忍者武芸帳(影丸伝)【書評】

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だいぶ前にカムイ伝の話をした気もするんですけど、男の子ってのは人生において恐竜と忍者と大ドイツにハマる時期が絶対どっかにあるもんなんすよ(真顔)。白戸三平さんの漫画はうちにもたくさん置いてあったので子供のころからよく読んでいました。「カムイ伝」はハードコアな作品で正直きつかったですが、「ワタリ」は小学生などにも大変読みやすいマンガで一番好きでした。「忍者武芸帳(影丸伝)」はカムイ伝のハードさもありつつ、「ワタリ」のヒーロー漫画的色彩も濃かったので、マニアぶりたいサブカル大学生などに勧めたい作品。

おなじみの階級闘争史観もありつつ、忍者漫画らしい真っ向勝負なバトル時代劇でもある。

カムイ伝の話

といいつつ、俺はナルトとか読んだこともねえのに勝手に決めつけて語っちゃうんだけど、白戸三平さんの忍者漫画は、忍者をサイヤ人みたいに描かないところが一番の魅力です。

幼少期の頃に最初に読んだ忍者漫画が白戸三平だったもんだから、それ以降忍者を原理不明な超能力者として描く漫画は全部嫌いになってしまった。嫌いというか軽蔑に近い感情で、どんなに面白かろうと絶対認めたくないというか。まあ、まともに読みもしなくなってしまったので評論すら不可能なんですが。

白戸三平さんの忍者漫画は、世界観がだいたい統一されていて、だいたい戦国時代で、主人公はちょっとはぐれものの捻くれ忍者で、だいたい年貢とか悪政で苦しめられている農民たちをまとめあげて一揆をおこして支配者階級を叩きのめすというストーリーです(笑)。戦艦ポチョムキンですな。レーニン主義(笑)。支配者たる大名や城主をやっつけるために使用される手段は理知的な言論や民主主義や博愛主義などではなく、常に物理的な実力行使であり、蜂起であり、殲滅なのです。テロリズムに対して唯一的を得た対抗手段はテロリズムだと。そういう考え方ですね。少年漫画では特別珍しくもないですが。(魔王を説得しようとする勇者はどこにもおるまい。そういうことです)

「暴力は何も産まないですよ!?」とかいうのはある場面においてはまあそうだが、歴史の重大局面ではむしろ暴力こそがすべてを解決する手段として機能してきました。これは俺の考えというよりは事実がそうだと思うんで反論されても困るんすけどね。

殺しの手管に長けた者が支配者として君臨し、より殺しに優れた者がまたそいつを斃して大名となり農民を苦しめてきたわけだ。

白戸三平さんの思想性が如実に表れた一コマ

日本の寒村をウクライナ大飢饉のように

大名の暴政をスターリニズム同様に描いた

そんな人類道徳の矛盾の中で、超人的な戦闘能力を持つ忍者がヒーローとして乱世の中で頭角を現すわけなんだが、リアリズムに満ちた歴史漫画の中で超能力者や非現実的なイケメンが大活躍されても鼻白むというか、つまんないわけでしょう。だからなのかなんなのか知りませんけど、白戸三平の描く忍者は超人ではあるけれども、その使う忍法や忍術は徹底的に理屈や工夫でカバーされており、本当に実現できるかとか知らねえが、必ず種明かしがあるわけです。

読者はしばしば「ええ??なにこれ」と思わされつつ、作者自身のモノローグによる種明かしを後で聞かされ、わかったようなわからないような気持になった挙句「は~なるほど。。。。」と呟きながらページをくる羽目になるんだが、これは決して悪い気持ちではないのです。むしろ静かな興奮が胸の内で高鳴るのを感じたりとか。「す、、、すげえなカムイ。双子やったんか」みたいな。「な、、、なるほど犬万をかけられていたのか・・・」とか「ほ、、、、ほう、、、、火遁ホウセンカの術で自分自身を焼いたように見せ、土を掘って身を隠していたのか、あの一瞬で。すげえなワタリ」みたいな。そんな感じですよ。面白いっす。

白戸三平さんの忍者漫画はだいたい主人公が少年忍者なんですが、「忍者武芸帳」の主人公は影丸というオッサンで、これがまた完全無欠かというぐらいクソ強い不死身かつバケモノなんですが、なぜこう強いのか、だんだんと種明かしがあり、それを追って行くのもまた面白い。

ただ、強すぎる超人の影丸がひたすら悪をやっつけるだけの話ではつまんないでしょう。良いのは重太郎という名の落ちぶれ大名の少年が父の仇を討ちますと剣の修業をつみ、だんだんと強くなって行く、その成長する姿も楽しませてもらえることです。重太郎はそんなに強くないんだが剣の天才で、負けるたびに何かを学び、急速に成長し、さらに強い敵に負けてはまた何かを学んで孤高の存在へと昇りつめて行くんですね。最後らへんは影丸と対等な勝負をするぐらいに成長。でも、人間的には未熟で、復讐にまなこが曇るあまり道を誤り、大切な人を喪い冥府魔道へ堕ちて行く(こういうのはベジータとか、のちのダークヒーローの源流になってると思う)

物語の主人公は未完成で、欠陥があって、人間的に未熟だからこそ面白いのです。影丸は欠点ゼロのバケモノで、確かにこの漫画の主人公なのですが、この漫画は重太郎の活躍こそが面白いんですよ。最初はただの若造だったけど、戦闘で傷ついた上泉秀胤に「陰の流れ疾風剣」を伝授され、無風道人に気に入られて「吹毛剣」を体得し、しかしくノ一螢火の「地ずり斬月の太刀」に破れ、片腕を失い、しかしその戦闘経験は重太郎を更に高みに昇らせるわけだね。(同様に居合の使い手、林崎甚助も主人公の一人といえる。↑で影丸と坊主に説教されてる肺結核の剣人。敵討ちに囚われているが弾圧される農民たちの姿を哀しみ、だんだんと広い視野を持てるようになる。こちらは精神の成長を描いている)

繰り返すけど、この流れはのちの少年漫画の基本となったと思う。破れて敗れて叩きのめされて強くなって行く。男ってそういうものなんだ、と。男は最初は何も持ってないが、だんだんと高みに昇って行ける。そんな夢というか、ロマンがあるわけですな。(まあ大抵負ければそこで腐ってそれまでという凡百の輩ばかりというのが現実ですけれども

身分ばかりがご自慢の無能な支配者階級と、生まれは卑しいが平等な社会を妄執し戦う忍者たち。そして彼らは大抵どちらも無残な死に方をする。

このハードな世界で、どのように女性が扱われているのかも特筆に値します。物語には2人のヒロイン?がいて、一人は重太郎を慕って愛に殉ずる女として描かれる明美。影丸の妹です。

明美はどこにでもいる「勝手に寄ってくる美少女」なんだが(でも相手が重太郎なら惚れるのも納得だが…)、もう一人は重太郎の片腕を切り落とした伊賀の抜け忍「蛍火」ですね。伊賀甲賀においても知らぬ者のない忍者との設定なんだが、イケメンの重太郎に惚れてしまい、凄腕の忍者であるにもかかわらず情に絆されて重太郎を何度も討ち漏らしてしまう。

明美と重太郎に嫉妬し、明美を謀殺し、そのバラバラにされた無残な死骸を見て涙を流す、実に複雑な内面の人物として描写されている。

作中では完全に無敵かつ不死身として描かれる影丸に片腕を落とされつつ、その傘下の忍び達を命を捨てた術でもって皆殺しに。その死の今際に放つ一言は100年経っても色褪せぬ名言。

術か死か

そのカッコ良さに対し、死に方は壮絶。明美を惨殺した罪を償うかのように、体を切り刻まれ、何度も串刺しにされ、それでも術を完遂させるため走り続ける(人生の目的に迷いなど微塵もないのだ)。そしてそれを囲んでよってたかって切り刻む影一族(一応主人公サイド)。その情け容赦ない戦闘風景は衝撃でした。ドラゴンボールとか見て胸熱だったガキにとって、それはそれはハードすぎる世界。

まあ、以上のように、白土三平さんの漫画は女にも容赦ないですね。むしろ女は動きがトロいので殺しやすいよねとか思ってそう。後半登場する子供武装集団の内部決壊も神シークエンスで、とにかく傑作。この無残な世界に酔いしれたいお方、是非この忍者武芸帳をご一読を。「シグルイ」好きな人は多分マスト。

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