現実と幻想

シェアする

最近はブラック企業に提供する労働の時間以外はほぼ全部家事に追われるか寝ているし、僅かばかりのプライベートは親しい人々との時間に捧げている。「万引き家族」以来、たぶん一本も映画を観ていないし、趣味的なものってほとんど何もしていない。ネット民から言わせれば哀れな社畜である。


現実社会に追われているといえば追われているのだが、仕事は楽しいしやりがいを感じている。だからこそ一生懸命にやっている部分も大きい訳で充実してるのは間違いない。人は社畜と憐れむだろうがそんなに辛くはないしけっこう毎日元気にやっている。

ただし、現実が充実するとどうも幻想世界での生活が荒廃するらしいとわかった。昔、苦学生だった頃も現実が忙しすぎて幻想が荒廃した(というかネットでの生活は廃業となった)。あの時は充実してたとは言い難かったが、要は現実の時間を犠牲にして幻想での生活をやりくりしてたのはあの頃も今も同じなんで、生活に追われて時間を捻出できなくなり幻想世界を維持するのが難しくなったのである。

今またその岐路にいるのを感じる。朝起きたら家のインターネット回線が死んでいた。いきなりである。ただ、繋がらない。昨日まで普通に繋がってたんで、機械の問題ではなさそうである。朝の時間、十分ほどコード類をいじくったり、モデムを電源繋ぎ直したりとかしていたけど、「まあいいか」とひとりごち、俺はいつものスタバへと向かった。そこで回線を復活させるために時間を使い、NTTに電話したりとかしてたら今日はこのブログは書けなかったであろうし、生活のために行うアレコレも何一つできなかっただろう。スマホで電波は使えるし、スタバに来ればWi-Fiも使えるんだしな、と家のネット回線はもはや優先順位としては下の方なのだ。なぜいきなりダメになったのかさっぱりわからないが、暑さでモデムが死んだのかもしれない。モデムの交換なんてどうやってやればいいんだかわからないし、NTTのどこへ電話すればいいんだかも調べなきゃ全然わからない。極度に複雑化されたシステムの中で、ひとたびエラーが起これば色々なものがドミノ式にうまくいかなくなるのはしょうがないのだろう。実際回線が死んで困ることなんて特にないのである。ネットはスマホで見ればいいだけだし。

これと似た話で、最近はニュース見てても株の動きと天気予報しか見ていないのでアレである。終わることなく続くくだらん政治ショーや、トランプや北朝鮮の豚がホりあったり罵り合ったりしてるのを見ている暇はない。そんなわけで世の動きに疎くなりまくりなんだが、日本のマスコミが独自流に勝手にチョイスして垂れ流す情報を有難がって正座して見るなんてよく考えたら馬鹿馬鹿しい行為である。自民党がLGBTをどう言おうが興味もない。勝手にやっててくれとしかいいようがない。俺の生活には一切関係ないからである。

とはいえ、最近は「世界報道写真展2018」という展示が恵比寿ガーデンプレイスの「東京都写真美術館」で期間限定でやっていたのでギリギリセーフで滑り込んで観てきた。
https://www.asahi.com/event/wpph/
世界中の約100会場で開催される世界最大規模の写真展「世界報道写真展」は今年で61回目を迎えます。今回は125の国と地域から4,548人のフォトグラファーが参加し、73,044点の応募がありました。その中から、「現代社会の問題」、「一般ニュース」、「長期取材」、「自然」、「人々」、「スポーツ」、「スポットニュース」、「環境」の部の8部門において、22カ国42人の受賞者が決まりました。
「一般ニュースの部」では、イヴォール・プリケットがイスラム国(ISIS)からのモスル奪還を巡る戦闘に巻き込まれる市民や廃虚と化す街を捉えています。また、「人々の部」ではイスラム過激派「ボコ・ハラム」の誘拐から逃げだし、自爆用の爆弾から免れた少女たちの姿をアダム・ファーガソンが撮影しました。このほか、密猟者からの保護のため自由を脅かされざるを得ない動物、大統領に対するベネズエラでの抗議活動の模様など、世界の「いま」を克明に伝える写真の数々を紹介します。

……とのこと。

日本のマスコミがろくすっぽ伝えぬ世界の現実を切り取った報道写真の数々を展示している訳なんだが、久々に刺激的な良い体験だった。やはり昨年度はテロが多かったんで写真もそれ関係が多かったように思う。

暴力と恐怖を利用して目的を達成しようとする行為は太古の昔からあったし、今も政治運動として最も有効な方法の一つだ。「暴力は何も産みません!!」というものの、現在世界のスタンダードは米英軍の黙示録的なテロ空爆の賜物である。もうこの辺の話は何度も何度もしたんでもう今回は黙るのだが、勝者が歴史とスタンダードを作るのは何も今に始まったことじゃない。人類は戦い殺し歴史を紡いできたのだ。このような暴力で築かれた理想社会に暴力で挑戦しようとするのは不思議なことでもなんでもない。今後も暴力は何かを主張するために最も有効な方法として残り続ける。残念ながら白人スタンダードに甘えきった我々がこれに対抗する手段もまた暴力しかない。学校で女子を拉致し、集団レイプした末に爆弾括り付けて人混みのど真ん中に投げ込むようなテロ集団に話し合いを呼びかけたって無駄というものである。そんな奴らはより一層の無慈悲でもって殺すしかない。

ツイッターやフェイスブックは今後も人間の心を一つにまとめるために機能するだろう。個々の瑣末な思いは無視され、何がしかの巨大な意志に従うように仕向けられる。誰かを憎み、誰かを軽蔑し、誰かを崇め奉るように扇動する者が無数にいる。価値観などに心を左右させる必要はない。正しさなどもはやどこにもないからだ。何かがあるとすれば、生活を脅かす暴力が迫ってくるならば、守るために戦うしかないということだ。洗脳された狂ったディストピアだろうが数百年に一度のミラクルピースだろうが、腹一杯食えてグダグダ好きなこと言ってられる生活は尊いのだと腹を括るべきだ。この生活を脅かされるのならば戦争しかない。話し合おうと崇高な言葉で呼びかければそのだらしなくひらいた大口に銃弾撃ち込まれるのが関の山。白人スタンダードの内輪でゲイはいいだの悪いだの、自民党がいいだの悪いだのと、全部くだらん。戦うべきはスタンダードを破壊しようと襲ってくる野蛮人どもである。子供に手を繋がせて地雷原を歩かせるような、チャリティーライブのど真ん中に爆発物を持ち込んだり、花火大会にトラックで突っ込んでナイフ持って乱入したり、高層ビルから短機関銃で人々を狙撃するような、市民病院に毒ガス弾を撃ち込むような、そんな鬼どもである。矛先を見誤ってはいけない。今我々が戦い、殺すべきはこういう連中なのであって、ゲイの結婚なんて勝手にやってろとしかいいようがないのだ。

まあ、そんなん言いつつも、日々の生活を守るために最も必要なのは労働であります。労働こそが至上。労働を奪われれば死ぬしかありませんし、これは体が何回か壊れたとしてもやるっきゃありまてん。ちょっと嫌なことあったからとすぐやめるわけにはまいりまてん。。俺が最近最も危惧するのは、SNSが普及してからというもの日本人の甘え癖はより重症化してるということだ。「自分は1ミリも努力しないし傷つくことに耐える気もないし我儘も言いたい放題だけど世間がそれを受け入れなくてムカつく、悲しい、憤る!という手合いが急増殖している」のにははっきり危惧を表明する。んなもんタダのガキの世迷言やろ。つうか幻想。利益を得たいのならば現実と戦い、殺し、そして死ね! 火中を歩まねば焔の祝福は受けられないぜ。