シベリア出征日記ー松尾勝造

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最近はモノホン日本兵の従軍記にはまっている。と、こう書くとお客さんは大岡昇平を勧めてくるんだけど、ああいうのではなくて、もっと実際的な記録が読みたいのである。その点、この本は異常なまでに日本人的な神経質さ、カメラと日記帳を愛する記録したがりの国民性というやつを遺憾なく発揮した、世界に恥じぬ従軍記である。強くオススメしたい。


今日は長くなると思うんだけど、勘弁してくれ。語りたいことがあまりに多いのだ。おれがいま最もハマっている時代がロシア革命なのだが、その衝撃から70000人以上もの兵隊をウラジオストク〜シベリア〜バイカル湖西岸にまで派遣した勇気ある国があった。それが我がニッポンである。

ちょうど百年前、日本はロシア革命の混乱に乗じて、満州の周辺に広がるシベリアを領土として傀儡国家を作ろうとしたが失敗。この時代、日本は満州、朝鮮をロシアや中国から守り、それが国防になるのだという考えに取り憑かれていた。まあ、それはあながち間違いではなかったが、いつしか自衛の本能は、諸外国に領土的野心であると見抜かれた。ロシア革命後に革命軍と反革命軍との熾烈な内戦が戦われたのだが、反革命軍は敗戦に次ぐ敗戦で歴史の表舞台から姿を消し、当時は過激派のテロリストと思われていた(ちょうど今のイスラム国のように)、レーニン率いるボリシェビキ党が広いロシアを掌握した。

日本はそれを認めきれず、趨勢が決まってもなお数万の軍をシベリアに駐留させたので、諸外国からは批判を受け、何の戦果もないまま撤兵せざるを得なくなる。当時の額で10億円もの戦費を浪費し、多数の戦死者を出したが、ただ単に世界中から叩かれただけで終わったという、日本にとってはなんの益もない戦争であった。

しかし、私はあえて言うのだが、このキチガイの共産主義者どもと戦うために、理想に燃えた兵士たちもいたことは間違いなかろう。こう書くと、「シベリア出兵の頃の日本兵はみんな士気が低くてぇ〜」などと、ウィキペディアに書いてある程度のことをドヤ顔で言い放つやつが必ずおるのだが、今、イスラム国と戦争している有志連合の兵士たちに同じことが言えるだろうか? 7万人全部やる気がなかったと断言するその根拠はなんなの? 教科書に書いてるから、とかだせえ理由ではないことを祈るよ。

おれの認識では、ボリシェビキはイスラム国が可愛い可愛い膝の上の猫に思えるほど、危険な文字通りの過激キチガイ暴力集団だったのだ。これと戦うためなら、多少なんやかやと言われようが断固戦うべきであったと思うし、内政不干渉の美名に隠れてさっさと撤兵した連合国の面々は腰抜けだと思うぐらいである。

ボリシェビキが当時どれほどの大量テロルを行なっていたのか、ということをここで説明することは困難であるが、それこそイスラム国の比ではなかったということは強く申し上げておきたい。ここで革命政府を打倒することができていれば、一億の人間の命が救われたかもしれない。不幸なことに、歴史は常に最低の選択肢を選んでしまう。この時も悪が生き残り、革命政府を倒すことはできず、悲劇は次世代、次次世代…へと受け継がれて行く。日本に野心があったのは確かだが、日中戦争などに比べればはるかに大義ある戦争だったと思うのだが、どう思いますか? だいたいロシア皇帝を家族もろとも裁判なしでゴロツキに銃殺させるようなキチガイ革命政府を、天皇大好き大日本帝國が座視できたわけないだろ。そんな程度の想像力もないのかと逆に問いたいですなっ! ドン!(膝を叩く音)

まあ、そんなことはいいんだよ。ほら、長くなってきただろ?

この従軍日記は、小倉第十四聯隊第八中隊所属の初年兵、松尾勝造氏が1918年8月より出征し、翌年の7月に凱旋するまでの日々の日記である。氏は一日も欠かすことなく日記を書き続けた。しかも、ちょっとやることない日とか、別に何もなかった日とかでも、「日記のネタになるものは何かなひか」とネタ探しをしたり、ネタ作りのために人から前線の話を自ら訊きに行ったりするなど、新聞記者といえば大げさだが、さしずめ現代のクソ細かいブロガーのような、サービス精神旺盛な人物であった。その日記の細かさはちょっと類をみないレベルで(笑)、何をどう食ったとか、親からの荷物に何が入っていたとか、これで我の荷物はこれとこれとこれとこれ・・・の全十五点である、荷物が重く行軍に耐へられるか心配である、とか事細かに律儀に書いているのである。すごすぎる、、、こんなの見たことなかったので、謎に満ちた旧日本軍の戦地での営みをそれこそケツのシワまで全部眺めまわすことができるという天下一品の代物。興味がある人には本当にたまらない本だ。私は興味がある人なのでそれこそ涎を垂らしながら隅から隅まで読んだ。

日付や、部隊の位置、その規模、戦闘の有無、現地人との(醜美入り乱るる)交流の様子など、普通なら絶対に検閲で太い黒線ひかれたのちに営倉にぶち込まれてぶん殴られていたであろう、赤裸々な旧日本軍の初年兵の心情や逐一の行動の記録、彼から見た第十四聯隊将兵のありのままの姿。全部まるごと正直に書かれているのだ。こんなの他にあるのか? 「生きている兵隊」もすごかったが、これは本当に国宝級の第一級資料でないだろうか?

巻頭と巻末に日本人のほとんどになじみのないシベリアの細かい地図が載っていて、松尾二等卒(二等兵のこと)が、どんどんシベリアの奥地へと進撃して行く記録は、あたかも冒険日記のようでもあり、ガリバー旅行記など目じゃないほどのワクワク感だ。これを読まずにファンタジーに夢中になるなんておかしいよな、と思うほど起伏に富んだ面白い内容。

ひょっとしたら架空のできごとや創作も混ざっているのかもしれん、、、それほどいち二等卒の日記にしてはおもしろすぎる内容。

特に興味をひくのは、シベリアの現地人(土民と表記)と、占領者である日本軍との関係性だ。現地人からすれば、日本軍は肌の色も違う異国の支配者だが、ボリシェビキのゲリラ(俗にいう赤軍パルチザン)が最も恐れて戦闘を避けようとするのもまたその日本軍であり、日本軍が来ればゲリラは略奪をやめて遠くへ逃げるわけだから、現地人は頼りない白軍よりも日本軍をあてにする訳。国際基準からみても、日本兵の指揮統制はゲリラや白軍とは段違いに優れていて、火力にも勝り、士気も高く、数百の日本軍部隊に2000人規模のゲリラ軍が衝突を避けて逃げ回るほど。もちろんそれは敵の作戦でもあり、広い国土の奥深くに誘い、冬将軍を盾に2月ごろ大反攻を開始するボリシェビキだが、この辺の戦闘場面は手に汗握る天下一品の戦記である。日本軍がいかにゲリラ戦に弱かったか、11月でマイナス30度に達する氷の戦場で、いかに温暖な国=日本の兵隊が苦しみ、凍傷で落伍する兵士がいかに多かったかなど、手に取るように記録されている。

日本軍は、やはりどんな軍隊でもそうするように、ゲリラに対抗するために村を焼き払い、土人を片っ端から殺し、すべてを略奪するのだが、その辺の汚い部分も松尾氏の細かい記録によって明らかとされている。

その勇敢さは、敵方より見た時は如何に恐しく見えたことであらう。硝子を打割り、扉を破り、家に侵入、敵か土民かの見境はつかぬ。手当り次第撃ち殺す、突殺すの阿修羅となった。前もって女子供、土民を害すなと注意されてはゐたものの、敵にして正規兵は極く少数、多くは土民に武器を持たしたもの、武器を捨てれば土民に早変りと言ふ有様にて、兵か土民かの見分けの付かうはずはない。片っ端から殺して行く。

一軒毎家探しをしたところ、作物を貯蔵してゐる地下室に兵か、土民か、折重なり息を殺して隠れてゐる。奥の方は暗くて何人ゐるかは判らない。一発ポーンと放っておいて、「イヂシュダー」(こっちへこい)と怒鳴ると、銃や剣は捨ててまづ両手を挙げて、次に手を合せ拝みながら上って来る奴を戸外に連れ出し、撃つ、突く等して死骸の山。

正規兵がここに数名ゐた。引っ捕へて本部に連行、敵情に就いて尋問した後は、憎さも憎い正規兵とて、腹を突く、胸を差し、首を落すと言ふ風に嬲り殺しをやった。もうこの時は人を殺すことを何とも思はない。大根か人参を切る位にしか思ってゐない。

キャアキャア言ふ奴を突き殺す。殺された妻が泣き叫ぶ。拝む奴を突き倒して行く。敵のゐた家には火をつける。・・・馬が走る、女が逃げ惑う様、悲惨な光景これ以上はあるまい。しかし、恨みをのんで戦死傷した我将卒の仇に報ゆるにはこれが当然だと思った。

松尾氏も兵士であり、戦場で人を殺す罪悪感などがどんどんなくなり、戦友を殺されれば憎しみに心は囚われて行く。女でも子供でも捕虜でも容赦なく嬲り殺しにしてゆく。「かうした惨状がかへって物面白く目に写り、その殺気は鬼か蛇か、人に劣らず一人でも多く殺してやれと次の家へと急いだ」憐憫を排除した非情なる日本軍占領支配の様子をいかんなく活写されている。そのシーンはほんのわずかなものでもあるが、焼いた村に翌日やってきて、黒焦げの廃墟と人々の屍を見て「思へば惨いことをしたものだ」とようやく罪悪感が芽生える一連のシークエンスなどは文学の域に達していると思う。なるほど、、、こういう風に心は動くものなのか。。。と勉強になる。この辺のエピソードは多分嘘じゃないだろう。

また、いわゆる軍刀や銃剣が、この時代もっとも強力な兵器として敵を殺すために使われていたということもわかる。人間の体が突けば驚くほど柔らかいこと、捕虜を引っ立てて一刀のもとに首を刎ねる将校の鮮やかな刀捌き。噴き出す血しぶき。ゲリラたちが、そのような日本軍の白兵戦を何よりも恐れて近づけばすぐに逃げていたことなど。悪いんだけど、嗚呼、、おもしろひ。。と感動してしまった。

国際法の観念なんか、一字も出てこないこの日記。米泥棒も銃殺であるし、日本軍の場所をゲリラに教えていた、とスパイも見つかれば即刻死刑。スパイだと疑われても死刑。戦闘のさなかにたまたま通りがかった村も、憎しみにいきりたった兵士たちからすれば報復感情を満たす格好の舞台。みんな焼き払われ、住民は片端から皆殺しにされる。

一方で、ボリシェビキに連れていかれた父を心配して泣くロシア少年に貰い泣きし、「君の父上は無事にこの家に帰してやるから安心してをれ。婆さんや母さんに孝行を尽せ。天はお前一家を見捨てはしない。今に天のお救ひがあるぞ」と言って聞かせる情に篤い松尾氏である。冬の寒さの中で、死んでゆく家畜や馬を「嗚呼汝、馬よ、お前もこのシベリアでかうして憐れな死に方をすると等とは思ってもゐなかったであらう。お前としては所謂皇国のために立派な働きをしたのであるから、内地で陰険な親方の手にかかって惨めな死に方をするより遥かに死花を咲かした訳である。この上は馬魂長(とこし)へに安かれ」と念仏を唱えたりするのである。。。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、と。普通にやさしい人である(笑)。でも戦場では露助を平然と虐殺する。それが兵隊の仕事であるといわんばかりに。

そして、末端兵士が土方や大工仕事、炊事、塹壕掘りなどで、とんでもなくこき使われていた話などが能天気に明るく語られている。風呂なんかシベリアの極寒で50日に1回ぐらいしか入れない。牛馬のごとく、とはまさにこのこと。マイナス40度の中を外で寝かされる姿などは涙なしに見れない。それでもまじめな働きぶりが評価されて一等卒に昇格し、将校の従卒として小隊長に忠実に尽くすのだが、古い日本的な忠義の心というやつが哀れながらも滑稽で、なんだか泣けてくる。このような祖先を持つのだから、ブラック企業にこき使われて過労死する奴がいるのも仕方がないかも、、と思いそうになる。

善も悪も混沌としており、左翼や右翼の宣伝の教材に使われにくいのも納得。素晴らしいバランス感覚の従軍記である。久しぶりに「読み終わりたくね~~!」と悶絶してしまった。全ての方に薦めたい。

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