赤い大公 ハプスブルク家と東欧の20世紀

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とあるお客さんに「レビュー系の記事が全然ウけなくてやる気が起きないんすよ」と相談したら「レビュー系の記事はその作品を観て(読んで)ないとつい後回しにしてしまう」と言われてハッとした。

そう言われてみたらそうですよね、、、、おれもレビュー記事読むのって、その作品を観て色んな感情を想起して、他の人がどう感じたのか確認したい、、、、と感じた時に探して読むよなあ、、、しかも無意識に自分と似た感想を持つ人の記事を面白く読む。知らない映画や本のレビュー記事を読んで「おんもしろそう~~!!!」と感じることはほぼない(笑)。

自分がそうなのになにを期待していたんだろう、、、

じゃあ、おれが思うに、その本を読まなきゃ楽しめないレビュー記事ってのは全然ダメだよなあ、、、じゃあどうすっかなあ、、、と考えもまとまらないまま見切り発車するが、「赤い大公 ハプスブルク家と東欧の20世紀」のお話をしたい。イェール大学教授ティモシー・スナイダー博士の最初の翻訳本。書かれたのは2007年ぐらいと思われる。

これはヴィルヘルム・フォン・ハプスブルクを主人公にすえ、その親子兄弟親戚関係を絡めて、20世紀前半の動乱のヨーロッパを語り尽くした、伝記本と歴史本を兼ねる内容だ。

もう本の内容を語ってもどうせみんなポカーンとするんやろ? だったらもうそんな話はしない。訳文もカチコチのクソのように固いし、誤字脱字まである。この手の本で脱字を発見するのはけっこう珍しいと思うんで、あまりに訳文が固いから、校正する役割の人も適当に読み飛ばしていたに違いない。また、299ページを読むにつけ「ライヒスドイッチュ」と「フォルクスドイッチュ」の区別がついていない(笑)。スナイダー教授がこんな場末のツイッタラーでさえ知ってるようなナチ的常識を間違えるはずがないから、これは訳者と編集者のミスであろう。あれ~~??慶應義塾大学教授のはずなのにな~~~。。。

スナイダー博士の貴重な邦訳本だというのに、相変わらず日本人はこれを適当に取り扱っている。罰当たりと言うしかない。(しかも、この辺を指摘しているのは多分日本でおれだけだ。みんな本当に読んでいるのかな?)

まあ、ケチをつけたがスナイダー教授の仕事はまったくいつも通り超人的というか、神がかっていて、この本一冊しっかり理解するだけで、普段あまり日の目を見ない20世紀前半の中東欧の歴史の流れや舞台裏を感じることができる。訳してる人間がアホだから極めて読みにくいのだが、じっくり時間をかけて格闘してほしい。

この本は、主にウクライナに焦点を絞っているのだが、ウクライナと関係の深いお隣のポーランド、またウクライナを社会主義体制ではあるが統一したロシア、それを阻み、ウクライナ人を奴隷民族として使役しようとしたドイツなどいろんな周辺国の事情が語られている。特にウクライナは「ドイツとロシアに挟まれちゃって苦労した国」の代表と言えるので、ヒトラーのナチや、スターリン体制のソ連が、いかにウクライナを扱おうとしたのかって話しがたっぷり聞ける。

じゃあ主人公のヴィルヘルムが何をしたのかといえば、この人はもともとハプスブルク家の大公として、オーストリア=ハンガリー帝国の将校となったセレブリティなんだが、父親のシュテファンはヴィルヘルムやその兄のアルブレヒトをポーランド人として育てようとしたんですよ。なぜかといえば、シュテファンはポーランド南のガリツィア地方ジヴィエツの大地主でしたし、ポーランドがいずれハプスブルクの王国の一つとして独立するってことを何となく予見していたんですね。だから自分もポーランド語がペラペラでしたし、息子たちにもポーランドを話させました。しかし、ヴィルヘルムは幼いころからウクライナに愛着を持っていました。なぜかといえば、ガリツィア地方はもともとウクライナとポーランド双方になじみ深い土地でしたし、ウクライナ人もたくさん住んでいたんです。ヴィルヘルムは子供のころからウクライナ人に可愛がられましたし、小説を読んでアジアに冒険する夢を持ったり、ポーランドよりさらに東方に漠然と憧れを持っていました。彼の人生はこの幼いころの着想に忠実に、一切ぶれることなく進みます。

第一次大戦中はウクライナ語がペラペラであったという理由で、ハプスブルク帝国軍のウクライナ人部隊の指揮官に任ぜられ、すごく部下と仲良くしました。ヴィルヘルムはウクライナ語で話しましたし、自らのウクライナ名としてヴァシル・ヴィシヴァニを名乗りました。部下からも尊敬され、ハプスブルク朝のもとでウクライナ王国が成立した暁には、ヴィルヘルムがその国王になるべきだとさえ言われました。また、ヴィルヘルムもそれが夢だったんですね。

でもハプスブルク朝は1918年に崩壊し、オーストリアは哀れなぐらいちっちゃな共和国へとなり下がります。ヴィルヘルムが、ハプスブルク家の一員としてウクライナ王になるという夢は完全に潰えるのですが、彼が偉かったのはそれでもウクライナが、ポーランド、ロシア、ドイツといった国々から独立できるように働いたことです。

ポーランドは、もともと少数のポーランド貴族階級がウクライナの小農を使役するという伝統的な構図が各所にあり、ウクライナ人を対等に見ていませんでした。ドイツはもっとひどいです。ドイツ人はウクライナ人を奴隷として見ていました。ウクライナの穀倉地帯から供給されるカロリーを、なんとかドイツの家庭や前線の兵士たちに供しようという、そういう目線しかなかった。ロシアも同様です。自分の帝国の田舎としか思ってなかった。ハプスブルクがもっともコスモポリタンな態度でウクライナ王国の統治を考えていましたが、上記のごとくハプスブルク帝国は崩壊し、ウクライナ王国は夢に終わります。

ドイツとオーストリアの傀儡として独立したポーランドは、(もともと第一次大戦の兵員不足をポーランド人で補おうという苦肉の策だったんです)、両帝国の崩壊と、革命によるロシア帝国崩壊の混乱に乗じて、ユゼフ・ピウスツキが音頭を取ってウクライナ首都キエフを占領してボリシェビキ軍をたたき出してしまうのですね。ウクライナはおれのもんだ!とポーランドが牙をむくんですが、赤軍がこれに猛烈に反攻し、大波となって西へ殺到し始めます。英仏はこれに仰天しました。赤軍を止められなければ全ヨーロッパが赤化する恐れがありますんで、ポーランドを支援。加えてピウスツキは大した戦上手で、騎兵をうまく使って赤軍を押し返してしまいます。まあ、ポーランドからしてみれば結局ウクライナはソ連の手に落ちて、手に入らずじまいだったんですが、全ヨーロッパの破滅は食い止められたわけですね。もしもほんのわずかな期間でも赤軍がヨーロッパ全土を手にしたら、ほとんどすべての貴族、聖職者、資本家、政治家、知識階級は根絶されたでしょうね、、、ドイツもドイツ革命と敗戦の混乱によって赤軍の大波に対抗する力はありませんでしたし、もしもワルシャワが陥落していたら、ほんとに危なかったわけですね、、、ポーランド偉い!

まあ、もっとも不幸なのはやはりウクライナでした。ウクライナはピウスツキと手を組んだにも関わらず(怨敵ポーランドと手を組むのはウクライナ民族主義活動家たちにとっては最悪の屈辱だったんです)、結局ボリシェビキに呑み込まれてしまったんです。あとの歴史は皆さん知っての通り。1920年代後半に始まった「第一次五か年計画」によってスターリンがウクライナを人為的に飢餓状態に追い込み、農民たちを500万人以上餓死させてまで毎年770万トンの食糧徴発を断行。ウクライナ支配階級は撲滅の憂き目にあいます。しかもその後続いた大粛清では、主にウクライナ国内のポーランド人が標的となって、公式なものだけで70万件の銃殺刑が行われます。ウクライナはズタズタにされてしまう。でも皮肉にも、長年続いていたポーランドとの領土問題は完全に解決し、ソヴィエト共和国としてではありますが、ウクライナは全土から軍閥や各地のコサック、アナーキスト集団や白軍が一掃され、ようやく統一されるんですね。そしてこれが現在のウクライナの基礎となります。

さて、ヴィルヘルムはその間フランスで放蕩生活を送っていました。もともと同性愛者であり、超絶の女たらしでもあるので(つまりバイセクシャルということですね)、醜聞は絶えませんでした。オーストリアでもフランスでも、派手なセックスライフで居心地が悪くなってしまいます。とはいえ、けっこう長くフランスに滞在していたのですが、アドルフ・ヒトラーが歴史の表舞台に登場し始めると、ヴィルヘルムはファシズムに傾倒し始めオーストリアに居を構えますが、当時のオーストリアはハプスブルク家の支配が終わって民族主義によって国をまとめようとしていました。つまり、オーストリアもナチと形態は違えどファシズム国家だったんですね。そして、オーストリア人の多くは大ドイツに参入すべしと考えていました。オーストリア政府はどうだったかといえば、これはドイツとの合併には抵抗しようとしていました。この時の態度によってオーストリアはナチが犯した大罪の共犯者としてではなく、被害者としての立場を得ることができました。

ヴィルヘルムはヒトラーがソ連に侵攻してウクライナを解放し、自分をウクライナ統一のための、現地人との橋渡しの役割をさせてくれるんじゃないか、と期待するんですが、ナチはクロアチアやスロヴァキアには衛星国としての役割を与えましたが、ウクライナにはそうした役割を与えませんでしたね。単なる食糧庫。加えてホロコーストの最も汚い部分に協力させ、現地人を労働力として帝国へと拉致し、伝統的なドイツ帝国の価値観に忠実に、ウクライナ人を奴隷として扱いました。

ヴィルヘルムはこれに失望。一転して英仏の諜報機関と連携をとって、ウクライナパルチザンとの橋渡しの役割を買って出たり、爆撃目標の同定のために都市の地図や軍需工場の場所などを諜報員に提供します。ヴィルヘルムのスパイ活動をゲシュタポはまったく感知できませんでしたが、ドイツ敗戦後にオーストリアへやってきたスメルシ(スターリン直属の防諜機関)は相手が悪すぎました。スメルシはヴィルヘルムの活動を詳細に知っていましたし、その協力者たちまで完璧に把握していましたし、それら全員を夜と霧に紛れて連れ去るなど朝飯前の仕事でした。彼らの論理では、反独活動を行っていたヴィルヘルムは仲間などではなく、英仏の手先として活動したブルジョワ一味でした。また、ナチ体制に率先して抵抗した人物は、ソビエト体制でも脅威となる、ということを知っていたんです。ソ連は、ナチが自分たちと似ていたと自覚していたんですね。

ヴィルヘルムがスメルシの職員に拉致されるのを多くの人が目撃していましたが、オーストリア警察はスメルシが黒幕だと知ると早々に捜査を終了せざるを得ませんでした。

ヴィルヘルムとその協力者たちは、かつて自分たちがその王座につくことを夢見たウクライナ首都キエフへと連行されました。もっとも王座ではなく、地下監獄でしたが。彼らはスメルシの拷問によってみるも無残な有様だったといいます。

ヴィルヘルムは元々結核と心臓の病を患っていて、その治療費は膨大でしたがソビエトはもちろんそれを放置しました。ヴィルヘルムはキエフの劣悪な囚人病院で孤独のままに悲惨な最期を遂げます。兄のアルブレヒトはといえば、ポーランド将校としてゲシュタポの拷問を受けて半身不随にされ、戦後は新生ポーランド政府にドイツ人であると糾弾され、財産を没収されました。

君主政治を誰もが古いものと切り捨てますが、ハプスブルク体制では民族もアイデンティティーも曖昧だったのに、平和な統治が何百年も続きました。大抵の日本人は日本国民は日本人だけだと信じて疑いませんが、ほとんど同じ価値観の民族主義国家は、ヨーロッパでは大抵短命に終わりました。ハプスブルク家の人々は、血統はドイツ人ですが、帰属意識は人それぞれでした。シュテファン大公やその息子は自分たちをポーランド人だと考え、そのことに誇りを持っていましたし、ヴィルヘルムは自分をウクライナ人だと考え、その人生をウクライナ独立へと捧げました。

血が国であるという価値観は、短期的には強力な結束をもたらすように見えますが、ハプスブルク家の人々は、大戦期間中もナチやソビエトが短命に終わり、自分たちが返り咲くであろうと確信していました。ナチが12年、ソ連が70年で終焉したのに対し、ハプスブルク朝は600年続いたのですから。彼らがそう考えたのも無理はありません。

まあ、別に皆さんに読めとは言いませんが、こんな小話ができる程度には面白い本で、楽しく読ませていただきました。ポーランドやウクライナの歴史にとても関心が出ました。佐藤亜紀の『ミノタウロス』の背景を知る上でもなかなか有用な本でしょう。

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