伊藤桂一氏死去・・・と「蛍の河」

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戦争文学作家の伊藤桂一さん死去
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161101/k10010751761000.html

恥ずかしながらボクもこの方を知ったのは最近で、先日「静かなノモンハン」を読み、その静と動の見事な邂逅とでもいいましょうか、その繊細で淡々としつつも、

内に秘めた情熱や想いのようなものがたまらなくグッと来たわけだけれども、続けて「蛍の河」という短編を読んだんですけどね。これは日本軍の独特な兵器であった擲弾筒という武器を使う古参兵と、新任の少尉との言葉にはしにくい、穏やかではあるが、どこか物悲しい心の動きを描いたお話で、またしてもグッとくるものがあった。それは、まさに昨日読み終えたところであった。そしてこの悲報であるから、私としては何か運命めいたものを勝手に感じ、氏の著作はとりあえず全部読もうかな、と決意をあらたにしたところである。

新任の少尉といっても、それは元クラスメイトで、しかも特別仲が良かったわけでもない男である。少尉にとっては初陣であり命を賭して国に尽くそうなどと思って中国に来たのであって、そんな場所で知った顔の主役を見つけ心から喜ぶのだが、古参兵の主人公は戦場も知っているし、そんな敵がいるわけでもないのにいつも気を張ってたらもたないよね、楽にしなよ、イージーイージーと思っている訳(表現は今風だが本当にこんな感じだったよう)。少尉の顔を見ても特別何とも思わない。クールである。でも上官だし、なんだか気に入ってくれてるみたいなんで、黙っている。そんなリアリストだ。物語性の欠片もない感じである(笑)。たぶん主人公のモデルは作者自身であろう。

んで、新任少尉の率いるその小隊は中国の某所にて警備任務につく。少尉は戦地でもとっても人が良くて色が白くて小柄で優しいので、古参兵たちも最初は舐めてるけど、この隊長なら部下を大事にしそうだし生きて凱旋できるかもしれないし、大事にしようぜ、少尉に男をあげさせてやろうぜ、なんて空気が醸成されてくる。
そこに便衣隊の掃蕩作戦ばっかりやって、何とか出世しようと部下を酷使しまくりの恐ろしげな中隊長が見回りにやって来る。中隊長はその中隊本部付の一個小隊の兵隊を奴隷の如く酷使し、死ぬほど戦いに明け暮れているのである。戦地で最大の戦果を挙げたいなら、兵隊は常に怒らせておくことだ、なんて哲学を持っていたりもする。体もでかいし新任少尉とは正反対の人物だ。
中隊長の兵士たちは色黒で殺伐とした表情で、まるで異世界の住人を見るかのような冷たい目で警備隊が慌ただしく点呼を取るのを見ている。少尉が敬礼しても中隊長は答礼さえせず唾を吐き「この野郎ども、生っ白い淫売女みたいなくたびれた顔をしていやがる。ここにいる中隊本部の兵の顔色を見ろ。これが兵隊なんだ」と少尉を部下の面前で平手打ちにする。「穀つぶしの豚みてえにぶくぶく太りやがって、それで物の役に立つか。分屯警備とは何か。暇さえあれば足の続く限り歩き回り、寸時も治安を犯させぬことだ。これからは貴様らにそれを、身にしみてわからせてやる」

この恐ろしげな中隊長に目をつけられた警備隊だったが、ある日、主人公は当時大変貴重だった八九式重擲弾筒を河の中に落としてしまう。あの中隊長にそれが知れたらどうなるか、、、銃殺刑さえありうる話だ、、主人公は何とか記憶をひりだして擲弾筒の落とした場所を思い出し、皆で探して擲弾筒を見つける、、、探している時も人の好い少尉は怒らず焦らず、擲弾筒が見つかればただただ何の邪念もなく喜んでくれる。少尉は優しすぎる性格が災いしたのか、その後中隊を追い出される形で転属となる。主人公とも二度と会うことはなかった。

・・・というだけのお話。戦闘シーンもなければ、中国人を虐殺する描写もない。何でもない日々。しかし何とも文学的な含蓄があって良い感じである。それでいて直木賞だってのがすごいですね。(直木賞はエンタメ小説に与えられる賞)
「静かなノモンハン」は戦闘シーンだらけだったけど、下っ端の兵隊のもの悲しさを描いていて、この作品とも通じるものがあった。
ちなみにこれは短編集だったんだけど、その中の作品の一つに(全部戦争ものなんだけど)「戦争や死に対する批判などというものは、それらの危険を離れた安全な場にいる者だけの贅沢な思想だった」という一節があるんだけど、これは戦後生まれのほとんどの日本人にとっては耳が痛い!ものではないだろうか。批判も称賛もせず、というのがこの手の作品を鑑賞する嗜みかもしれません。偉大な作家よ、レストインピース。

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