思うこと(いろんな話)

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去年のもろもろの旅行記にせよ、先日のスナイダー教授の講演にしろ、一人で行って帰って来ただけではやっぱり面白くないし、寂しいものだ。あんな風にルポを書いてお客が喜んでくれるんなら、おれも行った甲斐があると思えるし、体験したことをアウトプットすれば自分が成長できているよう錯覚もできるし、こういうのもアリだな、、、と思った。今更ながらだが。

ブログのネタとして映画の話題が消えつつあることを、ここの常連諸氏のほとんどは気付いているだろう。映画は全然観なくなった。今日もTSUTAYAに行ったはいいが、何も観ようと思えなかった。無理して借りても真面目に観ないし、そんなので酷評しても映画作った人に失礼だ、と最近感じるので、本当に面白そう!!と思うものだけ観ようと思う。時間は有限だし、おれも色々やりたいことがあるので、これ以上彩プロみたいな馬鹿映画で時間を無駄にはできない。

そんな中、「ヒトラーの忘れもの」は久しぶりに映画って素晴らしいモノなんだよな~~と思い出させてくれる良い映画だった。最近は露骨な商業路線の映画や漫画、アニメやテレビ、ゲームの類は受け付けなくなってしまった。子供のころ、「なんで大人はファミコンしねえんだろ?」と思ったものだが、最近はなんだかわかる。現実と真剣に戦っていると空想の世界に構っていられなくなるのだ。

昨日はスマホの液晶が落として割れたんでバタバタ修理センターに行ったんだけど、四時間ぐらい待つというから仕方がなくネカフェに行ったんだけど、漫画は一冊も読まなかった。何をしてたかと言うと、結局新聞読んだりしてたんだけど、ネカフェに来て漫画を一冊も読まない程度には、おれも現実にしか興味がなくなってきた。

ただ、そんな自分に酔っているわけではなく、どちらかというとそんな自分を残念に思っている。無邪気にハリーポッターとか見て空想を膨らませられる方が人生は楽しいだろうなと思うし、またゲームを1日18時間ぐらいやって現実を忘れてみたいと思わないでもない。大抵の漫画や映画を面白いと感じなくなったのも、ちっとも良いことではなく、寂しいことだ。感受性が乏しくなったのか、色々と達観し過ぎなのか。

最近は山師みたく貯金で投資して、売っぱらってまた買う、みたいなことしたり、車で意味もなく高速走ったり、都心で駐車代安くあげるために色々調べたりお得なクレカ作ってみたり穴場を探したりとか、安い服買ってオシャレしたりとか、スポーツしたりとか、、、、現実にばかり関心が向いている。

インターネッツはみなくなった。というか、もともと人様のブログやサイトは全然見ない人間なのだが、ほんと、とことん、まったく見なくなった。Twitterは人様の発言が自然に視界に飛び込んでくるんで、よく見るが、あれはやっぱり全然知的なメディアじゃねえなあと感じる。たったの140字以内で意味が完結しているんで、どんなバカでも気の利いたことが言えるし、内容も理解した気になれる。集中力も要さないし、時間もかからない。インスタグラムも写真みて「綺麗だね~」で終わる世界。

テクノロジーは進化して、そのシステム作った技術者たちは天才だと思うけど、それを消費するだけの大衆はどんどん愚鈍に追い込まれているような気がする。日本は便利すぎて、その便利な消費社会を作った先駆者たちは頭がいいが、そのサービスを「日本国民だから」という理由のみで消費するだけの人々はどんどん馬鹿になって退化しているように思う。ちょっと海外に飛び出すと、日本と違う便器の形状で、うんこ流すボタンさえどこにあるのかわからず、戸惑ってしまう自分に直面したりする。こういうのってがっかりするのだ。

人間はどんどん賢くなっているとみんな思っているに違いないが、テクノロジーが進化してみんなが教育を与えられて、食べ物が当たり前に豊富にあって、マスメディアやインターネッツが垂れ流す情報を鵜呑みにして賢くなった気になっただけで、人間はちっとも賢くなっていないと思う。オートマ車は便利だけど、もう誰もマニュアル車を運転できなくなったし、宅配組み立てサービスのおかげで誰も日曜大工をしなくなった。まとめサイトやレビューサイトが充実し過ぎて多くの人間が自分で本を読まなくなった。グーグルマップやストリートビューのおかげで本当に旅行に行かなくても行った気になれるし、値千金の絶景を5秒でスマホで検索できる。行かなきゃわからない、体験しなきゃわからない色々なものを手にする機会を奪われている。便利さを提供する大企業に。この消費社会にね。

便利さは人を愚鈍に追い込む。便利すぎる社会で知的であろうとするのは困難だ。まあ知的ぶるのは誰でもできるし簡単なんだが。

だからなのか、最近DIYって言葉はやってるけど、色々と実際に足を運んで自分の目で見て感じる、というのは大事だし、人(Googleや便利さを提供するあらゆるもの)任せにしない、というアチチュードはとても大事だと思う。人も同じで、評判やTwitterだけで判断するのではなくて、実際に会って話してみないと本当に尊敬できるのか、本当はムカつく奴なのかとかはわからない。皆、インターネッツでは善人ぶるし、きれいな言葉しか吐かないし、その逆もまた然り。ネットだけで人を判断することは絶対にできないし、面白がって消費するだけでは失礼だ。Twitterは人間を消費していると思う。人の発言をにやにや笑いで黙ってロムるなんて卑しすぎる行為だ。そんなことからはさっさと足を洗ったほうがいい。

話は変わるようで変わらないんだけど、スナイダー教授の3DAYS講演を聞いて、また教授の著作を全部読んで、改めて観る「カティンの森」は格別だ。それまでは「眠たいポーランド映画だなあ」としか思わなかったんだけど。シュナイダー教授だけのおかげじゃないが、色々と自分の足で体験して、この映画が含む味わいを楽しめるようになったし、この悲惨な時代に犠牲となったポーランドの予備役将校たちとその家族に涙できるようになった。この映画を観たのはず~~~っと前だけど、ようやく今、この映画はいい映画だと思えるようになったのだ。

作品をどう感じるかは、作品と人の関係性によると思うんで、レビューなんてものも本当はあてにならない。自分と同じ体験をしてきた人間なんて一人もいないだろうし、そうだとするなら、人の意見など参考にならないのだ。映画サイトなんか作っといて今更こんなん言うなよと思うだろうけど、人のレビューなんか全然アンタにとっちゃあてにはならないんだから、どんな映画もレビュー読んだだけで消費した気にならないで、自分で目ぇおっぴろげて自分で観るべきなんだよ。どっかの権威者が言うことを鵜呑みにするのはもったいない。そのおかげで、味わえたかもしれない本物の感動をアンタは永遠に喪ったのだ。

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