エンタメか純文学かファンタジーか②

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別館でこんな話をしていたのだが、だんだん本気になってきたのでこっちで公開することにする。

エンタメか純文学かファンタジーか①

重い歴史的なテーマや戦争をエンタメとして描写した作品はあるのだろうか? そんなもんいくらでもあるわ! と言いたいところであるが、やはり映画やアニメやマンガに多いと思う。

「シンドラーのリスト」「ライフイズビューティフル」など、ホロコースト映画の多くは娯楽映画として作られている。もちろん単なる娯楽映画ではなく、強いメッセージ性のこもった(これを宣伝と呼ぶか否かはまた別の話である)作品が多くある。

戦争映画は戦闘シーンが娯楽になるので、簡単に重いテーマを娯楽化できる。不謹慎だと批判を受けても「いや? アレは?ありのままの?悲惨な?戦闘を?描くことで? 若者に? 戦争に?行きたくないと?思って欲しかったし?」などと言えば良いだけ。突っ込みどころ満載の奇妙な主張だが、そう言われてしまうと黙るしかない。そ、、そうなのか、、だったらしょうがないねってな。

だいたい若者が自分の意志で好きで戦争に行くわけじゃないだろうに。このようなおかしな主張は跋扈しており、一定の理解をもって受け入れられている。また、戦争映画は最強の媚薬たる「愛国心」を容易に刺激するので、簡単に観ていて気持ちの良い気分になったりムカついたりできる。つまり、娯楽だ。

例:中国

blacksun

戦争の映像を用いた娯楽化は今後も続くだろう。

君を戦争に送るのは、君の政府であり、君の親であり、君のコミュニティである。愛国心という媚薬を嗅がせて志願するように仕向けるのも全部政府の仕業だ。若者に罪はない。

というわけだが、映画を娯楽以外の使い方に用いるとろくなことにはならないということは、はっきりと歴史が警告しているわけなんで、現代においては、映画はなるべく娯楽であろうと足掻くものであり、それでいいと思っている。戦争映画は娯楽であり、政治的な存在だと思うべきではない。映画の中のメッセージなどは全部無視するべきである。どんなに立派なことを言っていたとしてもだ。立派なのは「現在」だけかもしれないのだから。無視するべき。それでも十分危険なのが映画というメディアだ。

さて、話が順調に脱線してきましたので元に戻そう。アニメはどうか?
宮崎アニメのナウシカなどは、戦争と異世界ファンタジーの秀逸な融合ではないだろうか。異世界やファンタジー要素を入れることで、超能力、魔法、謎めいた美少女、かっこいいヒーロー、ロボット、超兵器、変な動物、妖怪、化け物、、、et cetera

を物語や世界観に自然に組み入れられるので、フィクションなのだとはっきりすれば、娯楽化は容易い。どんなに崇高なことを唱えていても、それはもはや娯楽作品と捉えられ、娯楽作品なのに立派なこと言ってるね、えらいねと言われるようになる。これってまさにハヤオたんだろ?

徹底的に現実を描き、チートや魔法や美少女を排除したアニメ作品はあるが、多くはない。「はだしのゲン」などがそれにあたるだろう。マンガなら「石の花」などがそれにあたる。これらを娯楽作品ととるかはかなり微妙である。戦争文学、或いは戦後文学と呼ばれるものではないか? つまり、だんだん見えてきたが、純文学たろうとするならチートや魔法や美少女やファンタジーを入れてはいけないのである。逆にこれらを入れ込めば娯楽作品となりやいすい。

では、小説はどうなんだ?
たしかにチートや魔法や美少女やファンタジーを入れることで、それらはエンタメやラノベに分類されやすくなるだろう。これらをじゃんじゃんぶちこむことで、よりラノベの方へと針が進む。どこまでも男に都合の良い非実在慰安婦の面々も、ある意味ではファンタジーであるから、人々は見ているだけで楽しめるわけである。陰口ばかり叩くデブのヒスババアなどが出てきてもファンタジーにはならない。それは「現実」であるから、純文学である。。。

どうだ?
夢やファンタジーが含まれれば、エンタメ、娯楽作品。
徹底的に現実を描けば、純文学。

この定義で小説もいけるのではないか、、、とだんだん思えてきたのだが、どうだろう?

映画やアニメやマンガは、娯楽を描くのが得意で、純文学を描くのは苦手。
小説はエンタメもラノベも純文学も全部ヤレる。万能メディア。万歳。

でもそんな一筋縄ではない行かないこともあるのだ。ことに小説に限っては。

最初のアレに戻るのだが、戦争や現実の歴史を、小説でエンタメ風に描くという試みは、可能なのだろうか? 映像ではそれがたやすいことはすでに見た。

上で行けば、史実を描くのなら純文学になるのが自然。はなからフィクションを混ぜることでエンタメ風になるが、重みも失われる。重みを維持しつつエンタメとして走り抜けることは可能なのか?

これは可能だが難しい、といえる。

「重みを維持しつつエンタメとして走り抜けた」小説作品はあるのだろうか?

当然これらはワタクシにとっても最重要な作品たちで、人生に影響を与えたといっても過言ではない重要作品たちである。

全部は無理なのでいくつか紹介しよう。

卵をめぐる祖父の戦争

ブラッドメリディアン

慈しみの女神たち

これらの作品たちは、いずれも悲惨な史実を、チートや超能力や美少女に頼らず描き切った恐るべき傑作たちである。おれのブログを毎日読むぐらいなら先にこれらをクリアしてほしい。というか、これらの作品はもうこれまでにもしつこいぐらい何度も言及しているのだが、またかよ、と思わずに読んでほしい。それぐらいすごいんだよ!

上のほうほど明快で読みやすく、下に行くほど難解で読みにくい。(といっても三つだが)

一番上の「卵を~」は、レニングラード包囲戦を舞台にした冒険小説だ。ユダヤのガキと脱走兵が、NKVD大佐の娘の結婚式のために、ドイツ軍の兵糧攻めで大飢饉に陥ったレニングラード市内で卵を探すという話だ。もうスジだけでおもしろそうだろ? アイデアの勝利というやつなのか。しかしアイデアだけじゃないんだよな。キャラも魅力的なのだ。とてつもなくひどい史実を描いているのだが、なんだか陽気で笑える小説にもなっている。ワクワクドキドキ感も秀逸で、かといって戦争を陳腐化するほど悪乗りが過ぎるわけでもない。絶妙なバランス感覚だ。描写も純文学風に地の文をみっちり書き込んでいるわけでもなく、あっさりとしていて読みやすい。大変読みやすくすいすい読めてしまう。しかも、読み終わりたくねえ~~と思うほど面白かった。ここ数年はこれに近い小説を探し続けているといってもいい。かなり影響を受けた一作。

さて、テンション上がってきたところで二個目。「ブラッドメリディアン」である。もともとコーマック・マッカーシーの殺伐とした南部アメリカとメキシコの描写が死ぬほど好きでこれを買ったのだが、まあ、これもすごすぎる小説だ。頭皮狩り隊と呼ばれるインディアン狩りの傭兵どもが、メキシコに侵入して殺戮の限りを尽くすというもの。砂粒のように乾いた描写で、文章というものの美しさを知った作品だ。まあ、訳している人も大変だったに違いないが、非常に独特で癖のある文体だが、この荒涼とした世界観にマッチしていてかなり良い感じである。荒涼という言葉の意味を知った。

あまり起伏のないストーリーとフェティッシュに書き込まれた地の文のおかげでかなり読みにくいのだが、テーマは明快で「戦争が好きな人々」である。マッカーシーが「地獄の黙示録」やクルツの「闇の奥」に影響されて書いたと噂されてるのだが、当然だが巨匠も人の影響を受けるし、これは巨匠の最高傑作との呼び声も高い作品だ。読み飛ばさず読破できる人はいないと思われるが、この精密すぎる自然や風景の筆致には相当影響を受けた。とにかくマッカーシーみたいなかっこよい文章を描きてえ!などと悶絶しながら読んだものだ(笑)。

最後はもう何度も何度も説明しているのだが、異常極まるナチ文学である。「慈しみの女神たち」。人生に影響を与えたランキング1位である。「炎628」程度でわあわあ言ってないでさっさとこれを読んでほしい。これを読んでいなかったら、おれはサイトの更新を再開しなかったろうし、小説も書いてないし、「第三帝国極悪伝説」も作ってないし、ポーランドやらドイツやらチェコやらにも行っていないだろう。もう、多くは語らないのでアマゾンカスタマーレビューでも読みに行ってほしい。

・・・

こんなわけですが、どうですかね? エンタメがどうのこうのという話はどうでもよくなってきましたが、これら三つは全部ファンタジーも美少女もチートも出てこないのだから、もうおれもそうすればいいんじゃねえ?? (おれ一人が)納得したところで筆を置きたいと思う。

小説における現実っぽさとフィクションのバランスに関しては、実はまだ語り足りないこともあるので次回に続くぞ(笑)。

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