『フルスタリョフ、車を!』--なんじゃこりゃ(汗

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『フルスタリョフ、車を!』

1953年2月、ソビエト秘密警察長官ベリヤが、スターリンの死亡を確認して最初に発した言葉なんだそうだ。フルスタリョフとは単に彼の運転手の名前であって、特に重要人物でもなんでもない。しかし、これは、ウクライナ人工飢饉やポーランド作戦に次ぐ大粛清、少数民族の強制移住、本格的な民族浄化、挙句の果てには反ユダヤ主義が我慢できず、末期には反ユダヤ主義的キャンペーンが吹き荒れていた、スターリン独裁下ロシアの終幕を告げる分水嶺的言葉となったわけである。

同監督の遺作「神々のたそがれ」ほど劇場で辛い時間を過ごした映画はないが、これはすごおくアレによく似た映画で、この手の作風がアレクセイ・ゲルマン監督の”芸風”なんだな、ってことがよくわかります。

白黒、とりとめもない会話、長回しで目まぐるしく動くキャメラ(←”キャメラ”とでも言いたくなるようなアートチックな撮り方)、やったらテンションの高い人々の群れ、あるんだかないんだかわからないストーリー、水だかお湯だか水蒸気だか、そういうべちょべちょしたものを絵の真ん中に据えるカンジ、計算された(と思われる)照明と陰影、フリークスや四肢欠損、超肥満や痩せぎす、精神病患者などを大量に惜しげもなく動員する節操のなさ・・・

何が何やらわからぬが、すごいパワーだ、、、、というようなことをカンヌで審査員を務めたスコセッシが言ったとかなんだとか、、、、

歴史群像劇ではあるだろうが、そればかり期待して観ると確実に肩すかしをくい、途中で腹立ててディスクを膝蹴りで破壊するハメに陥るだろう。

舞台は、1953年の「医師団陰謀事件」という史実を背景にした末期スターリン時代のロシアで、反ユダヤ主義の総本山を滅亡させたスターリンも結局のところ伝統的な反ユダヤ主義者であった・・・・・かどうかはこの映画をみてたってまったくわかるはずもないが、一つの時代の終焉にみられる末期的乱痴気騒ぎ、破滅を前提にしたお祭り騒ぎ的絶望(=ヤケクソ)に満ちた退廃美みたいなものがなみなみと溢れた作品。

ストーリーは全然理解できないけど、スコセッシの言うようになんだか異常にエネルギッシュかつ熱気と湿度に満ちた作品で、全部観るのはひたすらツラいが、作業しながら勝手に流してる分には変わったアンビエントミュージックを聞いているような奇妙な恍惚感が得られる映画だ。

娯楽性はゼロだけど、わけのわからない変態性に限ってはあふれ出んばかり。

カンヌで上映された時も、審査員のほとんどは我慢できずに出て行ってしまった、、、というエピソードからもわかるように、これは最初から最後まで真面目に観なくてもいいんだな、と観るというより眺めるというか、聞き流すようなかる~~~い感じにダウナーに観賞できる作品のようにも思える。このさじ加減を監督が計算しているとは到底思えないが、これが地獄末期の狂騒を描いた何だかわからない映画だってのは体でわかる。ストーリーは全然わからないけどね。物語を物語ってるわけじゃないのは観れば明らか。誰だって全然理解できないのは確実だ。だからこそのこの映画は「理解しないと!物わかりの良いコメントをしてお利口さんだとみんなに思ってもらわないと!」という映画を観るものすべてが陥る原罪みたいなものから心地よく解放してくれるというわけだ。

まあ、さんざんわけわからない、わけわからないと強調しちゃったが、実は筋は単純で、ユダヤ人の軍医少将が反ユダヤキャンペーンで秘密警察に捕まって強制収容所へ送られるが、高名な医師なんでスターリンの末期に立ちあうために収容所から引っ張り出されるも、スターリンはあっさり死ぬ、というだけのお話だ。(この軍医少将が「アドルフに告ぐ」の本多大佐に見えて仕方がない)

あとは怒涛の如く押し寄せる訳のわからない奔流に身を任せるのがよろしかろう。

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