら、本当にきれいに15センチのみ空けられた空間。両端には古臭いカセットテープ、剃刀、ティッシュの箱、おむつ、なんだかよくわかんないビニール袋、食べ残し、プラごみ、空の弁当箱、何も入っていない湿布の袋、汚れた衣類、いつからあるのあか判然とせぬような、擦り切れた段ボール、、、まさしくゴミの山。

或いは、廊下すらなくいきなり眼前に飛び込んでくるゴミの山。足の踏み場もないとは文字通りの意味だ。そこを「散らかってますね」なんておくびにも思っていないような顔をして進み、依頼人を探す。それは寝たきりで動かぬチューブで繋がれた老人、1日中オンラインゲームをする精神・発達障碍者、あるいは一見普通そうに見える老夫婦であったり、さまざまである。

自分の部屋がゴミ屋敷だと自覚している者もいれば、全くそうではない者もいる。なぜこうなってしまうのか、俺も汚部屋に住まう住民だったこともあるので、なんかわかるんだけど、結局のところ、だらしがないから、というのは真実である。とはいえ、それだけで片づけてはあまりにもアレだ。「だらしがない」の言葉の意味を分解し、読み解いてみよう。なぜこうなってしまうのか。

全てがこうである、だからそうなる、と一言で言えればどんなに楽だろう。そこに法則はありそうで無い。ただ、傾向があるのみである。貧困家庭は家が汚い、という傾向が。

重ねて言うが、もちろん、全てそうではない。生活保護だが、部屋はまあまあ整頓されているという家もあったし、逆に金持ちのはずなのに20畳ぐらいあるだだっ広いリビングがゴミの海に埋もれている、という家庭もあった。依頼人はどこかの会社の元社長で超大金持ちだったが、世界中を旅した先で手に入れた珍しい収集品の山を一つも捨てずにとっていた。その結果がゴミ屋敷である。娘と同居していたが娘は統合失調症で部屋から滅多に出てこない。それでいて大金持ちは脳梗塞の後遺症で歩くのもやっと。掃除などできっこない。でもハウスキーパーを雇ったりもしない。散らかっている、片付けなければという自覚が乏しかった。これはその例である。

ただ、ごく少数の例外はあれど、大抵の貧困家庭の家は散らかっている。几帳面な貧乏人もまあまあいて、そんなに散らかっていない家もあるが、だいたいが男の一人暮らしはけっこうひどいもんがある。また、家の中の唯一の女性が認知症で倒れた家庭も悲惨であった。もともとその女性も几帳面であったという確証はないが、男はいい加減でだらしないという傾向がある。特に母親・妻に頼り切っていたような家庭は、女がいなくなることでエントロピーが一気に加速する。それでいて、不潔で乱雑な部屋の中に一定の法則を作り、片づけるという感覚ではなくその無秩序な部屋の中に本人にしかわからない難解な法則を作り出そうとする。ある男はロフトに昇るハシゴの段一つ一つに飲み物の入ったペットボトルや、毎日飲む薬を置いていた。他人が見てもさっぱりわからないが、本人は「まだこの水は飲める」「ここの薬はこれとこれを後で飲む」と考えている。→しかし、そのことを本人もしばしば忘れたり誤認したりする

片付けを手伝おうかと申し出ると、彼らはたいていこう言う。「今度自分でやりますよ。大丈夫」と。

まあ、実際「片付けをする」なんて生易しい次元の話ではない。つみあがったゴミが、肘がちょっとあたっただけでザザー―――っと雪崩のように倒れてくるのである。ビニール袋やひしゃげたプラごみが多いので、フリクションはゼロだ。本当に、ちょっと揺れただけで将棋の山崩しそのまんまの状況に至る。ゴミを崩してしまうと「あ、すいません!」と謝ってゴミをまた出来る限り崩れる前の形に積みなおすのである。絶望の世界だ。酷い仕事である。とにかくゴミは捨てなければならないのだ。案外それだけなのである。

そんなゴミの山の中心に住まう主そのものも、「ゴミの妖精」のように見えてくる。「ゴミの妖精」のベッドの脇に窮屈に体を屈みこませ、浮腫んだ足をマッサージするのである。とんでもない話に聞こえるだろうが、大抵の医療従事者はこれが平然とできる。ブラック企業で天ぷらを延々揚げさせられるよりはずっとマシな仕事だと思う。精神的には慣れが生じるし、肉体的には窮屈で腰が痛むのを別にすればそんなにきつくないからである。

そんなわけで、俺自身も相当な数のゴミ屋敷を見たが、傾向として、

・女手のない家庭

・身体障碍による自力での掃除の困難さ

・家主のもともとの雑な性格・或いは精神・発達障害

・不潔さを苦痛としないメンタリティ

・恥の概念の欠如

・貧乏であるがゆえに物を捨てられない(もったいない精神?)

・貧乏暇なしでとても忙しいライフスタイル

・逆にオンラインゲームなどに没頭し、他のことを一切しない

・自炊をしない。食糧は全て既製品を買ってくる。その結果増える弁当がらやペットボトルをたまにしかゴミに出さない。

・不要なものとそうでないものの区分けができない

・・・などなどが挙げられる。これらの傾向がある者は、大抵の場合会社勤めもできない場合が多く、仕事もまともにできてないのでお金が全然ない。生活保護や住民税非課税世帯になっている可能性が高い。老夫婦による老々介護の場合、単に二人とも認知症になっている可能性も高く、その場合、清潔さに注意を払うことはできない。散らかっていても散らかりすぎて何から手を付ければいいのか頭が回らず、また、掃除するためのエネルギーも身体機能的な能力も不足している場合が多い。また、貧困家庭の場合は単に部屋が狭いので、ゴミを収納するスペース的なゆとりが小さい場合が圧倒的で、あっという間に部屋がゴミに埋もれてしまう。弁当がらをはじめとしたプラごみは小さく圧縮することが難しいため、ほんの1週間でゴミ袋がパンパンになってしまうぐらい膨張する。

新宿の文字通り巨大なゴミの山と化した都営アパートを6件も訪問し、最後に回る家は一等地のサービス付き高齢者住宅(サ高住という)だ。1階のロビーには二重のオートロックと、警備員、スーツを着た女性の受付がいて、訪問者にリストを書かせ管理している。セキュリティは完璧。アリ一匹入れない。エレベーターの中には外から見える防犯カメラ。広く整然とした高級な絨毯で敷き詰められた廊下を100メートルも歩き、重くどっしりとした特殊なロックの付いた扉を押し、段差のないバリアフリーとなった玄関で「お邪魔します」と声をかけ、靴を揃えて中へ入る。そこには同じように体の不自由な女性。

旦那はどこぞの企業の社長で、70を超えているのにまだ外で仕事。毎日飲み歩いているという。奥様は一人でベッドの上。リウマチに苦しみ、歩くのもやっと。しかし整頓された部屋。広い空間。埃1つ落ちておらず、天国地獄とはこのことだ。

業病に苦しめられているという意味では同じなんだが、頭金に1000万ぐらい払ってやっと入居し、毎月30万と管理費として数十万円払っているという。そうしてやっと手に入る優雅な暮らし。こんなものを見せられては、人生に勝ちも負けもないだなんて寝言は考えたくもなくなる。奥様は一切働いたこともない専業主婦で、旦那は典型的なやり手の実力派で、浮気も何度もされたと話す。「そんなの当たり前よ。そんな程度で出ていったら、自分が困るだけじゃないの。昔の人はそんな程度で離婚なんかしないのよ」とほんっと大したことでもなさそうに笑いながら話す奥様(関係ないがマコさまが何で小室クンを見切らないのかわかる思いがする)。若いころの写真見たけどハリウッドスターかよと思うような美人で、ワタクシも言葉を失った。「まあ私も若いころはさんざんいい思いをさせてもらったからいいのよ、いろんな人にいろんなところに連れてってもらったわ」と。

こう書くとアレなんだが、ワタクシはこの奥様好きなんである。客としては本当によい。小さいこと言わないし、一度気に行ってくれると、末永くリピートしてくださる。大変な太客である。40~50分ぐらい一緒に体操してあげるだけでその都度毎回5000円もくれる。人間としても魅力的で、色々な経験をしているから話も面白い。こちらの体調にまで気をつかってくれる優しさ。気持ちのゆとり。そしてめげない精神で、業病に苦しみつつも前向きで明るい姿勢がとにかく好感である。死にたい死にたいとか言われたってこっちもしんどいのである。明るい人のほうが一緒にいて楽しいのは当然だ。

そんな落差を、1~2時間のうちに見せつけられると、この世はやっぱり金なんかな、と思えてくる。答えは多分どこにもないが、最近は自分の部屋が散らかってきたらきちんと掃除するようにしている。テレワークで人に自分の部屋が見えてしまうという事情もあるが、壁に絵でも飾ろうかとか思えてくるし、不要な衣類は全部捨てるなりエコリングに売っぱらおうかと考えている。とにかく不要なものは捨てる。プラごみ生ごみは即座に捨てる。これを意識していきたいなあ、と。家がゴミ屋敷になったら、俺もフリーランスだとか言ってられないのかもしれないって思うし、家が整頓されているか否かはその人の精神性の健全さを示す指標ではないだろうか。貴方も自分の周りを見渡してみてください。

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