ハンガリー・クロアチア旅行記④

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ついにここへ、、今日は愈々ヤセノヴァツへ行く。

ま、こいつを読んでくれ。


※めちゃ残酷。閲覧注意。

今にして思えば、ユーゴの民族問題に最初に気づいたきっかけは漫画の「石の花」か、映画の「セイヴィア」か、どっちが先だったか覚えていないが、確かどっちかだったと思っている。どちらも半端ない衝撃であった。まだの人はしのごの言わずにさっさと味わってほしい。おれと同じにユーゴマニアになってしまうかもしれないよ。


ナチスのようなイカれ愛国主義が、いっちょやにちょ戦争で負けたぐらいで果たして本当に滅びるものだろうか?と疑問に思い、確か瑞々しい感性をまだ保っていた大学生の頃、おれは有り余る時間を用いて誰も見向きもしないような歴史の闇を掘り返す旅をしていた。インターネットがブロードバンド化したのも奇しくも同じ頃。調べれば調べるほど、全然知らない事実を目の当たりにした。日本語文献はとても少ないのだが、西欧社会にとってはバルカンの民族問題はかなり注目されていて、英語文献は豊富にある。そのため、おれも当時から長い英文を読むことを強いられ四苦八苦していたのである。周りに詳しい人間も一人もいなかった。誰一人として。これらの歴史を調べることは、世界の片隅でテロ計画を練るかのような、自作の時限爆弾を作っているかのようなスリルがあった。どうにもこうにもそんなわけで未だにこんなことを続けているのだ。

ところで、趣味が昂じるのも大概にせんと周りに迷惑をかけてしまう。好きなことをやるために必要なことは、その他の時間をちゃんと働いて金を稼ぐことである。そして、時間を作って遊んだり勉強するのである。ちゃんと働けよ!⇦最近はこういうことをしつこく言うので若い人に「ジジイ死ね」と嫌がられるんだが、年配者が後続にこういうこと言うのは義務だからやめる気は全然ない。人生の先輩がこういうこと言わなくなるとただ単に甘え癖がついてダメな人間になるだけだ。ちょっと外圧がないと人はがんばれない。外圧が一切ないと、行き着く場所は結局布団の中。ぐーぐー寝てるだけで人生が終わってしまう。

さて、いつものようにまた説教から始まったが、この旅行も半端なくセッティングに苦心した。面倒極まる外交交渉が必要だったのだ。

そもそも日本の職場で海外旅行行くための時間をひねり出すのは大変だ。周囲の人間すべてに「しばらくお休みいただきますぅ」「何かありましたらよろしくお願いいたしますぅ、すいませんすいません」「あ〜私来週お休み頂いておるんですよ、誠に申し訳ありません、代わりに◯◯が対応いたしますが、もしアレ(⇦アレという言葉は本当に便利)でしたら××日から出勤しておりますので、その日以降なら対応可能です、ご迷惑おかけいたしますぅ」とかなんとか一週間ぐらいは毎日会う人すべてに言い続けなければならない。クソ面倒だ。そんなこんなでようやく休めたとしても、帰ってきたら「お休みありがとうございました〜」「これお土産です、よかったら召し上がってください〜」などとお礼参りに行かにゃならん。。。クソクソ面倒。

え?そんなことやってそうにないって?
それが案外ちゃんとやってるんだよ!
おれはけっこう常識人なの!

おれの場合、海外旅行に行ったとは死んでも言えないから、実家に帰ったということにして、めんたい味せんべいなどを別途用意した。(海外旅行なんて言うとおばちゃんが多いので妬みをかうのだ)それぐらいしてようやくとる休み。

体調もコンディションを整えにゃならん。。何しろ欧州行きエコノミークラスの過酷さは冗談抜きで半端ではない。持病の腰痛が顔を出しゃしないだろうか。。持病の喘息が悪化せんだろうか。。旅行期間中ちゃんと寝れるだろうか。せっかく行っても睡眠不足で咳が止まらず腰が痛いとなると、まったく楽しめないわけだ。おそらく二度来る場所ではないわけである。機を逸すれば、もはや今生で再訪できる当てはないわけよ。。すごいプレッシャーでしたわ。。。ひとり旅だから尚更でしょ。。旅先で体壊した場合のことも考えて緊急連絡先の電話番号控えたり、常備薬は御守りがわりに持って行く、海外旅行傷害保険に入るのは当然のことだし、何よりそういうこともありうると覚悟せにゃならん。。5日ぶっ続けで働いて休んでから行くわけじゃないわけだからねえ。次の日朝四時半に起きて、既に疲れてる体をよろよろ起こしてエコノミークラスに乗って片道18時間の移動に耐えねばならんわけよ。。

そんなこんなで、今回の旅行も、そのような色んなプレッシャーと戦いつつ、ようやくこの日を迎えたのである。それもベストコンディションで。しかも晴天。感無量ですわ。

数々の艱難辛苦を乗り越えて、ようやく来たんだよな! 金もかかったし、煩わしいことも山ほどあったが、ようやくこの日を迎えたのである! 普通はこんな面倒なことを処理してこんな遠くまでわざわざ来ないわけよ。どっかでみんな諦めてしまう。しかし、幸運にもこの場所に立つことができた。今、『石の花』が目の前に!

遠かったなあ、、、(遠い目)
今これを書いてる横浜のスタバからは、9346キロ離れている(笑)。人間の想像できる数値を超えてるの!

付近のマップのようだが、意味の解読はまだできていない

おそらく集団埋葬地を表していると思う。わかったらまた書いていきたい。

この古墳みたいなのが埋葬地と思われるが、、、

『石の花』のモニュメントまで道が続く。素晴らしい晴天。

ある意味でこれは今はやりの聖地巡礼なのでは。。

ささやかな慰霊の痕跡があります

ほんとにささやかです。あっさりしたものです。

つうか、虐殺の主導機関はカトリック教会だったというのがこの歴史の真相であるから、なんだかナという感じ

読めない(泣)。飛行石持ってきてくれ!

美しい朝日の照り返し。

湿地帯の雰囲気がよく出ている写真①

湿地帯の雰囲気がよく出ている写真②

ドライバーの渋い中年マリオ氏が石の花を背景におれの写真を撮ってくれる。そしておもむろにこう聞いてきた。
「あんた……ここがどういう場所かわかってるのかい?」
「(う……)シュワ……」
そこでおれはなんと続けるべきか迷ってしまった。気まずい沈黙が流れる。それはたかだか数秒だったと思うのだが、とても長く感じられた。マリオ氏は多分クロアチア人だが、風貌的にはセルビア人だろうがボシュニャク人だろうがマケドニア人だろうがアルバニア人だろうがイタリア人だろうがロマ人だろうがユダヤ系だろうが全然わからないのである。クロアチア共和国の人口比率通り、89パーセントはクロアチア人だが、11パーセントは違う。なんと答えるべきなのか、一番迷ったのは、『エクスターミネーションキャンプ(絶滅収容所)』と答えるべきなのか、『コンセントレーションキャンプ(強制労働収容所)』と答えるべきなのか、という部分であった。おれは刹那そんなことを迷ってしまったのだ。クロアチア人の中には大戦中のセルビア人抹殺政策を否定したり、掘り起こされることを快く思わない人もいるのである。

マリオ氏は何を急かすでもなくただ黙っていた。

おれは迷った末、まあ無難だしな、と後者を答えた。マリオ氏は言った。
「そう。リトルアウシュビッツと呼ばれる場所だ。こんなところに来たがるのはミスター、あんただけさ……」
「バルカンのアウシュビッツとも言われますね。私はアウシュビッツやザクセンハウゼン、ダッハウにも行きました。テレジエーンシュタットにも」
「そうかい」
マリオ氏はそこで口をつぐみ、石の花をあとにすると、苔むした線路の上にぽつんとたたずむ古い汽車の前へと案内してくれた。
「こいつで輸送されてきたのさ」

読めない(涙)

A

古びた汽車

苔むした線路。当時のままだそうだ


マリオ氏は単にドライバーの仕事だけを任されているはずなのだが、親切にも色々解説してくれる。そして、小さな博物館の場所へと案内してくれる。
おれはここで「しばらく一人にしてくれ」と頼む。ゆっくり見たいからね。

「わかった。何かあったら呼んでくれ」と、マリオ氏は電話番号の書いた名刺を渡してくれる。おれは博物館へと向かった。

ヤセノヴァツの周辺には、拍子抜けするかもしれないが、なーんにも残っていない。石の花のモニュメントも戦後建てられたもので、建物は何にも残っていない。さっき見た古びた線路だけである。ただ、サヴォ川をはじめとした川に囲まれているこの土地。地面はぐずぐずとぬかるんでいる。湿地帯というのである。日本ではあまり見ない地形?それが晴天にも恵まれ、朝日を受けて土の隙間からキラキラと輝いているのだが、とても美しい。しかし、ボコボコと小さな古墳のような凸があるけど、これはマリオ氏によれば墓地とのことだが、本当に埋葬されているのか象徴として作られたものなのかはよくわからない。とにかくその凸を見ているとこの美しい風景にも不穏な気配が漂ってくる。

写真を撮りつつ先に進む。

ヤセノヴァツの大量処刑場「ドーニャ・グラディナ」の説明が書いてあります

クロアチアの極右民兵のようです

廃墟で佇む少年。セルビア人?説明はない。

ヤセノヴァツ第Ⅲ収容所「brickyard(レンガ工場?)」を解体中の写真だそうです

ミュージアムに入るが受付には誰もいない。

うろうろしてると制服を着たガードマンが「メイアイヘルプユー?」と来た。とても優しげなイケメン。入っていいのか?タダなの?と聞くと「フリーよ」とのこと。金取らないのはドイツの収容所と同じだ。自分らの犯罪であると自覚があるからであろう。

中に入るが、人は誰もいない。客も係りの人も誰一人いない。とても暗くて写真などは撮りづらい環境である。おかげで見づらい写真ばかりだが勘弁してほしい。

囚人の被服のようですが、ドイツの強制収容所のようにしましま模様の囚人服など決まった囚人服はない。

食器のようです。なぜか赤外線があてられている、、、館内は真っ暗。

同じく被服

囚人が書いた手紙のようですね。届いたはずはありませんが

クロアチア政府発表のヤセノヴァツでの死者の内わけなんだが、この数は少なすぎると批判の的である。全土でこの十倍は殺されているとみられる。

一応ユダヤ人やセルビア人が区別できるように腕章などの印があったようですが・・

ヤセノヴァツ収容所群はかなり広大で、第Ⅲ収容所「レンガ工場」が最も巨大な収容所だったそうです

ヤセノヴァツの囚人、チトーの人民解放軍に参加していたようだが、スタラ・グラディシュカ収容所にて拷問の末に死亡したとのこと。スタラ・グラディシュカはヤセノヴァツから南東に30キロの場所に位置する女子・子供のための収容所でここも絶滅収容所だったと見なされています。

ウスタシャ管理局発の命令書。ユダヤ人50名を銃殺刑に処す、とある。

ヤセノヴァツ収容所群にはジプシー収容所もあったようですね。

展示は収容者の手紙や当時使っていた食器や被服の類などが多め。当時のウスタシャ政府のプロパガンダが載せられた新聞記事やウスタシャ管理局の命令書などもある。

しかし、中にはこんな展示も、、

ウスタシャの処刑方法は50パターンにも及びました

囚人を拘束していた鉄の輪です。これで手足の自由を奪い川に蹴り落として殺すという方法も行われました

有名なセルビアカッターはありませんでした、、、

本当に小さなミュージアムで、全部観るのに30分もかからなかった。

※90年代のクロアチア内戦の際に、このミュージアムはクロアチア軍や極右民兵によって占領され、資料の類が破壊と略奪の憂き目にあったとの由。証拠は消され、戦後はウスタシャの犯罪が矮小化されました。

受付の前に本がたくさん並んでいる。ガードマンに本を買いたいと告げると、ちょっと待ってて、と代わりに髪の短いブロンドのお姉さんが来る。多分支払いにカードは使えないかも?幸い現金の持ち合わせがあったので何冊か購入。丁寧に手書きの領収書を渡してくれる。このお姉さんはむちゃくちゃ愛想が良い人であった。

※本の紹介はまた今度ね

さて、トイレを済ませて帰途につく。マリオ氏は最早何も語らない。石の花がどんどん遠のいて行くのを見届ける。坂口尚がこのモニュメントに何らかのインスピレーションを得たのは間違いないだろう。二度と来ることはあるまい。しみじみとしてしまう。

ザグレブに帰るとまだかなり時間があったんでまたお土産を買いに行く。またコスメ関係を探してそういうのを色々と購入。飯を食ってホテルへ帰る。サルマというクロアチアの伝統料理を食べなきゃならないんだった。

しかし、、こんなにマッシュポテト、、食えんつうの

★Hiromichi Imuta★さん(@adolf45d)が投稿した写真 –

クロアチアはクレープ有名みたいだね。エスプレッソもすげーうまい

★Hiromichi Imuta★さん(@adolf45d)が投稿した写真 –

※ほかにも旅行写真見たい人はインスタグラムを見てくれろ。これもこれでやってみると楽しいものだ。

https://www.instagram.com/adolf45d/

さて、明日帰国だ。歯磨いて髭剃って寝る。

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