吸血鬼とカルチャー

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最近押し入れの奥からポロリと出てきたフランシス・フォード・コッポラの「ドラキュラ」のDVDを観ていて、その耽美かつ官能的かつおぞましい絵作りにしみじみと感動してしまった。なんて美しくて不気味な映画だろう。「エクソシスト」を思わせるざらついたフィルムの質感まで全て素晴らしいと思ってしまった。特にゲイリー・オールドマン演じるドラキュラ伯爵の下僕として登場する三人の女ヴァンパイアが最高。後にも先にも映画で描かれた「吸血鬼」でこれを超えるものはない。登場時間は短いが、キアヌ・リーブスがこの3人に襲われるシーンは我が映画人生で最も好きなシーンのひとつだ。

「吸血鬼」なる存在にいたく興味惹かれるようになったのは小学生も終わりの頃である。きっかけは完全に「ジョジョの奇妙な冒険」だったのだがすぐにブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」という19世紀に書かれた娯楽小説の古典に行き当たった。おれはこれを心底ゾクゾクワクワクしながら読んだ。素晴らしい読書体験。

同じような興奮を味わいたくて漫画や小説を中心に、吸血鬼が登場する作品はそれこそ片っ端から読んだが、なかなかマニアック趣味に傾倒する小学生を満足させることはできない。しまいには吸血鬼カルチャーが如何にして生まれたのか、なぜこうまで血を吸う化け物が登場する変態的な題材が大衆の心をつかみ、いちジャンルとして確立されるに至ったのか、調べに調べ、大人になってからもついつい吸血鬼系の題材の作品には傍耳を立ててしまう。

でも、いわゆるアクションとしての吸血鬼、例えば映画「ブレイド」や「アンダーワールド」みたいな、SFパニック+アメコミ調にクロスオーバーされたジャンルはまったく好みでなく、ガキっぽいなと感じてしまう。

映画として人生にいたく影響を受けたのは、「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」で、トム・クルーズとブラッド・ピットの二人のセクシーな吸血鬼が永遠の黄昏を生きるという耽美にもほどがある美しくせつないお話。これを観てあまりに感動したので、アン・ライスの原作小説「夜明けのヴァンパイア」やその続編小説を読み漁ったが、「夜明けのヴァンパイア」はまだ良かったが(ベストセラーだからまだ読みやすい)、原作者がそもそも腐女子?なのか、続編小説も同性愛描写がくどくてくどくて心底嫌になった。映画のイメージまで全部ぶっ壊される勢いで、「これってホモ小説だったのか…おれはホモ小説に夢中になってたのか…」と愕然とした覚えがある。事実、読者の大半は今でいう「腐女子」達やゲイだったらしく、吸血鬼ものには性的倒錯要素(ソドミー、カニバリズム)が濃厚に絡むことがあり、そういうのは嫌いなんだよね。なかなかわがままだろ。

ま、そんな感じで無名作家の書いた吸血鬼もののアンソロジーまでチェックするレベルで、吸血鬼に完全にはまりきっていたのが中学生ぐらいの頃だ。なんて暗い中学生だろう。

「ゾンビ」も各作品でルールの暗黙知みたいなものがあるが、吸血鬼ものにも数多くの暗黙知のルールがある。まず、吸血鬼は不死身、怪力、死にかけても血を吸えば復活、日光に弱い…などなどあるものの、だいたいブラム・ストーカーのドラキュラの設定をそのまま踏襲しているだけ。その紋切り型が良いわけで、いかに「ドラキュラ」が影響力を持つかわかるだろう。じゃあ、「ドラキュラ」はどこから生まれたのかってとこまで哲学すると「吸血鬼カーミラ」はもちろんのことながら、ルーマニアやユーゴスラヴィアなどのバルカン半島や、ロシア、ポーランド、ウクライナなどスラヴの民間伝承から生まれた吸血鬼信仰が根底にあると気付かされる。ストーカーは古いスラヴの民話を大衆向けのお話に作り替えただけ。これがイギリスという当時の世界帝国で大ヒットし、類似作が数多作られた。吸血鬼モノは当時の流行だったのだ。

スラヴ吸血鬼信仰についての数少ない日本語文献として、以下を勧めたい。

おれは表紙違いの古い判型を持ってるが、中身は同じである。これはとても良い本。東欧諸国の吸血鬼信仰をまとめた内容で、各国ごとに微妙に異なる伝説(或いは民話)としての吸血鬼像をキッチリ日本語で説明してくれる。言葉にも神経質で、「吸血鬼」の各国ごとの呼び方の違いなども完璧にまとめている。またバルカンで著明だが、人狼信仰とミックスされているという話やなぜそのように伝承されたのかという部分まで深く考察。今後数十年これを抜く吸血鬼研究本は現れないと思われる。

吸血鬼信仰は土葬文化が大前提。医学が未熟な時代、人の死を確定できず生きたまま埋葬された仮死状態の者が墓から蘇ることがあった。これは不吉なこととされた。いつしか、死者が墓から蘇り生者を襲うという民間伝承が生まれた。また、当時は説明不可能な伝染病、特にキリスト教支配圏では鼠を媒介する黒死病の恐怖から、鼠や狼を使役し、死を撒き散らす神の敵としての吸血鬼像が生まれる。血を吸われた者は同じく吸血鬼となり、恐怖を伝染させるのだ。

「ドラキュラ」は今読んでも胸踊るストーリーだ。イギリスの知識階級の青年が、ロンドンに土地を求めるルーマニアの大貴族の城に召喚されるところから物語が始まる。この旅は実にクルツの「闇の奥」的というか、もっと単純に「地獄の黙示録」的である。都会の知識人が闇のベールに包まれたエキゾチックな土地へと侵入し、おぞましい現実を知る。コッポラが映画化を手がけたのはごく当然と思わされる。

ルーマニアという土地は世界帝国グレートブリテンから見ればとんでもない毛外の地。険しい地形。深く暗い夜の闇。狼や鴉、蝙蝠などの野生動物。地主貴族の犬となって乱暴狼藉を働くロマ・シンティの人々。ドラキュラの下僕として薄気味の悪い存在感を放ち続ける三人の女吸血鬼も半分は幽霊のような、半分はクリーチャーのような存在としてヘルシング教授をはじめとした主人公達を脅かし続けるが、コッポラの映画で素晴らしいのはその衣装だ。ルーマニアの伝統衣装なのか、どこかトルコ的というか、歴史上オスマン帝国に侵掠を受け続けたバルカンらしい東西が美しく邂逅した見事な衣装である。この三人がいかにしてドラキュラの下僕となったのか実に興味深いところだが、ドラキュラの知名度にもかかわらず今日に至るまで明らかではない。スピンオフの一つや二つ作られてほしいものだ。

吸血鬼はニンニクや十字架に弱いし、昼間は棺桶の中で寝てるだけなんで弱点だらけでとても弱い。しかし、本当にもし存在したら、という恐怖がストーカーの小説にはある。「ヘルシング」などは馬鹿馬鹿しすぎて本当に存在したらなどと空想する気にもならないが、ストーカーの小説は冒険小説なんだが、実に主人公達に感情移入しやすく書かれており、ワクワクゾクゾクしながら読める。コッポラの映画はこれを完璧に映像化しており、なおかつ吸血鬼ものが持つ耽美さというかゴシック要素もセンス良く取り込まれており、「夜明けのヴァンパイア」以降おなじみの同性愛描写も全然ないのでサクッと観れてしまう。

キャストも超豪華で、ウィノナ・ライダーやアンソニー・ホプキンスなどなども登場し、なおかつ女吸血鬼トリオはまったくの無名の美人女優で統一し、きっちりルーマニア語を喋るという完璧な世界観形成。ゲイリー・オールドマンの毛沢東ヘアも今となっては微笑ましい、とにかく映像に力のある、これぞ映画だ!映画の持つパワーだ!とパンツ下ろして走り出したくなるような、とても良い映画。観るよろし。原作も読むよろし。