ワタモテ

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今更話題にするのはどうなんだともちろんわかっているが、これは一時の流行のみで終わらせるのはあんまりの愚行。実は数年前にも何度かこの漫画について書いているのだが、長らく読むのをやめていた。最近になって、あまりに娯楽が減ってきたためにスマホゲームとスマホでのコミック購買をやめられず、めちゃくちゃ買いまくってその流れで途絶えていた続刊の購読を再開した。漫画を金出して買うのとか久しぶりだったんだが、後悔はない。他にはバキの宮本武蔵編にハマったりとかな。で、シグルイの影響めちゃくちゃ受けてるのモロわかりだったんでシグルイをまた読むだろ?ついこないだ読んだばっかりだったんだがちょっとだけよと思ってたらまた全部読んでしまった(この作者はマジに不世出の天才)。すると作者の他の漫画も読みたくなったりとかしてな、、、、ぶふ~~~~

金がいくらあっても足らん。。。

えーっと話を戻すが、この「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」

誰がどう見ても気持ちの悪いロリコンアニメみたいな感じの絵柄なので全く興味そそられなかったのだが(これは完全に偏見)、何をどうしてだったんだか、もう忘れたぐらい昔だが読んだのだ。めちゃくちゃ面白い!と思って10巻ぐらいまで読んだ(どちらかというとテーマは下層人間のリアルを描いた「漫画ルポ 中年童貞」に似ている。アレも傑作)。そして最近もう10冊追加購入して15巻あたりを読み進めているところだ。大爆笑である。もうめちゃくちゃ笑える。ケラケラ笑える。最高である。こんなに笑ったのは近年記憶にないぐらいだ。

ストーリーは実は前も書いたんだが、全然友達いない暗~~~い性格の女の子が高校デビューしてモテようと頑張る話だ。しかしその見当外れで場当たり的な行動によって潰滅的な失敗を繰り返し、モテるどころか、友達どころか、会話の相手すら一人もいない、、という状況に至る。

暗~~~い現代純文学の様相である。とても笑えないのだが、主人公は性格はめちゃくちゃ暗く、コミュ障で人と話すことや距離の測り方が欠片もわからないのに、心の中では俺のブログ並みに口が悪い。そんなマジキチのクズ女ではあるが案外たくましくポジティブな部分もあり、そして生来からあまり頭が良くないのか、思い込みが激しいのか、自分を客観的に見る能力も低く、自分の痛々しさを過小評価しており、まだ挽回できると信じているのである。この主人公造形の巧みさは素晴らしいものがある。頭が悪くても鈍感な奴はこの社会で案外踏ん張るのである。繊細で神経過敏で色んなことに頭が回る奴ほど、鋭すぎる感性ゆえに自滅への道を進み、ゴーリキーみたく市場で買った安拳銃で肺を撃ち抜くことになる。古今東西変わらぬ営みが現代日本でも続けられているということだ。つまり、文学である(真顔)。

このぼっち感は一切の妥協のない完璧なもので、主人公は高校一年生にしてあらゆる道においてソロプレイ(ぼっち)を極めるに至る。唯一の友達は中学の時のオタク仲間のゆうちゃんで、この子は華麗に高校デビューに成功し、文字通り彼氏を作って性交に成功(真顔)。そんなビッチな(主人公談)ゆうちゃんは主人公の孤独感や疎外感を増幅させることはあっても癒すことは決してなく、最初は全く無害なはずなのに最大の宿敵のような存在である。それでもソロプレイヤーを極めつつもやはり人のぬくもりを求めざるを得ない主人公は、このゆうちゃんと一緒にいることで傷つきつつも離れることはできず、むしろちょっと依存するのである。この匙加減も絶妙かつリアル。

あまりに男子と話すことができず、モテるどころか弟にすら毛嫌いされている主人公は、極度の孤独の中で遺伝子の回路が狂ってしまったのか、女性に身体的な接触を求めるようになる。友達のゆうちゃんをビッチと嫉妬しつつ、そういう意味でも離れられなくなる。哀れである。。

まあ、別に同性愛も珍しくもなくなった昨今であるが、学校という空間は大陸に兵隊をピストン輸送していた時代とそんなには変わっていない。左利きが矯正されていたのは兵営で飯を食う時に隣の人の肘を小突かないためだとか(隣の人が右利きであれば肘と肘がぶつかってしまう)。つまりなんだって周りと同化することを求められる。そしてそれは会社も同じである。孤独な天才は必要なく、周囲と同化できる機械人形が求められる。ツラい社会である。個性とかは別にいらないのに、その反面没個性がなじられたりもするダブルバインドなおかしな空間。それが学校だ。よくこんなところに何年も通ったなあとしみじみ思う。

この漫画、主人公が孤独と闇にペロッと食われ、そのまま押しつぶされて死ぬ、、、わけではなく、巻を進めるごとにすこ~~~~~しずつ友達や話し相手が増えてくる。これも絶妙なテンポで、このストーリーが短い話数で展開されたら単なる駄作であったろう。しかし、前半にソロプレイの極みにまで達するその恐ろしいほどの、ゾッとするほどの孤独の描写は、コーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」を遥かに上回る荒涼とした風景で、人は人類が絶滅した惑星で放浪するよりも、賑やかな学食で一人ぼっちでうどんをすするほうが遥かに濃密な孤独を感じるのである。そして、それは多感な十代の頃だけで、25にもなると一人で何でもできるしどこにでも行けるようになってしまうのだが、この頃はそんな自分をひとかけらも想像できないのである。なんでなんだろうな~~。本当に不思議だが。

友達が一人増えると、またその友達との人間関係も生まれ、主人公は戸惑いつつも孤独の道を脱し、高校生活が残り数カ月しかないのだと気が付くに至る。そしてきたる大学生活に孤独の再来を予感し怯えるのだ(まだそこまで読んでないけど多分そうなるんじゃね?←てきとう)

この作者はどうやら、男の原作者と女の作画の2人コンビらしい。そのためか、男女のソロプレイの微妙な違いについてもけっこう濃く描かれている。この感じは「桐島、部活やめるってよ」にもそっくりで、アレが好きならこれは多分マストだ。女同士の面倒くさい距離の測りあいや、微妙な政治闘争についてもちょっと美化されていると思うがまあまあリアルで、主人公は単なるボッチだったのがだんだんとその辺にも揉まれて経験を積んでゆく。そして女集団の同性愛に酷似した人間関係も本当に興味深く、明らかに誇張されているとは思うがけっこうおもしろい(「婦人が友情を知ることはなく、婦人が知るのは恋愛だけだ」、と言ったのはニーチェだったか?)。ギャルっぽい見た目のリア充と思ってた連中も、実はしょ~~~もないことに心を砕き、本音の自分を悟られないように演技に必死・・・その辺の女の子たちの生きづらさにも言及しているのは素晴らしい。この作品を読み解くにあたり、信頼できる女性に感想を聞いたが、後半の女子同士のイチャイチャは百合描写ではなく、けっこうリアルな人間関係なんだそうである。。これは、女同士の付き合いが面倒になって男に依存する気持ちもわかるというものだ。男はヌキヌキポンだけしてればいいんだから楽勝だ。俺が女でもそうするだろう。

仕事柄、最近は中学生~大学生ぐらいの子達の悩み相談をよく受ける。彼ら彼女らは難解な生物である。。本当に難解。とはいえ、大学生はまだ良い。このあたりで客観的にせよ主観的にせよ、人は自分自身を言葉で説明できるようになるらしい。何が辛いかを語ってくれる。明確に具体的に、何に困っているのかを説明できるようになるらしいのだ。

その点高校生以下の子達は悲惨である。何言ってるのか全然わからん。。ただ感情を連呼するのみで、何が起こって何が辛いのか全然わからないのだ。話にならない程である。相談に来るだけは来るが、一言も喋らない子もいる。「はい」とか言ってそれだけで終わり、みたいな。で、「大した助言をくれないんですね」と文句を言ってくる。困った連中だ。親や教師に命令されるだけが人生なのだろう。(カウンセリングというものは原則、助言や指導をしてはいけないのである。世間はキミらの母親じゃないからねぇ。。)

しかしこの漫画を読んでいると、あの子らもこんな複雑怪奇な世界で心を削っているのかな~なんて気の毒になったりもする。少し理解できるような気もする。学校は辛い場所である。しかし、そこを乗り越えねばまともな未来はない、というこの現実。会社はもっともっとツラいからねぇ。普遍的な人間の業。純文学と呼ぶにふさわしい。でもめちゃくちゃ笑える。オススメである。

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