表現の自由

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おえっ!なんだこのキモいポスターは!
顔は幼稚園児みたいなのに乳の強調されたアングルは巨乳フェチ(熟女)ポルノレーベルから発売されたアダルトビデオのパッケージみたいだ。手つきはグラドルが乳を強調するときのようなラインを描いているし、腰つきやら太もも、ケツのラインまでくっきり浮き出た、シャツを模した特殊スーツのごときものを着ている。しかもツラは変態だ。

こんなもんでハアハアしてる奴らは国の恥だ。アゼルバイジャンに強制連行し、穴掘らせて銃殺刑にするべきだ!
裁判など必要ない!
断固執行すべきだ!


…とまあ、普通の国民の反応はこんなところだろう。違う!と顔真っ赤にして擁護してるのは全部アキハバラ大好きの童貞野郎である。彼らはファンタジーの世界でチートを活用してサクッと性欲を解決する夢に首まで漬かり、もはや帰ってこれない醜い妖精ちゃんである。放置が望ましい。

つうかインターネットが普通ではないのは、このポスターがキモいなと騒がれた折に、擁護論が出ることだ。

普通はこんなポスターを擁護するなんて恥ずかしくて無理である。どんなに倫理的に正しそうな理屈を肉付けしたとしても、こんなもんを擁護してたら現実世界では永遠にセックスができない最下層のカーストへ追いやられるのは確実だ。そこまでして擁護する意味は全くない。

うわーこれキモいね、というにとどめるか、何も申さず距離を取るのがフツーのジャパニーズビジネスマンだ。

女はこれに怒る権利は普通にある。こんなもん性欲を満たし情欲を煽り、人々を堕落させるために生み出された奇怪なホムンクルスである。もちろんスポンサーはこのバケモノのポスターで何がしかの目的を達成しようとしてるのだろう。文字通り血を集めるのだ。

百人以上の札付きの富農、金持ち、吸血鬼を絞首刑にせよ(人民がまのあたりに見るように、必ず吊るすこと)――レーニン

極端に強調されたセックスの道具としての乳尻太もも。人間性など必要なく、そこには肉欲を発散する、という唯一つの目的を完遂するため計算され尽くした構図があるのみだ。

性の解放戦争を斗うつもりならば、まずは叩くべき敵の重要拠点はAV産業とアキバ系オタク産業だろう。女はザー×ン搾り取るためのミキサーみたいな役割しか与えられていないからだ。俺が女だったら腹立つなーと思う。

《健全文化推進省》を設立し、拳銃と警棒の携帯を許可された捜査員を数十万人徴集し、ゴミどもを叩き込むための強制収容所を全国各地の海沿いの町に建設すべきだ。捜査員は労働忌避者の引きこもりのニート達が良い人的プールとなるだろう。

……という妄想は置いておくとしましょう。
もうやめてよっ
ウチ童貞のお客はんがぎょーさんおますんやで?

まー実際俺も最近驚いたんだけど、愛知トリエンナーレでね。天皇の肖像画を燃やしたりとか、国のために死んだ日本兵を侮辱したりだとか、慰安婦像を平和の像やと展示するのが全くのリーガルで、これに反を唱えたらナチ扱いという空気をアリーナでつい最近眺めたんすよ。

そうなんか。。ヘイトとかあからさまな政治アートでも、表現の自由の名の下になら、公開できるんやな。。「表現の自由」…すげえな、「表現の自由」。。

月並みかつ頭空っぽな男なもんですから、それはそれですぐ忘れていたのだが、この「宇崎ちゃん献血事件」である。。俺が個人的に一番腹が立ったのは、「友人のフジワラくんが手コキ専門風俗嬢といい仲になってホテルに行ったり、ハッピーメールでひっかけた37歳のドMの人妻とセフレ関係になったり、前にフラれた女とヨリを戻したりだとか、明らかにモテ期が来ていること」だったんだけれども、それに比べたらこんなもんどうでもいいんだが、ブログもなんか書かないとまた寂れても困るからさ…仕方なく書いている。ウチのお客はんはこういう毒舌が好きらしいんよ。。。ごめんな、本当は主義も主張も何もないんよ。どーでもいいんやけど一応これも副業だからさ……

というわけですが、愛知トリエンナーレと宇崎ちゃん献血事件は似てねえか?←説得力ゼロ

まー、俺はあからさまな政治的偏向と、人を侮辱するようなヘイト表現はアートの皮を被ったアンチアートだと勝手に思ってたんすけど、愛知トリエンナーレのアレコレを見る限り、別に主催者は叩かれてはいるものの警察に捕まったりとかはしてないわけで、これは合法なんすね…当然ちゃ当然なんだが。。逆に逮捕されたら怖いけどさ…

だから、表現の不自由展とはいうものの、「合法だけど人々に叩かれる作品」を集めた展示会というわけでしょう。

対して献血ポスターの宇崎ちゃんは、明らかに性欲を満たすためだけに生み出された可哀想な非実在慰安婦と呼んで良い存在だろう。気の毒である。宇崎ちゃん可哀想すぎだぜ。よりによってキモオタのオナペットとは…どうせならイケメンとセックスさせてやればええのに…←ヘイト表現

愛知トリエンナーレは人々に疎まれる作品を意図的に集めた、のに対し、日本赤十字社はアンリーガルとは全く思わず人々を大量に動員するために無邪気に使用した訳なんだが、こう書くと少なくとも意図は全くの正反対である。

しかし、どちらも表現に関して色々な問題を提起したのは確かだ。俺は愛知トリエンナーレが、朝鮮人アーティストの日本怨嗟の作品群の巣窟なんだろうと解釈してしまったが、実際足を運んだわけじゃないし何も言えないなーと思っている。「チンポム」とか聞いてまたチョーセンか?!と思ったら全然違うみたいだし(笑)。不謹慎ネタで意図的に炎上させてウケを取ろうという集団だ。映画秘◯と同じである(笑)。

だいたい、アートはなんとでも言い逃れができる。便利なものだ。「平和の像」と名付けられた慰安婦像だが、日本人ヘイトだ!と解釈したら「いやいや?これは平和の祈りを捧げた作品だゼ?」などと簡単に言えてしまうのだ。これは日本人は納得が行かないだろう。慰安婦像はもともと米軍装甲車に轢かれた少女が元ネタなのだし、慰安婦自体が歴史的に賛否の分かれる題材。(是非についてはここでは何も主張しないことにする)

献血ポスターも同じだ。いやらしいエロ漫画広告じゃないかと言ったら、「いや?服は着てて肌は露出してないし、どこにもいやらしさなんか無いゼ?」なんて言えてしまうのだ。(ホントにこんなん言われたらドン引きしますけどね)慰安婦像と宇崎ちゃん問題の似てるとこはここであろう。

しかし、思うに、アートは弁明の機会など与えられないのが普通なのだ。
制作者サイドや擁護者がどう言ったところで、それらの作品を見た人々がどう感じたのか、というのがやはり大事である。むしろ、制作者サイドが「いや?この作品は本当はこれこれこういう意図があって〜」などと作品の外で言葉で弁明するなど恥ずかしいことじゃないか?だったらそう思えるように表現しろよ、って話になる。まあ、向こうは向こうで「いや?そこがアートなんだゼ?」などと無限に言い返せるわけだが。

宇崎ちゃんにせよ愛知トリエンナーレにせよ、観客が感じた率直な感想を製作者や擁護者が叩く構図が顕著だ。わかってない馬鹿な大衆、みたいな言い方でアホ扱いする。これは見苦しい。是非やめるべきである。「そう感じたのか…そうか…」と反省してより良い作品を生み出す原動力にすべきじゃないかと思う。

それに大事なことなんで強調するが、宇崎ちゃんキモいなとか感じるアレコレや、愛知トリエンナーレに対する様々な意見。これももちろん「表現の自由」によって保証される。

表現の自由、言論の自由といっても憎悪表現、政治的扇動だけは駄目だろうとワシは思っていたが、愛知トリエンナーレの審査委員のジジイが言ってたが、それらも表現の自由の範囲内なんだってよ!おもろいこと言うなあ、と思ったよ。じゃあチョーセン叩くのも大衆を馬鹿にするのも全然リーガルってことになるんだよな。日本人叩くのはオッケーでチョーセンは駄目よ!ってそれ絶対おかしいしな。オーケーなんだって。リーガルなんよ。桜井誠は狂喜すべきやんけ。良かったな、このブログもしばらくは存続できそうやし。

まーこのゆるゆるガバガバな「表現の自由」の概念は、日本や一部の国でしか通用しないことは覚えておくべきだ。

ドイツでは「戦う民主主義」というスタイルをとり、ヘイトや政治扇動は民衆扇動罪や侮辱罪として逮捕されるものだし、イスラム圏では当然宇崎ちゃんみたいなのはアンリーガルだ。

西欧でもチャイルドポルノとして禁止となる可能性が高い。宇崎ちゃんはそんな危うい表現なのだ。自分の半径数メートルだけで物事を語るのは見苦しい。

まー何が言いたいかって、合法か非合法か、大丈夫か駄目なのかって視点だけじゃ駄目なんすよ。限界がある。TPOというか、見苦しいかそうでないか、っていう法の外の価値観も大変重要というわけだ。ヘイトや政治扇動は(日本では)合法かもしれんが、やるべきじゃない。見苦しいし、倫理的に明らかに間違ってるからだ。

女を肉奴隷みたいに扱い、それを商品として大量に生産するのも同じだ。合法だし儲かるかもしれないが、見苦しいし倫理的に明らかに間違っており、やめるべきだ。

表現は法律の話だけでは解決できない。そのために「道徳」や「倫理」という言葉がある。

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