静かなノモンハンー伊藤圭一

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今年は読書強化年間だったが、これは今年度読んだあらゆる小説でぶっちぎりの1位をつけたいと思う。もちろん個人的な裁量ではあるが、これほど琴線に触れた作品はなかった。ちなみに2位は「生きている兵隊」。


ノモンハン事変に参加した、兵、下士官、下級将校の目線で、満蒙国境地帯の地獄の戦場が描かれる。こういうのにありがちな、故郷の回想とか、下手な文学的シーンは全カットなのがとても良い。出っぱなからラストまで、全部戦闘シーンで、最後の最後は「戦場掃除」と呼ばれる戦死した将兵の遺骨や遺品の回収作業にしけた面で参加する主人公だが、そこで同じく遺骨回収に来たソ聯軍の将校に話しかけられる。

好戦的な砲兵将校の鳥居少尉は(砲兵という兵科は、とにかく負けず嫌いでなければ務まらないのだという)、ロシア語は全然わからないが「貴様ら馴れ馴れしく口をきくな。勝ったつもりでいるのか? 笑わせるな、もう一度戦車を潰されたいのか」と罵詈雑言を並べ立てる。

ソ聯将校は言葉がわからないので、鳥居少尉の言葉を好意的に取り、タバコを取り出して彼に勧める。鳥居少尉はそのロシア製のまずいタバコを吸いながら、この戦いはこの将校のせいで起こったわけではない。彼らも非道な命令に苦しめられながら、この地獄のような戦場を耐え忍んだのだ、と憎しみが溶けて行くのを感じる。そしてソ聯将校は懐から写真を取り出して、二人の息子の写真を見せる。その時少尉は、(ああ、ここでの戦いは終わったのだ)とはじめて実感する――

そして後には静かな静かなノモンハンの砂漠が広がるのみだった。みんな死んだから、この戦場はいまこんなにも静かなのだ――

ベルリンを陥落せしめた第一べラルシア方面軍を率いたジューコフ元帥はのちに、このハルハ河での遭遇戦を、人生で一番怖い時間だったと述懐した。そして、日本軍将兵は、兵、下士官、下級将校は優秀かつ精強で、死をも恐れず狂信的に戦うが、高級将校は極めて無能、と喝破した。これほど日本人を的確に表現した言葉を知らない。

その兵、下士官、下級将校・・・つまり現場で一番苦労していた人々を主人公に据え、無策で呑気な上層部に見捨てられながらも、人間離れした勇気と忍耐力で、圧倒的火力を誇る化け物じみたソ聯軍と死闘を演じる姿を淡々と描く。

小銃とサイダーの瓶を加工しただけの火炎瓶と手榴弾で、何十もの戦車と重砲と機関銃と榴弾砲を相手に、砂地を軽く掘っただけの塹壕ともいえぬような窪みに身を潜め、夜になったら日本刀と銃剣で斬り込み攻撃を繰り返し、何度も玉砕の恐怖と戦いながら、バタバタ死んでゆく戦友を尻目に自分が生き残ることなど度外視して身を投げ打ってひたすら戦い続ける。国家のために。国民のために。天皇のために。

高学歴のエリート参謀たちは、現場で死にもの狂いで戦う将兵たちに補給品一つ送らず、状況を軽視し、根性論をがなり立て、何一つ役に立つ作戦も立てられず、安全圏にこもったまま平然と兵を死に追いやり続ける。それどころかノモンハンで生き残った英雄たちを危地に追いやり、口封じをしようとする。彼らに愛国心などあったのだろうか? 興味があるのは出世だけ。彼らがこの国を滅ぼした。それは続く対米戦争の経過を眺めても間違いない史実である。では今その反省が活かされているか。そういう社会で我々は安穏と生きているのだろうか?

電通社員の自殺を見るにつけ、いつでもがんばらされ、使い潰され、死地に追いやられるのは末端の下っ端の兵隊である。上は下が苦しんで死のうが知らんぷり。

巻末に司馬遼太郎と筆者の伊藤圭一氏の対談が載せられている。以下は司馬遼太郎の言葉。

いつか石油ショックで、トイレットペーパーまで姿を消したことがありましたね。あれは一商社の一課長あたりが買い占めて流通をストップさせたことで起こったのですが、そのときに、ノモンハンの生き残りの須美さんという聯隊長がカンカンになって怒った。中略

その須美さんが「参謀本部の参謀と同じですよ。今でもノモンハンは続いているんです」と仰っていた。日本人のやっていることは大なり小なりノモンハンなのかな――

静かなノモンハン (講談社文芸文庫)

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