修羅の国

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修羅の国・・・とはやしたてられることも多い北九州であるが、ワタクシは子供の頃はそのド田舎の山奥に住んでいて、そこでもこんなことがあったりするのであるが、、、、

とはいえ、小学生の頃は万引き少年や、ボンタンはいた悪ガキや、「修行」と称した本気の格闘が休み時間のたびに行われることも、剃りこみ入れた空手道場に通う中学生に「根性をつける」との名目で集団で呼び出されて回し蹴りを順番に食らったりだとか、仲の良い友達とみんながみてる中で殴り合いの喧嘩させられたり(文字通りの意味である)、「ナックル」と呼ばれるメリケンサックや、木刀を彫刻刀で削って尖らせて護身用に懐に忍ばせていたりだとか、近所の野良犬を捕まえて鉄棒に括り付けて絞首刑にしたりだとか、そんなあれこれも、田舎の情報の少ない中に缶詰にされた子供としては、それが特別異常なことだとは思わず、男子が男子であるための最も大変かつ危険な部分を一身に背負わされておれはたくましく成長していた。

そんな武闘派にならされた?ワタクシはなぜかちょっとお勉強もできたので、北九州の小倉という場所に移り住み、お坊ちゃんが通うようなお利口な私立の中学校に入った。

田舎で文字通りの意味で鍛えられ、そこそこ腕っぷしに自信があったワタクシは剣道部に入部し、同じクラスの同級生や、部活のめぼしい男を文字通りの意味で叩きのめし、粗暴な近寄りがたい人間としての地位をほしいままにしていた。おれは小学校6年の時点で身長が170センチを超えていたので、そもそも体がデカかった。中一なんて150センチぐらいの毛も生えてないような野郎がけっこうな数いたので、おれが身体的な優位性を利用して彼らをぶちのめすことは極めて容易であった。しかも暴力をふるうことに対する抵抗が人より著しく弱い。殴り殴られ蹴られながらも蹴り返し、ヤンキーの中学生と組み手をしていたようなおれに、都会のお坊ちゃんの中学生では勝ち目がなかった。しかもその中学ときたら、先生まで異常な武闘派で、ちょっと何かしたら文字通りの意味で鉄拳制裁が待っていた。鉄拳ならまだいい。木刀や竹刀や鞭までしょっちゅう飛び出す始末であった(嘘ではない)。暴力が常に日常を緊張させている…そんな世界でおれは生きていた。

そんなおれが中学二年になったころであった。世界が激変したのをよく覚えている。
ある日、地元の南方中学(仮名)が、近所のなみいる武闘派中学との抗争を勝ち抜き、天下を取ったという噂が悪ガキどもの間で流れたのだ。
「なによそれ(笑)。抗争(笑)?ヤクザ映画かよ(笑)。くだらね」とそうおれは思った。
そりゃ当然の反応だ。今のおれでもそんなシニカルな反応をして笑い飛ばしたに違いない。

おれはよくケンカはしていたかもしれないが、学校は真面目に通っていたし、部活も真面目に打ち込んでじきキャプテンと目されていた。
いわゆるヤンキーではなかったのである。群れるのが非常に嫌いで、それはその頃からそうだったのだ。
正直一対一の喧嘩なら「誰が相手でも負ける気しないし~」と調子こいていた上に、実際その頃は元々の粗暴な性格に剣道部で鍛えられた肉体が重ねられ、おれは自信で満ちていたのである。

しかし、おれの家はその南方中学の悪ガキどものテリトリーのど真ん中を通過せねばならなかったのであるが、モノレールの南方駅(仮名)を降りて、家までの道のりを歩いていると必ず通過するのが、悪ガキどもがスケボーしたりたむろしている高架下のだだっ広い駐車場で、大通りのわきにあるのに人どおりは少なく、高架下であるがゆえに年中薄暗かった。おれはそこを通る時も、これまではまったく気にしたことがなかった。「そういえばいるねえ、悪ガキが」という程度で、同級生のいつも漫画ばかり書いていた近所に住む竹下君が「あそこやばいよお。怖いよお」と言うのも全然理解できなかった。危険な目にあったこともなければ、何も気にしたことがなかったのであるが、嘘のような話だがその「抗争」の噂が流れてからというもの、その付近の中学生の攻撃性はこれまでの150倍ぐらいに上昇し、私もただ歩いているだけなのにしょっちゅう今でいうストリート系のファッションに身を包んだ悪ガキの集団に囲まれることが増えてきた、というかほぼ毎日となったのである。

おれの自信など、荒ぶる集団を前にすれば吹けば飛ぶようなものであった。そのスケボー場を避けるように遠回りすれば、別の悪ガキの集団に絡まれる、ゲーセンに行けば絡まれるなどと、日常が非常に危険なものと変化したのである。ある時などは、ゲーセンで金を要求されたので拒否した友人が、そのゲーセンの中にいた全ての悪ガキに一斉に囲まれて為す術もなく有り金を強奪された、という事例もあった(嘘ではない)。ゲーセンはオタクが行くものというイメージだろうが、北九州では紛れもなくヤンキーの溜まり場で、オタクが行くのは大変に危険な場所であった。しかし、オタクも危険だが、中途半端に悪ぶっていたおれなどは非常にターゲットにされやすく、下校途中に絡まれないことなどほとんどない、というまで状況は悪化していた。

街を歩くときは常に周囲に気を配り、危なそうな奴がいないかどうか、いたらすぐに距離を取るという癖が定着した。一人を喧嘩で叩きのめして、五十人に報復されたという例が頻繁に飛び交っており、上のゲーセンの例をあげるまでもなく、ヤンキーの横のつながりはあらゆるところに潜んでいるうえに見えにくい。このような背景を持つ悪ガキが、バックをちらつかせながら単身で五人をカツアゲするという現象も起きた。必ず彼らは最初に学校名を聞いてきて、その学校に知り合いがいるということを話して聞かせ、逃げ道を塞ぐのである。そして守ってやるから金をよこせという。まるでヤクザだが、多分ヤクザは彼らのような若者をリクルートしているに違いないし、悪ガキどもはモノホンのヤクザのやり方を真似ていたに違いない。

あまりにたちの悪い話に、自分で書いていても唖然としてしまうが、これはせいぜい20年前ぐらいの小倉の現状で、今はどうなっているか知らないが、そんな環境で育ったおれは自信どころか、すっかり臆病で奥手な性格になってしまったのである。そんな田舎から出てきたおれは「都会っておっかねえ・・・・」と思ったものである。本当に嫌な思い出だ。これってスクールカースト的に見たらなんていえばいいの(笑)。

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