夜と霧の隅で

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『夜と霧』というフレーズはいろんな意味を持っている。

一つはヴィクトール・E・フランクルのアウシュビッツの体験記。

一つはアラン・レネの映画。

一つはヒトラーが発した反体制派の粛清命令。

ヒトラーが好きだったワーグナーの引用であるこのフレーズ。いつしかナチの恐怖政治を象徴する言葉となって行った。その隅っこで行われたある出来事。この小説は北杜夫の1960年発表の小説で、芥川賞受賞作だ。

日本人の書く小説で、外国が舞台で外国人が主人公の小説は、商業的に成功しにくく忌避される題材・・というのが暗黙知だ。これはその点外国が舞台で外国人が主人公の日本小説だ。

大戦中のドイツの精神病院で、安楽死命令の波が押し寄せる中、医師たちは慢性期に陥った患者たちを少しでも回復させることで、安楽死の選別から逃れさせようと決死の治療を行う・・・というストーリーでシンプルな「良い話」のようにも思えるが、そこはなかなか一筋縄ではいかない感じとなっていた。

劇中、スパイスとして日本人が登場する。同盟国医師としてドイツにいたが、戦争が始まって帰れなくなり、ユダヤ人の妻をめとって欧州の人種問題の複雑さに巻き込まれた末、モノホンのS(統合失調症)を罹患したという設定。やや無理があるが、日本人が登場したほうが読者は感情移入しやすいに違いない。

あくまでこの精神病院で患者を守ろうとする医師たちが主人公だが、純文学作品なので超能力を持った人がいるわけでも、嘘くさい善人もおらず、あくまでナチ体制下精神科医師の範疇を逸脱していないのが好感がもてる。あくまでリアルな、いそうなキャラ設定。チートや異世界に逃げ込み、夢を混ぜるよりこちらのほうがよほど知識が必要で、表現が難しいはずだ。その点、この筆者はドイツに住んだことがあるのか、設定から会話の内容まで、日本語で表現されているのに海外文学を読んでいるような気分になる。豊富な知識に裏打ちされた、非常にハイセンスな文体だ。

判を押したような定番通りのキャラクターはおらず、自らの医師としての経験も活かされ、プロなんだけどどこか冷酷な、無感動にではあるがやるだけのことはやる、といういかにもいそうな医師たち。ここは自分も医療従事者ゆえ、なんでこんなスタンスになるのかってのはよく理解できる。統合失調症慢性期の患者ってのは、結局最後には無為自閉という人格荒廃の段階に至り、何をどうしても何の反応もなくなり、ただ寝て過ごし、身の回りのことさえ介助を要すようになる。結局どんな治療を施そうが、みんなこうなる。とすれば、医師が存在する意味は?治療になんの解決を見出せるのか? 精神科で勤めるあらゆる人々は、まず自分らの無力を受け入れ、「できないものはできない、できることはこれだけなんだから、ほかはなんにもしません、意味ないですから」と満面の笑顔で言い放てるようにならなきゃならない。患者の症状の浮き沈みにいちいち一喜一憂する奴なんてトーシロだとしか言いようがない。うっとうしいから消えなさい、とおれでさえ思う。

その点この物語、無為で愚鈍だが、前線の砲声も都市の爆撃からも遠く、比較的に平和な毎日を送る精神病院に、突如ナチス親衛隊がやってきて「”治る見込みがない”患者をリスト化してくれる?殺すから」と官僚的口調で下知なさるわけだ。

冷めてはいるがプロでもある医師たちは、どういう風の吹き回しか諦めていた症状の改善を目指し、”治る見込みがない”と認定せずに済むように、少しでも変化が起きやしないかと、人格荒廃に陥った患者たちへ決死の治療を繰り返す。一見冷たい彼らの情熱は、狂気と薄皮一枚も違わないわけだが、いったいどうなってしまうのか最後まで唾呑み込みながら一気に読み通してしまった。

クロルプロマジン開発より前のこの時代、Sに有効な抗精神薬は存在しない。懲罰的な強制労働や、作業療法と称すわけのわからない劇やダンス、電気ショック、精神外科と呼ばれる脳の手術(前頭葉切除術(ロボトミー)や脳梁離断術)などで症状の経過を観察するしかない。どこまでやって良いのかもわからず手探りで、「治療なのか拷問なのか人体実験なのか」の確たる答えもないまま突き進む。医師たちはドイツ的生真面目さで患者に少しの変化を与え「変化したから治る見込みがある」とナチ官僚に認定させることで、T4作戦に続いて行われた障碍者、病者の虐殺政策から患者を守ろうとするのだ。この時代、こんな風にするしか患者を守るすべはなかったのだ。(この話はフィクションだがなんだか納得させられた)

夢も奇跡も一切なし。だからこそ心揺さぶる感動が最後に用意されている。また、文章表現がとても美しい。日本語ってきれいだね、、、ってうっとりするほど耽美な文体。さすが芥川賞ですな。。。是非読んでみてください。

夜と霧の隅で (新潮文庫)

※ちなみに人格荒廃、無為・自閉という言葉は今はあまり使わない表現です。昔は普通に使われていましたが、言葉の響きがあまりに残酷だから、という理由で今は奨励されません。この小説は1960年発表で、当時は普通に使われていたはずです。というわけで、私は現実をわかりやすく伝えるためにあえてこの言葉を使用しましたが、普通はあまり使わないほうがいい言葉です。

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