差別用語?

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差別用語に関しては個人的にはくだらね~~と思っております。

チョンとかニダとか、スラングってのはハナっから汚いし悪いし言っちゃいけないってのはわかりきってるんですよ。

交通事故→あぶない

戦争→よくない

宿題→しなきゃなんない

差別用語→けしからん

というのとほとんど同じ話であって、鬼の首取ったみたいに人が差別語使ったらウダウダけちつけるのはナンセンスである。言って良いか悪いかは個々人がそれぞれで判断すればよい。

この世の中、言うべきでない言葉ってのはクソみたいにあるんですよ。溢れておさまらないぐらい、とんでもない数あるんですよ。それらを一つ一つハントしてって、分厚い「言っちゃいけない言葉辞典」を作ったからって、それはもう本当にそんなことする奴がいるならもはやサブカルの範疇ですよ。勝手に作ってコミケとかで売ればいいじゃねえか。なんでそれを他者に強制すんかなあ?てめえが朝鮮人でキムチ野郎と言われたんならほんとにぶん殴ってもいいけどよお。

だいたい手塚治虫の漫画だって、白土三平の漫画だって、汚い差別語とか今じゃあり得ない表現ばっかりじゃねえか。カタワだのメクラだのビッコだのよお。黒人は肌をベタで塗りつぶしたりとか頭悪そうなキャラ造形にしたりだとか。それを一個一個ケチつけて修正させるなんてナンセンスだからやめてくれよ、って思わねえか? おれは思うんだよ。そういう汚いスラングも含めて歴史を感じるからよお。ああ、こういう言葉が普通に使われてた時代なんだナ~ってそういうのも含めて作品を鑑賞してるんだから邪魔しないでくれと言いたいよ。

そもそもこの手の話はアンフェアなんだわ。歴史小説とか目立たないジャンルだったら汚い差別語出てきても誰も文句も言わないもん。おれだって書いてる小説はだいたい大昔の戦争の話ばかりだし人種差別や階級差別を描いた場面は山ほど書いたよ。こないだすばる文学賞で二次選考通過した作品はノモンハン戦が舞台だったから、『露助』って言葉は山ほど使ったし、捕虜や少年兵を軍刀でなます斬りにしたり、裁判なしで銃殺にしたり、スコップで殴り殺したり、笑いながら射的の的にしたり、そんなシーンもたくさん書きましたけど、全然表現的にオーケー、つまりセーフだったから予選通過したんでしょう。ホロコースト小説だってユダヤ人をぶち殺すシーンはどんぶりいっぱい描きましたし、『ユダ公』とか『虫けら』とかそんな言葉は山ほど使用しました。それを一個一個下品な表現だからやめなさいとかTwitterによくいる人権警察サマに言われたらすっげえうざいっす。そういう差別語が平気で飛び出すような不穏当な時代を描いているんだから、差別語も立派な描写の一部なんだよ。勝手にタブー語にするんじゃねえよと。小説は描写の連なりで成り立ってるんだから、表現形式を制限されるのはとてもうっとおしいんだ。映画だって同じだろ。

だいたい、スラングをわざと使ったり、差別語をあえて使用するってのは最近のサブカルのバイオレンスを持ち上げる風潮の延長だろ? まあ、ヤクザ映画とか人食い映画とかを神聖視するのは勝手だよ。不穏当で不謹慎で、デタラメに満ちてるから面白いし笑えるし楽しめるしカルト化するわけだよ。でもそうやって暴力は神聖視したままなのに、ポリティカルコレクトネスなるクソつまらん白人が自らの血塗れの歴史から目を逸らすために突貫工事で作った概念をありがたやありがたやと日本人が崇める必要はないのに、人種差別をにおわせる言葉にだけピリピリと神経尖らせて、人が人に暴力をふるったり、差別したり、拷問を加えたりするシーンは、創作なんだからいいんよ、とまるごと認めている。わけがわからん。

だいたい、この百姓野郎!なんて言葉も普通に差別語だし汚いスラングよ。ポリコレを忠実に守るならハートマン軍曹の台詞を面白がって真似るのもどう考えてもセーフじゃねえだろう。馬鹿も阿保もボケもタコ野郎も全部人を罵る下品な言葉よ。使っていいか悪いのか、悪いのはわかりきっとる。でも人はそれをしばしば使うし、使われるに必然な場面ってのもまたある。使ったからといって「お下品ね・・」と眉を潜める程度なら人の勝手だが、勝手に正義を名乗って粛清しようとするのはやりすぎだ。おれが言いたいのはここなんだよ。

ポリコレって物わかりがいいようで、表現の自由をガンガン狭めるし、きりがない上に基準が曖昧だから人を叩くために恣意的に利用されるのが大問題よ。その言葉はけしからん!って、言い出しっぺの人間が一般人なら誰も相手にしないが、有名人だったらそれに乗っかる権威主義の百姓(おっと失礼)が大量に現れて、魔女裁判みたいに言った奴を集団でなぶり殺すわけだから、こんな野蛮な真似はしちゃいけない。言葉の内容云々ではなく、著名人様の憎悪に馬鹿な大衆(おっと失礼)が扇動されてるだけなんよ。

その言葉は差別よ、とか汚すぎるから使うべきじゃないよ、とか、人に指摘するのは相当慎重にならないとダメ。下手したら物凄く攻撃を加えることになるし、結果次第では人々が自由な表現に対して臆病になるかもしれないしな。

今、医療や介護の現場でも「障害者」という言葉は差別語で、「障がい者」「障害のある人」と表現するのが望ましい・・・そう主張する人がいる。

「精神病院」という言葉はイメージ悪いから、「精神科病院」と表現すべきだという人もいる。(わけがわからん)

でも「ドグラ・マグラ」では「癲狂院」とか「キチガイ」とか、そんな不穏当な言葉がいっぱい出てくる。それはそのままにしとくべきやろ? 言葉を消し去ると歴史を忘れることになると思うんよ。「癲狂院(てんきょういん)」って言葉は今では廃れすぎて、ほとんどの現代人はそもそも意味がわからんやろ。言葉が消し去られ、歴史が忘れられようとしてるんだわ。そういう言葉が使われた時代の、そういう「空気」をな。

「イスラム国」を「IS」と呼ぶべきという、一時期NHKが流行らせようとしたのに似てるやろ。(もうNHK以外は誰も構ってないけどな)

くだらんで。。。やりだしたらキリがないし、最後までケツ持って表現を統一しようと頑張る奴も居らん。。。ポリコレや言葉狩りは、思い付きで他者を攻撃するための最もお手軽な破壊兵器や。リベラルぶりたいんならそんな野蛮な真似はしてはならん。

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