男女不平等

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「男女不平等」というタイトルで、クソフェミの皆さんは期待と不安を膨らませ、オタクの皆さんはそーだそーだ言ってやれ、と思っているかもしれない。

さー今日はどっちの側に付くんだ?!正々堂々男の味方か?女の味方のフリでCHINPO騎士団気取りなのか?

ここの読者は80%以上男なんだから、男の味方をしておけば間違いなく無難だが、過去のエントリを観ているとここの管理人はとにかく男が嫌いのようである。それでいて女の敵であるのも間違いない。でも毎回言うことが違う、一貫性がない、コロコロ主義主張が変わる、いったいどうするんだ?? 今日は何を言い出すんだ?!

ドキドキしているのは読者ではなく実は自分自身。

俺自身特別主義主張もない男でして、社会がどんな形であろうとそれに適応し、その形に収まるってのが世渡りの基本だと思っております。まず基本を真似て、ちょっとずつチャレンジする。(「守破離」といいます)無論、ワタクシはその風見鶏スタイルが幼少期よりとても苦手で、とてもとても苦労しましたし、うまくこなしてるやつを見ると今でもひそかに舌打ちしておりますが、自分もちょっとは社会に順応しないとやべえよなあ、と考えるようにはなりました。30過ぎてぐらいから。

そこでネットでも何となく物分かりの良いフリをするのが癖になりましたし、その方が女にモテるのも確かなんですよね。女はとにかく行動よりも言葉を信じる生き物。インターネットで立場を右往左往させ、うろうろ彷徨い、困り果て疲れ果てているのも女ではないかと邪推しておりますが。

こういうマクロな視点の話をすると、「女は〇〇だというけどそうではない人もいる」とか言ってあげあしを取った気になる人がいるんだけど、その辺は全部無視します。「カラスは黒い。でも白いカラスもいるかもしれないじゃん」と言った方がわかりやすいか。白いカラスもいるかもしんないよね。アルビノとか。だからといってそこで「そうだよね!貴方の言うとおり!」などと迎合し、意見を引っ込めて何も言わなければ哲学は進化しなかったでしょう。(まー俺はめんどくさくなったらすぐそう言ってますけど)

「いや、でも~~だろ?!」とまた反論し、またそれに対して反論する、こうして哲学は進化していくのです。(弁証法といいます)

それを思うと、ここで僕が何か言ったとして、匿名でメアドも載せてこない人間が何か「いや、でもこうでしょ?」などと吐き捨て、そのまま去って行ったとして、反論のしようもないですから議論にもならない。
かといって堂々と目の前に現れられても間違いなくどちらかが面倒がったり煩がったりして喧嘩になるでしょう(先に殴りかかるのは間違いなく俺。短気なので)。すると弁証法なんてすぐ破綻だ。どう扱おうと結局すぐ破綻する方法なんだから、無視するしかないですよ。

さて、んな話はどーでもいいので先に進みますけれども、女に厳しいことを言うのは無駄です(真顔) 。どんなに本人の為を思っての厳しいアドバイスだとしても、女はそれを意地悪されてると解釈するパターンが多い←経験則
甘やかされて甘やかされてやっとデフォ。それが女という生き物がどう世界を認知しているかって話の大前提。チョー基本です。基本のキ!

さて、渦巻く罵詈雑言を交わしながら、何故そうなっちまったのかって話に入りたいです。無論、これは日本の話ですよ。それも日本の20世紀後半〜現代に至るまでの話。俺の目線なんで当然そうなる。それより昔のことは知らんし、未来のことも知らんし、世界のことも知らん。だから何も語らない。あくまで今の日本の今の時代のお話です。宇宙の片隅とさえいえそうにない。ほぼファンタジーの領分だ。そう考えれば腹も立たないでしょう、多分。

何故なのかって話はストレートにいいますと、社会全体が、女を子供として扱ってきたからなのです。保護されるべきものとして。これは邪悪なる?家父長制の名残と言えます。何もかも決定するのは親父だったからです。父親が何もかもを判断し、決定し、反対論者をゲンコツで捻じ伏せてきたから必然こうなった。家の中だけではない。学校もそうでした。教師は昔は男が多かったです。学級委員長は男で、副学級委員長は女で、書記とかも女がやることが多かった。出席番号は男が先で、女はそのあと。運動会では100メートル走の花形スターは常に男であり、一番盛り上がるイベントはガチ殴り合い蹴り合いOKの騎馬戦でした。社会全体が男の子を活躍させようとし、女の子はおまけのように扱ってきたからなのです。
(令和時代の学校がどうなってるかとかは知らんよ)

何故そうだったのか、それは男の子が将来国や天皇のために外国で敵を殺すという極めて重要な役割を担っていたからです!人を殺すのです!憎くも何ともない同じ人間を!国のため、地域のため、社会のため、偉大なる天皇のため。家族を食わすため、故郷に錦を飾るため!まーなんでもいいですが、男の子は将来兵隊として外国人と殺し合わねばならぬ過酷な運命を背負わされていました。みんな。誰でも。例外なく。

学校はその養成所でした。国は強い子供をたくさん求めました。その中でも特に優秀な子は幼年学校に進学し、厳しい訓練を受け、めちゃくちゃ高度な教育を受け、将校となりました。
(昔の詰襟式の学生服なんて軍服とデザイン全く同じだしな)

まーそんなエリートでなくても、徴兵検査で甲種合格でも貰えれば学校の誇りでしたし、故郷のみんなも親も大喜びです。晴れて兵隊さん。支那事変以降は乙種合格ならまあいいか、これから謙虚に頑張れという雰囲気です。アメリカとの戦争が始まると第三乙まで入営。じゃあ徴兵検査で落第したらどうだったのって。そりゃもちろん学校の名に泥を塗ることになりましたし、故郷の恥でしたし、お母さんは世間様に顔見せできなかったですし、親父は情けない情けないと泣いたでしょう。本心はどうあれ、世間様の御前では情けねえなこの馬鹿息子!とゲンコツ食らわさなきゃならなかったんだよ。弱肉強食なんてもんやないです。そら恐ろしいほどの強者の哲学。ナチも真っ青です。日本社会では弱い個体に居場所はなかったのです。
(↑ではこういう書き方してますけど、徴兵検査で丙種不合格というのは、不治の病、身体障害者、虚弱体質、中等度の知的障害を意味しているのであります。それはそれは陰湿な差別がありました。国がこれにお墨付きを与える訳です。残酷です。)

にもかかわらず弱い個体ほど前線には行かずに済み、日本国内で隠遁するかのようにひっそり暮らしました。これがいかに恥に満ちた人生だったのか、俺も男だからよくわかる(津山30人殺しの犯人を見よ)。男がこんな風に国にランク分けされてるという時点でもうまともじゃない。

信じらんないけど、ちょい前までこの国はそんな価値観で世界中を敵に回して大戦争を起こした、狂気の国なんですね。まさしく戦闘民族です。フツーじゃあない。サイヤ人でもここまでやらないだろう。それをまずわかっていただきたい。もう一度言います。産まれた男の子は全て国家によって一箇所に集められ、兵士として外国で敵を殺すための教育を受けさせられ、実際敵を殺すために銃担いで外国へ出征する宿命を背負わされていたのです。だから男の子は強くたくましく命令に従順で、国や家族を愛し、そのために死ねるほどの純粋さを持つ必要があった。そのために厳しい教育が施された。女にも似た精神論はあったものの、本当に兵士になるわけではないので教師たちも手加減しました。クソフェミの皆さん、これは男女差別ですよ。

この事実に疑いを挟む人はいないでしょう。
だって先の大戦だけでも、国の命令を受けた兵士210万人が外地の戦場で命を落とし、その7割は適当な作戦で飯も与えられずビョーキになったり餓死したりして、名誉なんてカケラもない死に方をしたのだから。で、遺族年金貰いたかったら餓死とかそんな話は黙ってて、勇ましく戦死したことにしとけやって空気の中で、上の適当な作戦は無かったことにされてるんだからな。我々は今、それをよく知っている筈なのだ。

「んなの、おめー今は戦後なんだから関係ねーだろ」ってすぐ言う人も多分いないんじゃないか。少なくとも俺と同世代なら。

小学校〜高校卒業まで、教師に何発殴られましたか?ビンタでもゲンコツでも蹴りでも背負い投げでも柔でも何でもいいですが。

俺は多分100発以上は余裕で超えてるよ。大部分は中学の剣道部時代だけど、小学校でもビンタは日常茶飯事、教科書を家に忘れれば尻を鞭で三発打たれましたし、数学の問題で簡単な微分積分が解けなけりゃ数学教師にだって「愛の鞭」だとか言って廊下に並ばされてぶん殴られましたよ。

鞭打ち三発の刑は忘れ物をした子全てに執行されました。ミミズ腫れができるほどだった。痛いなんてもんじゃない。男の子が蹲って顔真っ赤にして人前で泣くほどだったのだ。それほど痛かった。泣く子を囃し立てる子もまたいませんでした。どれほどそれが痛いか皆知っていたからです。シーンと静まりかえっていましたよ。でもこれを免除された階層の人間達がいました。言うまでもないだろうが言わなきゃわからん馬鹿がたくさんいるようなのではっきり言う。

です。
女は基本体罰は免除でした。何やらかしても軽く叱られるだけ。せいぜい女教師が緩くビンタでもすれば学校中で噂になったもんです。体罰がなかったわけじゃないにせよ、それは男の子に行われるものより遥かに手ぬるく、頻度も少なかった。これは俺の経験則だけでなく、統計からも明らかです。俺らはそれをアリーナで眺め約12年間の学校生活を終え、お気楽な大学生活へと入りました。

当然のこととして疑問にも思わなかった。女は殴っちゃダメでしょ。誰が言ったわけでもないが、それが常識だったのです。女を殴るのは許すべからざる悪で、如何なる場合においても女を殴らずに事を済ますのは正義だったのです。

熱血漫画の主人公だって、女を殴るのは卑怯者という価値観をしばしば開陳します。大抵はどこでも通じる常識です。ケンシロウだってあれほど悪人を虐殺しているのに女は誰一人として殺しません。ラオウは無想転生を身につけるとき、「哀しみを知るため」ユリアという女を手にかけます。そして「生まれて初めて女を手にかけたわ」と泣くのです。(それでいて、ユリアは実は仮死状態におかれていただけで生きていました。しかも病の進行を止めてやったとのおまけつき)

女は殴ってもいけないし殺してもいけない。それが当たり前なのです。多分ここの読者だって大抵は納得する筈です。女は殴っちゃダメでしょ。女は保護してやらなきゃならないんだから。女の人は守ってあげなきゃならないのだ、と。そして無意識に皆が思っている筈だ。でも男は殴ってもいいでしょ殺してもいいでしょ、ってねえ。

部活動の現場ではもっと陰湿な暴力が執行されています。暴力がふるわれても皆が目にするわけではないし、教師も他の教師の目がない中で平然と暴力を振るいます。殴ってシゴいて死ぬほど走らせて、ゲロ吐くまで追い込んでくる。14歳の少年が教師に追い込まれ、道場で剣道の面をつけたままゲロを吐き、失禁しながら昏倒するのを何度も見た。それを片付けさせられたんだから忘れるはずも無い。「ひっ!ひっ!」と嗚咽を漏らし、涙と汗でグチャ泥になり、ふらっふらの足取りで掛かり稽古を延々繰り返され、それを皆で円で囲んで文字通り袋叩きにする稽古がありました。円陣稽古と呼ばれていました。殺される!と何度も思ったがやめることはできなかった。防具フル装備で背中に先輩を乗せて腕立て伏せをやらされたこともある。蹲踞を30分やらされたこともあります。途中でふらついて尻でも着こうものなら、教師にぶん殴られて投げ飛ばされ、道着の襟でチョークされて窒息しそうになりました。温度30度の屋上にある真夏の道場で、跳躍素振りを800回連続でやらされたこともある。手も上がらず足がもつれ、声は枯れ果て、それでも教師は100回終えるたびに叫んだ。「声がちいさ〜い!もう100回〜!」と。誰一人途中でやめたり、「先生!これ以上は危険です!」などと抗議する者もいない。おそらく教師が求め続ける限り、我々は最後の一人が死ぬまで素振りをしたであろう。それほど我々の心は恐怖で満たされ、暴力によって完全に支配されていたのです。(その剣道部に女はいませんでした)

なんかこうやって文字に起こしてると異常な話に思いますけど、これはフツーのことでした。我々にとっては特別珍しいことでもなく、ネタにもならないですよこんなもんわ。我々の同世代の男子は大なり小なり似た経験をしている筈です。よくあるオッサンの苦労自慢ですよ。嫌いなんだろ、お前ら?こういうの。

何が言いたいかというと、ムショが未だに明治時代の規則に縛られているのと同様に、学校もまた戦前の価値観が色濃く残っていたのですね、俺らの頃はまだね。将来外国で、分かり合えたかもしれない同じ人類同胞を、国のために殺せと教育されたあの頃のように。

きっと、本場に比べればまだ緩かった筈ですよ。「教鞭」って言葉にあるように、教育は鞭が欠かせないものだったんです。そうでなければ善悪の判断も朧な猿の群れを統制するなど不可能だったのだ。仕方なかったかもしれないと今なら思いますよ。

さて、ここで戦前の価値観の元で男たちが教育されていたと仮定しましょう。その方がこっちにとっては都合が良いからね。でも無視できないのは戦後民主主義という価値観です。男女は平等なんですよ。戦争はイくないんですよ。体罰は野蛮なんですよ。じゃあ、戦後民主主義という価値観は戦後の子供達の教育にいかに作用したのでしょうか?

外食産業の新入社員として山小屋に連れられて研修させられたとき、人事部長が言いましたよ。「てめえら、残業なんかするんじゃねえぞ。どうやったら残業せずに済むのか、無い頭で考えてみやがれ!おお!」と叫んでましたね。元自衛隊だったそうです。パンチパーマのヤクザみたいな人事部長でした。怖かったね〜。声がデカいんだよ。軍人ってのはとにかく要所要所でデカイ声を出す訓練を受けているからね。もう普通ではない咆哮なんすよ。金玉が縮み上がるほど怖かったよ。

でも言ってる内容は人道的じゃないですか?残業なんかするなよ、残業なんかしなくてもいいゼ?と言ってくれてるわけだ。長時間労働がお家芸の外食産業の社員研修で、残業するなと言ってくれるとは思わなかったですよ。俺はビビりながらもちょい嬉しかったんですよね。

じゃあ、研修を終えて現場に配属された俺が見た光景は1日15時間働き休憩10分という労働環境でした。は〜?なんだこれは、と。←しかも全部サビ残
ここで今更ながら学んだことが、日本社会は建前は綺麗なことを言うけど、現場では全然別のことをしてるということ皆がやってれば規則だろうが憲法だろうが知らねえ、って感じです。日本人ならみんなわかってると思いますけどね。

つまり、我々の時代、戦後民主主義は綺麗なお題目として要所要所で顔を出しましたが、現場を支配してるのは依然として野蛮な戦時体制だったんですよね。
まさに学生生活を振り返ってそう思いますよ。お題目はこうだけど、絶対の原則は周囲に仲間に味方に友達に学校そのものに、「迷惑をかけないこと」。体力的に劣り、皆の足並みを乱す個体は群全体を危険に晒すので厳しく粛清されるのです。一人だけ小賢しく思考を働かせて単独行動を取る個体も群れを危険に晒すので容認されません。

粛清は教師による体罰であったり、生徒同士の民間法廷だったりしました。群れに迷惑をかける個体はいずれにせよ粛清されました。体に障害を持つ子は特別支援学級、特別支援学校という「安全な場所」に追放されます。求められるのは正常な知能を持ち、体力的に優れ、群れの足並みを乱さない従順な子です。彼らこそが中国大陸で、インドで、ビルマで、太平洋の血生臭い戦場で、アメリカ人や中国人を相手に雄々しく戦った者達の末裔です。そして彼らは社会に出て、今度は求められるがままに別の何かと戦う宿命を背負わされました。

しかるに現代、日本のクソフェミの皆さんが欧米人の価値観を錦の御旗にし、日本の現状と異なるにも関わらず、むしろ自らが先進的で頭が良いと勘違いし、人類皆兄弟なんだし細かいことはいいっしょ、と遠慮なく叩きまくっている、現代の日本の男達。それって俺たちのことなんだよな。30〜50ぐらいの男たちですよ。上記のような教育を受けつつ、相反する戦後民主主義という価値観を守らされてる。それが俺たち日本男子だ。

戦後、前線は中国大陸や太平洋から、国内の経済戦争へと移行しました。武器を持って戦うことはないが、金と資源とアイディアの奪い合いだ。会社のため、仲間のため、家族のため、身を粉にして週に6回働く。毎日毎日残業し、仕事を頑張り、同僚やチームに迷惑をかけないよう私を殺す日々。家に帰って束の間の休息を取れば、妻や子供が粗大ゴミ扱いしてくる。臭い豚だと。給料袋だけ持って来いと。帰ってこなくて良いと。それが俺たちの父親だ。

息子世代の俺たちは、相も変わらぬ軍隊的な同調主義と長時間労働と精神主義に苦しめられ、家庭ではジェントルで家事も子育ても妻と同じかそれ以上に平然とこなし、女は殴らず子供にも優しく、ろくに睡眠も休養も取らずに妻がご機嫌斜めにならないよう常に気を遣い、記念日には何か買ってきてパーティーをし、休日は全て家族のために捧げる。これを笑顔でこなしてやっとデフォだという。クソフェミがグダグダごねる理想の世界ですが、こんなもんを真面目に守る意味があるとお思いなんでしょうけど、そういうVR系のゲームでも買ってきて一人でやればいいじゃねえか。村上春樹でさえ「海辺のカフカ」の後半で憤りを表明している。

日本社会においては、女はもう十分に甘やかされております。男が厳しくやられまくっているとも言えるのだが。会社も学校も、遠慮なくビシバシぶん殴って怒鳴り散らして、死ぬほど追い込んでも「押忍!ごっつぁんです!」と付いてくる男を重用します(今日のコラムの核心はここです)。ビシバシ厳しくしごかれ、限界以上まで追い込まれた男たちの集団は、営業で、部活の試合で、戦場で、高い戦果をあげました。だから必然、運動会の目玉は男子100メートル走や騎馬戦や棒倒しとなり、女よりクソ弱いにもかかわらず男子サッカーに皆が血を滾らせる。

それに対し、会社として、クラブとして、組織として団結力をどんどん強くしていき、敵を打ち負かしたいのに、マイペースな若い女は調子が狂っちまう。殴れば社会問題だし、ちょっと呼び出して説教すればセクハラパワハラだ。間違って過労死でもさせた日にゃあ、何年も何年もマスコミに叩かれる。男は殴ろうが追い込もうがいじめようが、文句も言わずに黙って働く。過労死させても誰も悲しみゃしない。組織がどちらを使うかわかりませんか?優秀である必要などない。黙って命令を聞く自動人形であれば良いのです。だったらどっちを選びますか?より重要なポストに、どちらをつけますか?男?女?どちらですか?あんたならどっちにする?どっちが甲子園に行けると思う?どっちが中国大陸で文句も言わずに村を丸焼きにできると思うかね?ん?どっちだね?

結論を言いましょう。

大抵の経営者、権力者は黙って言うことを聞き、同じような価値観でその他の男たちを統制できる、暴力的でマゾな男の子をより重要なポストにつけるのです。マイペースで、甘やかされて育ち、ちょっと叱られただけで鬱病になってツイッターに病み垢作っちまう女は適当に雑用でもやらせた挙句に煽てておけばいいのだ。

それが、世界的にみて日本で女に管理職が少なく、また女が経済的に困窮し、男に依存せねばならぬ理由の全てである。

それはそれで狂気だが、善か悪か、是か非かという話はしても仕方がない。現実はこうなんだから仕方がない。女が苦労してないとは微塵も思わないし、女には女の苦労がある。俺は公×心理×で病んだシングルマザーのカウンセリングとかしとるし、認知症のバァさんのADL訓練が長年の生業だ。女に優しくするのが仕事だ。むしろその辺は詳しいつもりなのだ。社会は是か非かは置いておいて(つうか悪いし狂っているのだが)、こうなってしまっているのだ。構造的に。

日本の男は女のご機嫌を取るような教育は受けていない仲間に迷惑をかけるな、足並みを乱せば制裁を受けるという、恐怖ばかりを学んできたのです。そしてつべこべ言わずに自分でやれ!自分で決めろ!女や周囲に頼るな!自分の身は自分で守るのはもちろん、家族の命もお前が守れと教育されているのだ。それこそ徹底的に鉄拳をもって鍛え上げられているのだ。
その大前提を無視して、理想の夫が結婚した途端マイホームのど真ん中からいきなり生えてくるなんて、そんな訳ないじゃないか。そんなことはできないのだ。頭が良いのなら何故それが分からないのか? でも価値観に板挟みにされ、やろうと努力してる男はいっぱいいる。哀れな姿だ。良い夫であろうと。不器用ながらに。その全てを悪し様に罵るのは簡単だ。ただTwitterに大袈裟に書き込めばいいだけなんだからな。

男がどうだとか考える気もないだろう。
だからこの長文は全部無駄だろう。
女は甘やかされてるの一文だけ読んで顔真っ赤にして思考停止だ。それが140以上の文字が読めないTwitter世代の現実だ。よくわかっとる。

でも誰かがきっと絶句しながら読み、何かを感じるだろう。
それでいい。

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