『沈黙』ー映画評

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昨日は有休だったので一日中ドライブしつつ、駐車場の安い場所にとめては映画を観た。DVDで映画を観ると集中が続かないが、映画館だとなんとかまだ持つ。昨日は話題の『沈黙』と『虐殺器官』を観た。たまには映画の話もしないとな、ここ映画ブログだし←? と尻に火がついたわけである。


『沈黙』はマーティン・スコセッシ監督作品で、江戸時代の踏み絵の話、ということで鳴り物入りだった。各所でも話題になり、その悲惨な世界観を堪能したいと思い観た。

遠藤周作の原作ということなんだが、おれは読んだことないんで映画の感想しか書けないが、これはなかなか壮絶な話だ。
中世日本のキリスト教弾圧の一端を描いた作品。「これは〜〜を試される踏み絵的作品だ」なんて陳腐なキャッチコピーであったり、巨人ファンが阪神の応援席に紛れ込んだ時などに「隠れキリシタンになった気分だわん」とか、日常でもそういう言い方することもあるだろう(そんな言い方しねえか、、)。島原の乱など学校でもお勉強するけど、その残虐さ、血生臭さまでは教わらない。事実と年号を淡々と覚えるだけ。まるっきりつまらない歴史教育のせいで日本人は自分の国の歴史でさえ満足に知らない。おれもよく知らない。最近は20世紀前半のヨーロッパの歴史のほうがよほど詳しくなってしまっている。

ただ、日本人の場合、漫画やドラマでその当時の歴史の空気や質感を知ることが多いように思う。おれの場合は残酷時代劇『カムイ伝』で当時のキリスト教弾圧の過酷さを学んだ。

少年時代、こんな残酷で理不尽で頭の狂った世界があるなんて信じられず、作者の嗜虐趣味に心底腹を立てながら、それでも目を背けきれずに気がついたら残酷なところばかり何度も何度も繰り返し読んだ。その中に隠れキリシタンの胸が悪くなるような弾圧、迫害、虐殺の風景が描かれていた。それはそれは壮絶で、誰がこんな漫画を楽しんで読んでいたのだろう?と今の価値観に照らせば不思議なことばかり。明らかに商業路線からは外れたハードコアすぎる世界観で、この当時の漫画は金や名誉ではなく「世間にこいつをぶち込みたい!惰眠をむさぼるアホどもにこいつを食らわせてやりたい!」という壮絶な信念が、作品という形で発表の機会を与えられていたのだ。そう考えれば今よりよっぽどまともだ。今は金にならなきゃダメ。売れないとだめ。プロの編集者も一般の読者もそう考えている。その結果、紋切り型のキャラクターもの萌えアニメや、いつも同じストーリー展開、どこまでもおざなりな御都合主義。いつも同じ声優。いつも同じような超能力。異世界。言葉もない。これでは野心も夢も潰えてしまう。

価値観や文化の多様性ははっきり否定されている。にも関わらずグローバリゼーションだのポリコレだの善人ぶるのにだけはいとまがない。滑稽だ。

話がそれました。

『沈黙』を補完するのに『カムイ伝』はオススメなんで是非読んでほしいですね。ロシア帝国顔負けの過酷すぎる農奴制によって苦しめられていた中世日本のお百姓さんたち、、、冷酷な封建制度、気まぐれで厳しい気候、年中食べ物の少ない土地……楽しみもなくただ苦痛が延々続くだけの人生。働き続けるだけで満足に食べられず、救いはどこにもない。死んだら死んだで輪廻だか何だか知らないが、また生まれ変わって地獄が延々続くという。

死ねば天国に行けて神に愛されて痛みも取り除かれ、幸せに暮らせる。このような思想が貧しい被差別階層の漁村農村社会で流行するのはむべなるかな。もちろん、それはカトリックの真髄とはやや異なるが、日本ではそのような苦痛を取り除いてくれるシステムとしてのカトリックの教えが、土民の間で必要とされたのだ。

信仰が人々の貧困と苦痛を少しでも緩和したのは間違いなかろう。

ただ、歴史をマクロに捉えれば、カトリック信仰が帝国の植民地拡大の装置として、兵器利用されたのは確かである。北米南米、オーストラリア、アフリカ大陸、キリスト教の宣教師が尖兵となってこれらをうちから切り崩し、そのあと軍隊がやってきてキリスト教に従わない者を虐殺し、欧州から持ち込まれた新種の感染症により大陸の人々は膨大な数が死亡。帝国は免疫を持たぬ土民に伝染病を流行らせようと意図的にこれを兵器利用した。日本に宣教師がやってきた時には、このようなことが既に世界各地で行われていた。幕府がカトリックを危険視するのは当然である。そして、今の共産主義だイスラム原理主義だ、を見るまでもなく、思想を根絶するのは甚だ難しい。数百万単位の銃殺刑と絶滅収容所が必要である。何より「1000人を巻き添えにしても1人のスパイを逃がすな!」のNKVDアチチュードが必要だ。幕府の弾圧はこれでもまったくクソ手ぬるいものだとわかっていただけるだろう。

何より、「形だけでええんよ。ちょっと触れる程度に踏めばよい。ワシもこんなこと好きでしてるわけやないんよ」と幕府側も懐柔を混ぜてくるのが笑える。信仰を持ち続けることで信者がどんどん虐殺され、拷問を受ける。神の愛を優先して、神が愛し神を何よりも愛する信徒を見殺しにする、、、この矛盾にどこまで司祭は耐えられるだろうか?

宗教はアヘンだ。

ロシアの社会主義のリーダーも、中国の社会主義のリーダーも、ほとんど同じことを言った。(というかもともとマルクスの言葉だ)言うまでもなく、この二国の宗教弾圧の苛烈さは幕府の比ではない。文字通り数百万人が銃殺され、穴の中に放り込まれた。家族もろともわけわかんない土地に木の小屋を建てて鉄条網を張っただけの強制収容所へ追放され、穴ばかり掘らされてほとんど絶滅させられた。

日本ではここまでは行かなかった。なぜか?あくまで日本では仏教やシャーマニズムが土民の心を掴み、カトリックは一部の狂信者のみが崇拝するカルトに過ぎなかったからだ。中世の弾圧以降、キリスト教が幕府中枢を脅かすほどの勢力に成長することはなかったし、恐るるに足らぬと幕府の弾圧の手もどんどんヌルくなって行く。

こう考えると、この映画をどう捉えるべきなのか、ってところは難しくなる。もちろんお奉行様やその手先は悪玉として描かれているのだが、日本のキリスト教が、本来の形から変質して、もはや別物となったことまで、映画は鋭く指摘する。結局、太陽神を崇めた日本古来のシャーマニズムと、あんまり違いはない。弾圧するほどのもんでもない。弾圧されながらも握りしめるほどのもんでもない。わけわかんない、、、迫害する者もされる者も、全然理解できない。無益すぎてポカーンとしてしまう。なんともいえぬ居心地の悪さ。にも関わらず拷問シーンは超残酷。精神的にじわじわくる感じだ。神はこの狂った世界を救うために何もしてはくださらない、、、祈りにも何も答えてくださらない、、、

『沈黙』というタイトルがドシーンと迫ってくる、、、、神ってほんとにいるの?なんで助けてくれないの?………いったい誰が答えられるというのだろう。

個人的には我らがメルギブの『パッション』と『アポカリプト』の強い影響が感じられる、と思った。異端者から見た、わけわかんない東の果ての過酷な土地の風景、奇妙な文化の野蛮な人々……馬の上で晒し者にされる司祭が眺める日本の町の人々。囃し立てながら石を投げつけ、物珍しそうに異国人の司祭を笑いながら見ている。ここは間違いなく『アポカリプト』で描かれた退廃したマヤ文明の光景とかぶるし、信仰を固く握りしめるあまり拷問映像のオンパレードになる辺りも『パッション』の如しである。この辺はクスススッと笑えてしまい、映画館で必死で口を押さえてしまった。すごく絵的には退廃美に満ちていて面白い。西欧文化から見た野蛮なアジア。これはこの映画の見どころだろう。

また磔が好きな?スコセッシの本領発揮という具合の塚本晋也の御大水責めの拷問も、超残酷でいい感じだ。御大の体が異常に惨めに痩せているのがいい感じだ。小松菜奈や窪塚洋介、加瀬亮など日本でも実力派の俳優が勢ぞろいしているのだが、どれもこれも事務所圧力から解放された惨めで本気度の高い良い仕事だ。日本の兵隊はドイツの将校とアメリカの将軍が率いるべきなんだよ。

というわけで、映画の核心たる哲学の部分に関しては、もう勝手にしてね、というに留め、ここでの感想はこんな感じだ。長いし眠くなったけど何とか見通せたのでそれなりに面白いと思います。音響もいいですね。ヒグラシとかアブラゼミとか、虫の鳴き声や荒涼とした海風の音がいい感じ。不毛の大地の映像と併せ、タル・ベーラの『ニーチェの馬』や、マニアックだけどマッツ・ミケルセン推しのおれとしては北欧の多神教崇拝とキリスト教の戦いを描いた『ヴァルハラライジング』なんかも思い出される。影響を受けているかは不明だが、、、関連作として観てみてください。

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