ティモシー・スナイダー来日講演 慶應大学三田キャンパス編ー「ブラックアース」

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2日目です。
この日も午後休を取り、車で都内へ。駐車場の確保に四苦八苦しつつ、ようやく開始。


慶應大学のほうが外部の人も多くていい雰囲気でした。まあ、通訳は同じ人だったんで質は変わらないですが(笑)。

一日目は以下。

教授が語った内容は以下です。

・アメリカの政治指導者たちは、1930年代を良い時代だったと述懐するのだが、それをもう一度考え直して欲しい。

・ホロコーストを体験した、ワルシャワのユダヤ人、イレナ・リプシツという人物について話します。
彼女は1939年にドイツ軍が侵攻したので、東に逃げましたが、そこにはソ連軍が既にいて、その支配体制に組み込まれました。
1941年にはまたドイツ軍が東ポーランドへ攻めてきましたので、イレナは今度はウクライナへ逃げました。イレナはドイツがユダヤ人を問答無用に殺していることをよく知っていたからです。
イレナはウクライナの森の中で隠れ潜みましたが、こんな慣れないサバイバルにはすぐ限界が来ると思いました。そこで、彼女は湿地帯でたまたま通りかかった、猟銃を持つ若い男に助けを求めたのです。

・イレナの話は、ホロコーストのイメージからはかけ離れています。アウシュビッツともまったく無関係。ホロコーストのなにか機械的な、産業化された殺戮とのイメージは、実際は現実とは言えないのです。しかし、このイレナのエピソードこそが、ホロコーストのごくありふれた一端でした。

・ポーランドユダヤ人は、ソビエトユダヤ人と並んで、ホロコーストの主要な犠牲者だが、まさにイレナのような人々がホロコーストの最初期の例なのです。その執行者は、ナチス親衛隊(SS)であり、ドイツ国防軍でした。

・ドイツでは、ユダヤ人の多くは生き残りました。

・多くの人々は、民族浄化や大量虐殺は、国家が行うと思っていますが、実際は国家が破壊され、法の支配が失われた場所で大量虐殺が発生します。その点で、イレナのエピソードは興味深い。
(イレナは、まずはポーランド国家の破壊、ソビエト体制の東ポーランドの破壊、同じくウクライナ国家の破壊を経験し、国家が破壊されるたびに逃げねばならなかった。最終的には湿地帯の森の中に隠れねばならなかった)

・社会学者や歴史家は、ホロコーストをカンボジアや中国で起こったことと同じように捉えようとするが、ホロコーストはもっとユニークだ。

・ナチス親衛隊やドイツ国防軍は、国家支配が終焉を迎えた場所でのみ、大量殺戮が可能でした。

・ナチがどれほどユニークだったかといえば、三つ挙げられる。

一つはその特異なイデオロギー
一つはその独特の一党による独裁
一つは他国の破壊(中国やカンボジアは大抵自国民を殺したので、その点が異なる)

・ヒトラーは民主主義も憲法もコミュニズムも福祉も、既存の歴史的レジームも、全てユダヤ人が作ったもの、ユダヤ的なものと考えていた。

・ヒトラーは、生きることは闘争だと思っていた。

・強力なドイツ人種が、土地を手中にし、その土地の既存の国家を破壊し、無法の森へと変えることでユダヤ人を排除でき、この惑星が自然の秩序に復すると考えた。その主な舞台がウクライナであった。

・こんな風に自然をコントロールし、ドイツ人種に闘争に勝利させることがヒトラーの最終的な野望だった。

・1930年代のドイツは、まだ大量虐殺を引き起こすような基盤がなかった。ニュルンベルク法や水晶の夜のようなポグロムかあったとしても。

・強制収容所(KL)はSSが組織した、無法地帯の実験場だ。囚人は国家の中にあって、国家の支配からは隔絶された。そこではナチスイデオロギーによって人々が支配された。

・1938年から、41年にかけて、6つの国家が破壊されました。それは、バルト諸国、チェコスロバキア、オーストリア、ポーランドです。

・独ソ戦が始まると、ソ連の支配体制を破壊しようとしました。

・オーストリアは、1938年にたった1日で破壊されてしまった。すると、オーストリア・ユダヤ人は即日市民権を失い、一転迫害されることになる。

・チェコスロバキアは、1939年に破壊された。スロバキアは傀儡国家になりました。この新しい国家は、新憲法を制定し、ユダヤ人からは市民権が剥奪されました。スロバキアユダヤ人はのちにアウシュビッツへ移送される。

・ポーランドは、イレナ・リプシツの例が参考になります。ドイツはポーランドなんて国はもともと存在しなかったと主張し、ポーランドの法や、人々の市民権を完全に無視し、ポーランド兵をゲリラと見なして皆殺しにしました。重要なのは、この時期にアインザッツグルッペンが暗躍したことです。アインザッツグルッペンは国家や体制を破壊する任務を帯びていました。ユダヤ人は1940年の冬にはゲットーに押し込まれ、大量に飢餓に追い込まれます。

・1939年から40年にかけて、東ポーランドはソ連に解体されました。
1941年に独ソ戦が始まると、ホロコーストが本格的にはじまりました。
ナチはソビエト体制の警察たちを再利用して、今度はユダヤ人虐殺に使役しました。ソビエトの警察官たちは、ナチに忠誠を示すために、積極的にホロコーストに加担します。民衆も同じでした。

・ホロコーストは、ドイツとソ連に二重に国家を破壊された場所で起こりました。これは、ホロコーストが、ナチとソ連の協力が成し得た結果だと示している。

・ヒムラーやハイドリヒは、国家が破壊された場所でのみ、大量殺戮が可能だと知っていました。

・ポーランドやバルト諸国では95%のユダヤ人が殺されました。ドイツでは50%が生き延びました。ドイツでは国家が存在していたからです。

・オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスでは、国家は完全には破壊されなかったので、ホロコーストも不十分だった。例えば、フランスでもユダヤ人の連行は行われたが、その多くはポーランドから難民として逃れてきたポーランド・ユダヤ人で、フランス国籍のユダヤ人の多くは生存しました。

・ルーマニアなどのように、独自の外交権を持っていた国でもホロコーストは不十分でした。

・市民権さえあればたいていは生き残れたのです。

・ホロコーストの歴史の中で、ユダヤ人を救った人々はいましたが、一度に多くの人々を救い得たのは、例外なく外交官です。リトアニア大使の杉原千畝や、ハンガリーのラウル・ワレンベリのように。ビザの発給やセーフハウスの設置など、市民権を失った人々に国家のお墨付きを与えることで、ドイツ警察や地元の暴徒たちは、もう手が出せなくなったのです。

・国家がないところで人々を救うのは難しいです。しかし、人々の単純な善良さ、困っている人を助けたいという素朴な想いを持っている人々は、この残酷な時代においてもわずかばかりですがいて、これが人々を救いました。

・冒頭で語った、イレナ・リプシツを助けた若い男は、常に体制に反抗し、密造酒を作って生計を立てている男でした。彼は素朴な善良さを持った人物だったのです。彼は体制がいかに変化しようとも、この善良さを失わず何人も人々を助けていたのです。イレナは半年後、ウクライナからソ連へ逃れ、生き延びることができました。


・・・という感じ。質疑応答は相変わらず英語できない人を完全に排除していて、通訳は「私関係ありません」ってツラでまったく仕事しないし、途中退席者もちらほら。英語ができなきゃダメだというなら、最初からアナウンスすべきなのでは? こういうスタンスは本当に疑問に思います。英語ができなきゃ市民権がないと言わんばかり。教授の講義自体は良かったので残念です。

ただ、内容は「ブラックアース」を読んでいればまず理解できる内容。こないだ語ったおれのよもやま話のほうがよほど詳しいと思う。読んでみて。

要はこの講演を聞いて、

興味が出たら本買ってね、お金儲けたのちぃ、、グシシシ

という主催側の汚いマインズが透けて見えたんでちょっとイラっとしたが、この分だと明日の講演も想像できるが、一応乗り掛かった舟だし参加しようと思う。

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