幸福でいたかったら

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一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい
三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい
八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい
永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい

この中国の古諺には別バージョンがある。ほぼ同じなんだが。

一日幸福でいたかったら、床屋に行きなさい
一週間幸福でいたかったら、結婚しなさい
一ヶ月幸福でいたかったら、良い馬を買いなさい
一年幸福でいたかったら、新しい家を建てなさい
一生幸福でいたかったら、釣りを覚えなさい


釣りか…

肩を壊してな〜んにも楽しいこともなく、仕方ないから走ってばかりいるけど、ジョギングは別に楽しくてやってるのではなく、汗をかきたいとか、力を使い果たしたいとか、適度に肉体に疲労を与えたいとか、そんな理由で仕方なくやっている。

クライミングはこれら全ての要求を異常なまでの中毒的楽しさで、熱狂しながら満たすことができたんだが、もはや肩の故障は引退レベルであり、似たような仕事をこなせるのはもはや走ることしかない。でも走ってるだけじゃつまんねえんだよなこれが。。

快適に走ろうと思ったら、質の良いランニングシューズと、走る時間が重要だ。断然早朝ランが好き。元々早寝早起きのジジイなんでライフスタイルにマッチするのだ。昼に走るとレジャーで彷徨く人の群れがとにかく邪魔。車も危ない。チャリも蝿。それに比べて早朝は人も車も自転車も少なく、とにかく快適。でもクソ寒いんでそれが辛いな。服装も難しい。

3キロも走ると体が温まって無限に走れるような錯覚を起こしてとにかく気持ち良くなる。エンドルフィンでも出るのだろうか。ただし、その3キロに至るまでがやたらツラい。この辛さを思えば、朝早く布団から出るのさえ嫌になってくる。嗚呼寒い…体が重い…捻挫も治ってないし今日は走らなくてもいいんじゃねえか?たまにはぐっすり二度寝してもいいんじゃねえか?誰が文句をつけると言うのか?なぜ走るんだ?30分たっぷり走っても消費カロリーは250にも満たないというのに。走っても何にもならない。持病の左膝も最近調子悪くて片足スクワットしてると痛むし。何のためにこんなことをするのか?体が故障してるんなら大人しく休めば?ほら、寝ろよ眠れよ…

…と俺も思わないでもないのだ。チラッと思うことは思う。でも最長でもそれは5秒ぐらいだ。結局眠れなくてスマホゲームやり始めてしまうと「ああ!こんな真似するんならやっぱり走るわ俺!」となってガバっとスピンきかせて跳ね起きて着替えて走るのだ。

真冬のランは冷たい空気が喘息持ちの気管にとにかく堪える。それでも走るのだ。走れればなんだか少しだけ納得し、安心し、自分を許せるのだ。ひと汗かけば朝飯もようやく食おうかという気になる。汗もかかないなら飯なんか食う必要ないじゃねえかと過激思想がすぐに脳を占拠してしまうのだ。もうビョーキです

そんなわけですが、走るのはやっぱりつまらないんで長続きしそうにない。まーもー習慣だしもー少し続けるとは思うんだが、楽しくないんで趣味とは言えない。渋々やってる筋トレみたいなもんだ。無理矢理やってる感じ。

ところで幸せってなんなんだろうか?
俺は毎日たっぷり食ってたっぷり寝て死ぬほどセックスすることだと思っていた。
しかし、俺は間違っていたとようやく気づいた。俺はお腹いっぱい食べれれば良いのだと思っていた。好きなだけ休んで眠っていれば体が楽でそれで良いのだと思っていた。いつでも好きな時にセックスできるような、可愛い女がそばにいればそれが幸せなのだと思っていた。

間違っていたと気がつかせてくれたのはクライミングだったのだ。クライミングを知り、自分が全部間違っていたと気がついた。いま俺は廬山亢龍破を食らって塵になりつつあるカプリコーンのシュラのような気分である。気がついたときには全て手遅れだ。今更人生をやり直すことはできないからである。

イメージはこれ

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そのクライミングを失い、どうするんだよこれから…と途方にくれるんだからすごいだろ。クライミング始めたのは去年の春で、まだ一年も経ってないのにもう生きがいレベルになってるんだから。その喪失感は言葉では到底表現できない。生きてても仕方ないと思うぐらい深い絶望の彼方に追いやられている。

右肩壊して代わりにできるスポーツってなんかないのかな?と本気でリサーチした。でも結局利き手を使わずにできるスポーツってサッカーとかフットサルとかジョギング系になるんだよね。一人でするスポーツの極北、水泳はそれこそ昔やり過ぎて肩壊して、その時も引退に追いやられてしまったんでできない。サッカーフットサルは一人ではできないスポーツだ。最近興味が出てたスカッシュやテニスも肩が壊れてるんなら不可能。どうすんの…となるともはや釣りしかないわけである。そこで冒頭の中国の古諺が出てくるんです。

中国人はね。今はアホなんだけど昔はむちゃくちゃ賢くて、世界がひれ伏すほどの叡智と高度な完成された文明を築いた偉大な民族なのだ。それを文革で全部破壊し、産まれてたかだか70年の独裁政権が何もかも台無しにしてしまったのだ。本来の中国人はめちゃくちゃ賢いのである。こんな有様になってしまってのは、白色人種の野蛮かつ暴力的な侵攻を前に、同じような野蛮を中国人が必要としたからである。そうでなければ中国全土が香港にようになってしまっただろう。一定のリスペクトを我々日本人は忘れてはならないのである。(そのほうが良かったじゃないかという人もいるだろうが、それは人間の偉大さに敬意を払っているとは言えない)

確かに結婚の幸せは3日〜1週間といったところだ。家買っても気分がいいのは1年やそこらで、後は住宅ローンか生活に重くのしかかってくる。車を買えば1ヶ月程度は気分がいい。でも2年も経てば車検がくる。恐ろしいほどに的を得ている。

あとは、守株待兎という言葉も好きだ。
「しゅしゅたいと」と読む。

いたずらに古い習慣やしきたりにとらわれて、融通がきかないたとえ。また、偶然の幸運をあてにする愚かさのたとえ。木の切り株を見守って兎うさぎを待つ意から。▽一般に「株かぶを守まもりて兎うさぎを待まつ」と訓読を用いる。

中国春秋時代、宋の農夫が、ある日、兎が切り株にぶつかって死んだのを見て、また、同じような事が起こるものと思って、仕事もせず、毎日切り株を見守ってばかりいたので、畑は荒れ果て国中の笑い者になった故事から。

ーー三省堂 新明解四字熟語辞典より

偶然の幸運をあてにするのは間違っている。これまではけっこう女にモテたが、もう40近いしそろそろ限界だ。こんなもんいつまでも続けられるわけがない。恋愛における出会いは偶然だ。たまたまの幸運をあてにするのは間違っとる。俺のダチにHUBで女をナンパし、愛人化した奴がおるんだが、またそんな奇跡レベルの幸運が起こるんじゃないかと期待していっつもいっつもHUBに行きたがるアホな奴が一人おる。完全なる反面教師だ。まさに切り株を見張り続けるかの如き愚行。こいつを見てたらこいつアホだなと心の底から思うんで、自分も似たような振る舞いは改めねばならない。

(本人にはこの守株待兎の故事を紹介しつつお猿さんにでもわかるように丁寧に説明したが、それでもハブりませんか?と会うたびに言ってくるんで重傷やね。性欲に人生を支配された男は本当に困ったもんだ。女は本当気を付けてほしい。でもこいつは最低だがモテるんだよね。顔が良ければ女は女で別にふざけた男でも何でも良いみたいである。だから馬鹿にされてしまうのだ)

じゃあどうするの?って釣りでもやるかな。ほんとに。よく考えたらスポーツ的要素がありつつ、奥が深そうで、肩が悪くてもできそうだし、釣れた時の達成感とかヤバそうなんで、オッサンくさいイメージはあるが俺もオッサンだし格好はつけずにやってみてもええかもな。子供の頃はルアーとかやってたってけな。残る余生は太公望みたいに釣りでもやりながら物思いに耽って過ごすか。あ〜あもうそれでいい。

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