これが最後

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この爺さんを見ていると勇気が湧いてくる

あと3週間ぐらいで30代が終わってしまいます。

おれも高齢者を相手にして長年飯を食っていますが、色んな人に人生で一番良かったのは何歳ぐらいでしたか、と尋ねて回っているんですね。若い人は慣れないと高齢者と何を話せばいいのかわからないかもしれませんが、昔の話を聞いとけば鉄板です。色々話してくれて間が持ちます。まあ一切何も話さない人もいますが。

30代が良かったわよ、という人もいるし、そんなの10代に決まってるでしょ、という人もいるし50代という人もいました。意外だったのは、女性ほどそこそこ上の年齢を答えるということです。俺のイメージでは、男をたらい回しにできて掌で転がし放題の20代半ばぐらいなんじゃねえのと勝手に思いそうになっていたのだが、今のところその辺を言ってくる人いねえな、、、世代が違うのと価値観も違うのかもしれないしなんとも言えない、ただの経験則だが女性は40前後だと答える人が多いな。子供を産み育てて、生活も安定してきて、そこそこ裕福にそこそこ忙しくそこそこ賑やかにそこそこ充実した毎日を送っていたのではないだろうか。理由を聞くとやっぱり「子供の成長が…」「子供がそのころ高校受験が終わって…」「息子が産まれて…」など子供にまつわる話が多いですね。

ふーん、そういうもんかと聞き流しているが、男はどうかといえば子供の頃が良かっただの、そんなの10代に決まってるでしょと言ったのもどこぞの爺さんだったかな。今思えば、年寄と言っても60代と90代では二世代ぐらい違う訳なんで、90代が戦争の時代だった10代を言ってくるわけないんで、結局そんなもんかもしれない話なんだが。

俺はどうだろうと思う。わからないが一つ言えるのは、自分が年老いて、人生で一番良かったのはいつですか?と聞かれたとしても、10代20代と答えることはないだろうと完璧に請け合える。絶対に無い。10代20代は完全に下積みと言いましょうか、苦行と言いましょうか、とにかく我慢をするだけで何一つ良いことはありませんでしたし、大学出てからは経済的にも大変困窮していた記憶しかありません。かといって、親兄弟と過ごしていた時代はどうかといえば、これも不自由で窮屈で、抑圧されるだけ抑圧されていて、飯だけはたらふく食わせてもらっていましたが、自分という人間の個性を限界まで汁も垂れないぐらいに握りこんで絞りあげて、人生はクソつまらないと信じ込ませてくれた親と学校にはとてもとても感謝の言葉は出てきません。学校だの同窓会だの、教師へのお礼参りだの、俺らの世代はやってすらいないんじゃないか?年寄りの話を聞いていると定期的に同窓会に行っただの、今度行くだのの話になるが、俺らの世代より下って、同窓会、やってすらいないんじゃね? 俺が友達いなくて呼ばれてないだけだと信じたいが、たぶんやってないんじゃないか。学校出たら違う地方に引っ越したり、他県の大学に行ったり、就職でまた違うところに行ったり、忙しく働かされて土日は子供と公園行ったりさせられてると同窓会なんか行く気にもならないし、開催されて呼ばれたとしても絶対行かないなとしか思えない。例えばそんな風に考えてしまうほど、学校は俺にとって強制収容所のような場所で、舞い戻りたいなんて毛ほども思えない最悪の場所であった。小~高まで全部だ。大学だけは少しノスタルジーを感じないでもないが、当時のクラスメイトに会いたいとかは全然思わない。多分会話は食い違い、砂を嚙むような思いをするだろう。教師に会ったら愛想笑いをしながらお愛想を言って、15秒でその場を離れると思う。つうか会ってもお互いに気が付きもしないだろう。

基本的には文字通り過去を全く振り返らない人生を送ってきた。かと思えば俺は懐かしさとかにすぐに涙腺を緩ませる人間であり、人間性が無いわけではないはずである。でもなぜかそうなっちまった。あえて理由を挙げるなら、多分忙しすぎてそんなこと考える暇もないぐらい「ニーチェの馬」の馬みてえに鞭でしばかれまくってある日立ったまま死ぬまで忙しくするんだろうなって、そんなビジョンが浮かぶところですかね。

じゃあ、30代はどうなんだって聞かれたら、これがねえ、なかなか良かったんです。30手前で本格的に働き始めて、車買って、遊び惚けて、31?か2で結婚して、ま、色々嫌なこともあったけど人並み以上に快楽に塗れた生活を送ってきました。とはいえその放蕩生活は全て自分自身による日々の労働が担保となっておりまして、遊び惚けていたと書くとただの放蕩人間だが、俺は持ちうる時間の大部分を労働に捧げ、文字通り私を殺して働き、お金を得て立場を得て信頼をされて顧客を勝ち取り、なんとか今の生活を築いたわけであります。労働に支配されていたとは思うが、学校や親に支配されるよりは遥かに自由です。自由は尊いです。

で、そんな波乱万丈で自由に満ちた30代があと数週間で終わるわけなんで感慨深い、という言葉では表現できないほど毎日考え事ばかりしています。考えるだけならまだいいが、行動にも大きな影響を与えていると思う。仕事は週4に切り替えて副業始めちゃったし(当てもないのに独立することが目標になってしまって、これはこれで深く考えるほどに不安になる)、趣味も大変革です。自分の肉体のピークは多分今何じゃないか、って観念からどうしても逃げられず、クライミングでは自分の限界をとうに超えているであろう課題に挑む日々です。絶対に無理だろうと思っている壁なのに、登れないと壁の前で蹲って泣くほど悔しい。時間がないのに、、、時間がもうない、、と何故か頭に浮かぶのはそんな観念と、異常に切羽詰まった焦燥感。普通じゃねえ。まともじゃないと思う。

でも、最近考え方を少し変えてみた、、、っていうかふと別の観念が浮かんだんですよ。確かにどんなアスリートも30代を終えるころには引退しますよね。でも俺はプロでもない単なる趣味クライマーなんで、30代を終えるもう今のこの時期に、とんでもなく難しい壁を登って「あーやった!俺のピークはやっぱり今だったんだ!そしてそのピークはあと数日で終わるのか。。。これからは立場をわきまえてこじんまりとやるか、、、」ってなるよりは、40超えてから「あー?登れた?あれ?俺のピークは30代じゃなかったのか?ひょっとしてこれからが俺のゴールデンタイム?」って思うほうが良くねえか?楽しくないか、ってことである。なるほど、理屈はあってますよ。今がピークだろうというのは単なる決めつけで、ベン・ムーンは52歳で5.14cを完登したみたいである。クライミングは50代でも自分の限界を超えられるってことの生きた証明ですよね。まー安易にそんなこと言えませんが、諦める必要はないということだ。

ベン・ムーン。55歳にしていまだ現役。

でもね、そんなこと言ってあと数週間あるわけでしょ、それを「だからまーいっか。俺は40から本気出すんで」とか言ってたらそんな奴は腹の出た引きこもりのデブと同じということになるんだよ!ってそんな過激思想が脳を占拠するんすよ。苦しいですね。。。自動思考、、いつもいつも俺を追い込み、そして成長させてもくれるから厄介だ。

そんなわけなので、今日もこれからもう3週間も何十トライしても登れない悪夢のような壁を登ってくるのですが、今日こそ登ってやるぅ!などの気合はもはや微塵もないです。その段階は通り過ぎた。今日ダメなら諦めて別の課題をやろう。。。という半分以上の諦め。でも頑張るしかないんですよね。

ちなみに40までに登ってやると決めた課題はそれじゃなくて、さらに1グレード難しい課題なんで、もう40までにそれを登るのは無理ですね。1月ごろまでやれる気でいたけど、もう無理だなと感じています。だから諦めるよってことではなく、期限にこだわらずに頑張ればいいんじゃねえか?ってことです。40までに登りたい、登らねばならない、なんてのは単なる感傷でしょ?40以降に登れたら↑で書いたみてえに「俺の黄金時代はこれからだぉ(´;ω;`)」って泣けるわけですから、もうそれでいいじゃねえか。万が一40までに登れちゃったら、「偉い!よく頑張った俺!」って久々にラーメンでも食えばいいんじゃないか?ベストを尽くして、でもダメでも諦めないってことだよな、大事なのは。そのために体を鍛え、気持ちを整理し、1日500キロカロリー未満で頑張って減量してるんだからよお! 報われないと泣けるけど仕方ねえんだよ!勝手にやってることなんだから!

でも諦めるな!戦え!戦え!戦え!…

…って毎日こんな感じなんで疲れ果てますね。クライミングだけとってこれだから。仕事も仕事でこっちのほうが100倍は色々考えている。考えすぎて頭が辛い。スマホゲームでもやってるときが一番無心になってるからいいものですな。課金しなければタダだから。←これ大事

ああああ、日が沈む。。。ふっ、、、目が霞む。。。楽しかったな、30代。永遠にさようなら。

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