セイヴィアと無法地帯

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ナチスドイツが狂信的な人種観を持って600万人のユダヤ人を虐殺した後、欧州では偏狭なナショナリズムや愛国主義はいさめられる傾向が続いた。欧州は再び偏狭な民族主義やナショナリズムによって、弱い民族を迫害するようなことは二度とないと自信を持っていた。しかしそんな中起こったのがこのボスニア紛争である。

saviorボスニアはユーゴスラヴィアを構成する小国の1つだが、クロアチア人、セルビア人、ムスリム人という文化も言語も宗教も異なる3つの民族が混在して暮らしている。ボスニアは長いことカリスマ指導者チトーによって1つに統一されており、大きな争いが起こることは無かったが、そのカリスマの死後、求心力を失った各民族によって三つ巴の内戦が始まり、激しい迫害(アメリカの宣伝会社はこれを民族浄化と名づけた)が各民族同士で行われるようになった。

1991~1995年まで断続的に続いた戦闘や虐殺で20万人の人々が死亡、200万人の難民が生まれたとされている。また、敵民族を根絶やしにするため組織的な強姦が各所で行われ、被害者は2万人と言われている。その後もちろん多数の望まれぬ子供が生まれた。欧州はこの残忍な紛争が同じ白人によって行われたことに驚愕し、自分たちが歴史から何も学んでいないことを学んだのであった。

セイヴィアは98年アメリカ映画で、このボスニア紛争を舞台とした映画である。主人公はアメリカ人で家族をイスラム原理主義のテロによって殺害されており、その怒りの矛先をボスニアのムスリム人に向けていた(ムスリム人はイスラム教であるので)。

戦争映画中央評議会でも紹介しているこの映画だが、これはボスニア紛争の過酷さを知るのに最も適した映画だ。とにかく陰惨である。セルビア、クロアチア、ムスリム各勢力はそれぞれが大規模な軍事組織を保有しており、それらを制御できる圧倒的リヴァイアサンはこの国に存在していない。

各勢力はタガが外れてむき出しの本能でもって眼前の敵全てを撃滅しようとした。女子供は動きがのろいし殺すのは簡単だ。犯して殺せば二度おいしい。生かしておいても妊娠させちまえばその民族はそれ以上数が増えない。

血は水よりも濃しと言うが、人は自分や他者の肉体の内に流れる血液の来歴を気にしないではいられない。

後半にボスニア紛争の過酷な民族浄化の一端をうかがわせるド派手な虐殺シーンが存在する。女も子供も老人も。木槌やハンマーで殴り殺し、躊躇無く自動小銃で皆殺しにするクロアチア軍武装集団に茫然自失。主人公は多勢に無勢で見ているだけ。誰一人助けられない。ここがまたなんとも言えずリアル。朝日の照り返す美しい湖にぷかんと浮かぶ屍の山。鳥の鳴き声すら聴こえぬ誰もいなくなったほとり。

人間は自分と違うコミュニティに属す人間に対してはいくらでも残虐になれる。なんでなんだろう?ぐったりする映画ではあるがラストは救いが提示されており、観賞後はほんのり感動することができる良い映画でもある。

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