物語

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物語を語る方法・・ツールとして使われているものは複数あります。そして、それぞれセオリーみたいなものがあって、これら方法論に関しては個性は不要で、どちらかといえば基礎的及び応用的知識と修練が必要になるそうです。

僕は趣味で小説をほそぼそと書いているのですが、これも色々とルールの多い世界です。才能と直感だけでいいものを書ける人は多くなかろうと思います、、

長編小説を書くための骨格作りやその方法論に関しては、独自の構築方法などもあると思います。でも基本的には知識を学んでセオリーを修練することで身につく技術です。

同じく物語を語るツールであるアニメや映画、漫画、時には音楽にもそれぞれある程度確立された技法や知識の集積があると思います。

僕は完全に手探り、独学、直感で小説を書いてきたんですけど、スポーツのフォームのように、最初はうまくできなくても何度も反復練習を繰り返すうちにだんだん良くなるってものではないらしいというのは感じています。もちろん作を重ねるうちに巧みになっている要素はあるんですが、逆に全然成長していない要素もあります。この成長していない部分は、独力で何が悪いのか気がつくのは困難ですから、プロの指南を受けたり客観的な評価を頂いて気がつかせていただく、というのが早道でしょう。

アニメや漫画は絵が重要で、絵が美しくなければ、或いは独特の味がなければ、どんなにストーリーや構成が巧みでも読んでもらえないでしょう。逆に絵が良ければすげえ陳腐なお話でもファンがついてしまったりもします。厳しくもあり、甘くもある世界。僕は絵が下手なのでアニメや漫画で物語を語る能力はありません。本当は絵が描ければいいのになあ、と思ったことが何度もあるんですが、中学の頃から美術の成績は悪いし、美的センスは最低ランクであることは自覚しています。本当は小学校の頃は漫画ばかり描いてクラスの子に見せては笑わせていたような子だったんですけど、僕が「ああ、おれは絵がクソ下手なんだ」と思い知らされたのは確実に中学美術で、油絵の時間だったかなあ、本当に周りの子は上手に描いているんですけど、僕は本当に汚くて醜い絵しか描けなかったんですよね。というか、小学高学年にもなると、先生にも「美的センスは最低」と言われちゃったりもしましたし、まあ、それは間違ってなかったのですが。何より自分で自分の絵は「クソ下手だなあ」としんみり思っていましたし、自分の絵が周りに比べて明らかに劣っていることぐらいはさすがにわかったので、以降は漫画で物語を作ろうとは思わなくなりました。(だから絵がうまい人には単純に憧れと羨望の念をおぼえます)

でも、映画が好きで、漫画もよく読んでいましたし、こんな批評ブログを作って言いたい放題言っていましたんで、物語を作ってみたいという欲求は密かにあったんですよ。でも実際には「絵が下手だし無理やな」と諦めて、やろうともしなかったですし、生活が苦しかったので実際そんな余裕はありませんでした。人生をもう一度やり直したとしても、多分同じ結果でしょう。

小説という手段があるじゃないか! とようやく前向きに思えるようになったのは、実は去年で、それまでは「小説って表現は一番地味じゃねえか? おもしろくなさそ~~」なんて思って興味がなかったんですが、考えてみれば、僕も学生時代はよく小説を読みました。小説は想像力が刺激されるというか試されるというか、「消費」するのにぶっちぎりで一番長い時間がかかるし、「意志の力」も必要ですよね。長くつらい思いをして読んだ分、読み終わった時の達成感や、作品に対する愛着は漫画などとは比較にならないものがあります。

若いころ、小説を書くってのは、やってはみたものの、すぐ投げ出しました。小説書く超初心者が陥るミスとして、梗概や構成を考えないまま見切り発車で書き始めるという罠にまんまとハマり、あっという間に投げ出す始末だったんですよね。

僕の場合、処女作は去年の春頃書いたんですけど、ナチスドイツのホロコーストの史実をベースに、少しフィクションを入れて表現を漫画や映画チックにした感じだったんですが、これも構成をろくに考えずに見切り発車で書き始めたんですけど、なにせ史実がベースですから、つまったら歴史書を読めばよかったんです(笑)。おかげで最後まで行けましたけど、二作目も似たような感じで行きましたが、話が話だけに、類似作が少なく、手本とするべき作品があまり見つかりませんで難航しました。

小説では海「外」を舞台に「外」人を主人公にした作品を俗に「そとそと」と呼び、商業ラインでは一般的に忌避される設定なんだそうです。色々と理由はありますが、売れないそうなんですよ。その点、僕は1作目から3作目の小説まで全て「そとそと」だったんですよ。これはあかんかったなあ、、と思います。最初から知っていれば無駄な労力をかけずに済んだかもしれないですよね。小説は直感や才能に身を任せるだけではいいものは書けないよ、って例になると思うんですが。

しかしなあ、「そとそと」がそんなにあかんかったんかなあ、と思ってしまうんですよ。アニメなんかほとんど全部「そとそと」じゃないですか。宮崎アニメなんてラピュタもナウシカも「そとそと」でしょうし、漫画ならそれこそ無数にあります。小説にだけそんな暗黙のルールがあるとも知りません。

他と差をつけるために個性的なことをしなければならないのも真理なんですが、「そとそと」の例に見るように、セオリーから外れすぎたおかしすぎることをしてもいけないということです。結局バランスが重要という話に帰結する気もしますが、、、

よく考えたら日本映画でも「そとそと」の設定なんてほとんどないですよね。「そとそと」が許されるのはアニメか漫画だけでしょうか。しかし、よく考えてみれば「そとそと」というより近未来SFやファンタジーだったりすると「そとそと」とはまた異なる扱いになるってことでしょうか。「そとそと」にしたければファンタジーやSFにするのが良いのかもしれません。でもどうしてもホロコーストが描きたいのなら、「そとそと」にするしかありませんし、既存作もないわけではありません。北杜夫の「夜と霧の隅で」(芥川賞)や、皆川博子のドイツが好きでしょうがない感じのあのあたりですね。漫画なら「霧の中のラプンツェル」がまさに「そとそと」だったと思います(ああ、、あれは同人扱いか・・)。

一年前からこの辺の葛藤に苦しんでいて(皆さんにはピンとこないと思いますが)、4作目の小説は絶対日本人を主人公にしようと思いました。その前に書いた中編三本は全部日本が舞台の日本人が主人公のものですが、しょせん中編は中編。中編は二週間で書けますが、長編は半年かかっても終わらないこともあります。

長編の戦争小説・・・舞台は沖縄かシベリアか迷った末、ノモンハン戦を調べていたら圧倒されて、それを描いた小説はないかと探したら「静かなノモンハン」に出会えました。これにいたく感動したので、僕もノモンハン戦を舞台にした長編を書こうと決意し、この二ヶ月はプライベートのすべてをその小説に捧げました。自分としては「そとそと」ではない最初の長編ということで、書き上げられたのは嬉しかったです。また一歩成長できた気がしています。とはいえ、校正に手を抜いてしまいそうになるのが悪い癖で、すぐ次に進んでしまいたくなるんですよね。次作の構成もぼちぼち考え始めています。とはいえ、道のりは途方もなく遠い。果てしなく遠いです。来年も似たような修業の年になりそうです。

あまりにネタがないので、どうでもいい話題を語ってしまいました。失礼いたしました。

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