高潔死

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ワタクシの職場ではだいたい月に2,3人、多い時で10人ぐらい人が死にますが、最後はみんな孤独なもんです。あたたかい最期を、だなんて施設にいるのに無理だよね、と感じています。家族がいようが孫がいようが結局最期は一人ぼっちで三途の川を渡るのである。死んじまったら意識は無に還り体は焼き付くされて灰となりそのうち(想像よりもずっと早いうちに)皆から忘れられて存在の痕跡さえ消える。家族がいようがいまいが最期は一人である。


介護保険によって運営されている介護老人福祉施設では、割とそれが日常である。人の死に直面する機会が多いのだが、もうおれも慣れに慣れてしまい、全く心も動かず、死んだからには空床ができるわけで、空床を埋めるために即座に新しい重介護高齢者が収容されてくるので、その人の生活スタイルもろもろをまた考えねばならない。考えるのは楽勝だが、それを介護士にやらせるというのが難問で、彼らは面倒な仕事をサボタージュするのが常でありますから、ワタクシとしてはいつも思い通りにならない憤りをいつしかもう「諦めたよ」と冷笑することでどうにか抑えつけている状況である。やる気がなくなるのはおれの生来の怠惰な性格が理由の全てではない。そういう構造もあるということだ。

仕事の話はしない、と言っても、今日は人間はいかに死ぬべきかという問題について語りたいので、多少は目をつむってもらいたい。毎日のように死ぬ人と死に損なっている人をみているから、どうしても自分の体験談を述べてしまうのである。ご容赦いただきたい。

今日はNHKの朝のニュースで、いかに死を看取るか、という話題について話されていて、その取材対象になっている施設では職員の平均年齢は24歳で、まだ人の死に触れたことがない人がほとんどで、看取るといっても何をすればいいのやらわからないわけである。でもわからないなりに何かをしなければ、という想いがあり、若い頃猫が好きだったらしいというもの言わぬ老人のために近所のペットショップから猫を借りてきてその人の膝の上に乗せてあげたりとか、滑稽と笑う者もいようが、おれは何かをしようという想いがあるだけ、眼前で死んだ目で排泄介助と風呂介助ばかりしているうちの職員よりはるかにマシだと思ってしまった。最後は家族に手を握られ職員と家族に暖かく見守られ、その人は死んでいったのだが、このような理想形を朝の電波に乗せたNHKに対し、気持ちはわかるしおれも朝からなんでうちの施設ではこういうことができないのだろうと思うと悔しくて悔しくて号泣したが、報道というものの本質はプロパガンダではなくて現実をありのままに伝えることではないか、と考えると、手放しには賛同できない。こんなごく一部の好例を見せて、この仕事は大変ですよだなんて、いくらなんでもピントがずれすぎている。現実は誰であろうと紋切り型にベッドに寝かせて床ずれ作ろうが知らん顔で、おむつはかせて気が向いたときに交換するし〜〜起こさなくていいから担がなくてすむし~~お風呂も入れなくていいし~~飯も無理に食わさなくていいし~~水も飲まないしほっとくし~~と職員は看取りになったら仕事を率先してサボり、死ぬまでほったらかして死んだら葬儀屋と医者と家族を呼んで早々に荷物をダンボールに詰めるだけである。全くもって馬鹿馬鹿しい。これが大部分のありのままの現実であり、みんなに見守られて安らかに、だなんてそんなことは期待できないし、文字どおり自分の体が動かず何も話せずの状況のことを今から対策立てようったって難しすぎる。

じゃあ単なる愚痴か?といえばそうではなく、自分の人生の略歴を今から紙にまとめて、自分はこういう状況になったらこうすることを望む、と紙に明記し、信頼できる後見人や弁護士、家族などに預け、延命が嫌ならそう書けばいいし、植物状態になった時は犬を触らせてほしいとか、りんごジュースよりオレンジが好きだとか書いておくことは大事ではないだろうか。例えば、食べれなくなった時、施設はジュースをガーゼに染み込ませて口腔内をケアするのだが、これは最期まで残る味覚が甘味であるから最期に味覚を楽しんで頂くだとかうちの無能栄養士の発案であるが、もっともらしいことを言ってこんな滑稽なことをしているが、普通ジュースで歯磨きとかやりてえか?!ものも言えなくなった時に茶髪にピアスの若造にジュースつけたガーゼで口の中を乱暴にぐちゃぐちゃとやられるぐらいならもう何もしなくていいわ。さっさと肺炎にでもなるからほっといてくれ、と思う人間がいないとなぜ断言できるのか?マニュアルなどは糞食らえで、こういうのはそういうもんだから、と紋切り型の看取り介護をやっているのが現実だが、本当にくだらない。さっさと殺せと言いたい。

もう人の心配までする気もないが、そもそも施設なんかに入りたくないという場合はどうするか?ってそんなの簡単だ!家族と縁を切って一人で暮らせばいいのだ。もう死ぬ前から一人だった。高潔に一人で生きてきた。そういった人間だけが施設に収容されて「ジョニーは戦場へ行った」のジョーみたく、殺すのもアレだし生かしとこうという優生学を曲解したスローな拷問を回避し、高潔に一人で死ぬことができるわけである。施設に収容するのは君の家族であり親しい人間であることを忘れるな。面倒臭いから施設にぶちこむのである。自分が糞の始末をしたくないから。それが理由のすべてである。糞まみれだろうがなんだろうが死ぬべき時にさっと死ねるのは幸せだ。最高の死に方だ。孤独死と忌み嫌わず高潔死とでも呼んで欲しいものである。と、言いつつ、おれは一人で生きていくのはやっぱり寂しいのでついつい今日も女のおっ×いに顔を埋めてぐーぐー寝ますけれども、本音を言えば施設には行きたくねえ、、、愛、アムールみてえに枕かぶせて楽にしてくれえ!一分で終わるからあ!それができなきゃ胃に穴あけられて20年ぐらいベッドの上で石像として生きなきゃなんないんだ!嫌だあ!嫌だあ!助けてくれえ!生きたくねえ!殺してくれえ!(フェードアウト)

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