ティモシー・スナイダー来日講演 聖心女子大編ー「ブラザーランド」

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さて、3日目である。ここ数日、車で周っているせいか、体は楽なんだが、高速代や駐車代の累積で魂はすり減っている(笑)。今日もよっぽど電車で行こうかと思ったが、満員電車でインフルエンザをうつされてもなあ、、、と思いやはり車で行く。で、毎度の如く駐車場の確保に四苦八苦。大学周辺は15分300円というザ・ヘル東京地獄価格。それでもほとんど埋まっていて、道も入り組みまくりで交通量も多すぎる。車で東京周るのは難儀だすな。臭い電車に乗らなくていいし、アホみたいに改札まで歩かされたりとかないから体は楽なんでその対価かもしれませんが。

お嬢様~~って感じの娘が多かったな、、


はい、というようなクソつまらない導入で誠に申し訳ないですが、ちゃちゃっと始めたいと思います。今日で三日目。一日目二日目は以下を参照。

早めに行って女子大生のパンツでも撮ってインスタにでも上げたろうかと思ったが、上記の如く駐車場の確保に苦労してそれどころではなかった、、、よっぽど路駐したまま行っちまおうかと思ったぐらいだ。結局15分300円の所にとめました。魂が血を流している、、

昨日、一昨日の感じからするに、参加者の大半はその大学の学生だ。ということは、、、

うわあ、大学構内は女子大生ばっかり、、気のせいかもしれないが視線が痛い、、不審人物と思われたくないが、どうにもならん。痴漢冤罪が怖くてつり革両手で必死で握りしめるおっさんのような心境か、男子諸君は皆が例のビラを握りしめ、いつ警備員に呼び止められてもいいように準備している。おれはビラもボールペンも忘れたんで、売店探してボールペン買ったが。女子大の売店かあ、、かぐわしいのお、、、思い出になったわ。。

はい、というところで今日は明日がセンター試験だからということで、短めにするということらしいです。教授が語った内容は以下。

・昨日、一昨日の講演は30年代から40年代の大量殺戮がテーマでしたが、今日は国家や民族がいかに構成されるか、形作られるか、といったテーマになります。

・国家(NATION)というものは不思議な概念です。皆が国家を古くからあるものと思っていますが、それは誤りで、国家は最近作られたばかりの芸術作品なのです。誰がどのようにこの芸術作品を形作ったのでしょうか?

・1948年、ソヴィエト・ウクライナの首都キエフの病院で、あるウクライナ将校が息絶えつつありました。この人物の話から始めましょう。
この人はウクライナのナショナリストで、大戦末期にはゲシュタポの追撃を振り切り、ウィーンに潜伏していましたが、内務人民委員部(NKVD)の目はごまかせませんでした。彼はスパイ罪で逮捕されキエフへ連行され尋問されました。そして命を落とそうとしているのです。

・この人には兄弟がいましたが、この人物はポーランド軍の大佐でした。ナチスに抵抗し、大戦期には収容所に拘禁されて拷問を受け、体に麻痺の後遺症を残し、片目は失明しました。彼はナチスに民族ドイツ人であるから協力せよと命令されましたが、これを拒絶しまして、その結果財産を没収され、収容所に入れられたのです。戦後は共産ポーランドに財産の返還を要求しましたが、ドイツ人だから、という理由でポーランド政府は財産の返還に応じませんでした。その後、スウェーデンに亡命し、失意のうちに生涯を終えます。

・この元ポーランド将校の娘は、新しい人民政府に適応するために四苦八苦していましたが、彼女は医学部を志望していて、願書に社会階級を記入しなければならなかったのですけども、そこにはいわゆる紋切り型の選択肢しか並んでいなかったのです。例えば農民であるとか労働者階級であるとかインテリゲンチャであるとか、そういったものです。この女性はしばし悩み、こう書きました。”ハプスブルク”と。(場内で笑いが起こる)

・彼女(マリア・クリスチーナ・ハプスブルクのことと思われます)がハプスブルクと書いたのは、姓がそもそもハプスブルクだったからなんです。彼女の父親、ポーランド大佐はカール・アルブレヒト・ハプスブルク、その弟、ウクライナ将校はヴィルヘルム・ハプスブルク。彼らは皆ハプスブルクの大公たちだったのです。

・ヴィルヘルムの死はウクライナのナショナリストにとっては大事件でした。

・カールとヴィルヘルムの父、カール・シュテファン・ハプスブルクは、二人の息子を育てる時に、(まだ20世紀に入る前です)ポーランドという国がいずれ復活して国家となるだろうと予期していました。そのため、二人の息子をポーランド王にしようとポーランド語を使わせたり、ポーランド人として育てようとしたのです。兄は実際にポーランド軍に入りますが、弟のヴィルヘルムはポーランドの仇敵ウクライナに親愛の情を募らせ、ウクライナ王になることを夢見、ウクライナ人となることを決めます。このように国籍を選択することが、王家の人間のみに許された特権とお思いになるでしょうか? 実は、欧州では、このように国籍を選択することはごくありふれたことで、民衆レベルでもしばしば可能なことなのです。

・例えば、ウクライナの科学者はドイツ系であったりすることは珍しくない。ロシアの歴史家がユダヤ人の家系であったりする。政治家レベルでも、国籍と民族の帰属は必ずしも一致しません。例えば、ウクライナの外務大臣は自分をロシア人だと思っていました。

・全ての国にはウクライナのように、いろいろな民族の影響があって構成されています。色々な国や民族の文化が混ざり合っているのです。

・さて、通訳の先生はハンガリー史が専門とのことなので、ハンガリーにも注目してみましょう。ハンガリーも実は民族性は曖昧で、確固たる固有の何かがあるわけではありません。重要なハンガリーの愛国者の多くはドイツ系でしたし、ブダ地区とペスト地区の間をかける橋を作った人はドイツ人でした。政治家もドイツ系であったり、スロバキア系やアルメニア系だったりしました。ハンガリー人とは限らない。他の国もハンガリーやウクライナと同様なのです。

・あなたが自分の国籍を日本と決めているように、日本という国家もあなたを日本人と規定しています。実際はもっと複雑なのです。

・国(NATION)という概念は古いと感じるかもしれませんが、実は新しい概念です。近代国家を作った始祖たちは、その国の言語を話せなかったりします。そういう人たちが民族性というものを作っていたのです。日本もそうですが、民族性を遡っていくと、我々が今考える「日本らしさ」はどんどん薄れていきます。にもかかわらず 、我々はそのような曖昧なものを「日本、あるいは日本人」という一つの括りとして捉えてしまっている。歴位は実際は家族史の連なりなのです。

・その国の民族性を作った人々が、実はその民族に属していなかったという歴史的事実は、我々に新しい視点を与えてくれます。

・私は三つの視点をここで提唱したいと思います。
一つは「父の国FATHERLAND」
一つは「母の国MOTHERLAND」
一つは「兄弟の国BROTHERLAND」
です。

・「父の国FATHERLAND」は、制度から国の枠組みを捉えようとする試みです。例えば、国境、官僚制度、政治レベルの視点です。

・「母の国MOTHERLAND」は、民族性から国の枠組みを捉えようとするものです。例えば言語であったり文化や歴史です。

・ここで問題が生じます。必ずしも「父の国FATHERLAND」と「母の国MOTHERLAND」が一致しないということです。それも一人一人捉え方が異なる。この土地は歴史上、我が国の領土だ、いや、国境線の内側だからここは我が国の領土だなどなど、、、(国境紛争が起こる理由として示唆しているものと思われます)

・なぜ、ウクライナ、日本、と固定的に捉えてしまうのでしょう?他の考え方もあるんじゃないか、他のありようもあるかもしれないのに、その可能性を閉ざしてしまいます。

・社会学者の多くは、国を国民国家として制度面からとらえ、一面的な見方しかしていない。

・一面的にしか見れないでいると、幻想や神話を生み出してしまいます。

・私は今この本の出版を準備しているところなのですが、新しい概念として「兄弟の国BROTHERLAND」を提唱したい。

・国家(NATION)の歴史は、マザーでもファザーでもなく、起源は共通していることが多いのです。

・人々はそれぞれが個人的な理由で、国家に対する帰属を決めて良いと思うのです。父親への反抗心からウクライナ人として生きることを選んだヴィルヘルム・ハプスブルクのように。一つの家族の中でも、別々の国籍でも良いではないですか。

・ハプスブルク家は、欧州で最も古い政治指導者ですが、近代国家としての指導者に返り咲きたかった。そのために自らを変容させ、時代に適応させようと努力した人々だったのです。

・これからの時代、ブラザーランドとして国を捉えることが良いのではないでしょうか?


・・・さて、こんな感じです。ところどころ日本語として柔軟になるように意訳しておりますが、だいたいこんな感じでしょう。

結論から申し上げますと、三日目が一番良かったですね。教授はまるで東洋哲学者のようですね。「この世の一切がっさいは空(固定概念は存在しない)である」との仏教の影響さえ感じられる「兄弟の国BROTHERLAND」の概念。教授は西の最も古い王家、ハプスブルク家の子孫たちの生き方を見てこれを考えたようですが、現実的か否かはよくわかりませんが、なかなかキャッチーで魅力的な提案のようにも思えました。

ファザーランド、官僚制度として国を捉えようとしたソビエト連邦と、マザーランド、民族性で国を規定しようとしたナチスの、犬も食わんような泥仕合いと、それに巻き込まれた民衆史を研究し続けた教授だからこそ、このような観念に至ったのだと思いますが、まるで革命家のごとき主張ですね。国境紛争やジェノサイドが起こる要員として、父と母が必ずしも協調しないから、という主張は勉強になりました。確かにその通りでしょう。

独ソ戦は父と母の殺し合いだったのか、、、、とこう書くと意味が変わってきてしまいそうだが、こう書きたいという欲望を抑えられなかった、、、父と母の殺し合い・・

それにしても、この三日を通して、大学という空間に久々に立ち入りましたが、なかなか刺激的でした。いいねえ、、大学生。こんな楽しいところで年がら年中好きなことできるんだし。幸せだ。私は再び社会という名の戦場へとかえりますが、皆さんがここへ来るのを待っていますよ。フフフ

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