第三帝国極悪伝説30
ジプシー絶滅に協力した博士たち

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ロベルト・リッター & エヴァ・ユースティン

Dr.Robert Ritter & Dr.Eva Justin

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L:Ritter   R:Justin

”ジプシーの根絶に尽力した人類学者たち”

所属:人種優生学・生物学的人口学研究所
出身:共にドイツ
職業:医学博士・人類学博士
罪状:ナチ政権の”ポライモス”政策を理論的に後押しした


アドルフ・ヒトラーが1933年に権力を握った時、彼のナチス政権は既に中世以来ドイツで行われてきた反ジプシー法を諸々引き継いだ。

ジプシーはインドの不可触民が起源とされ、インドの迫害を逃れて西へ流れ出した流浪の民がやがてヨーロッパへと至った。彼らはロマやシンティと呼ばれることも多い。今でいうルーマニアやモルドヴァでは彼らは激しい迫害を受け、長きにわたって奴隷化され、白人によるジプシーの殺害や拷問はスポーツを楽しむかのように平然と行われ、またそれを正当化する法律が種々設定された。アメリカで黒人が奴隷化されたことに近い構図があったのである。

のちにルーマニアで奴隷解放運動がにわかに活発になると、ジプシーたちは再度奴隷化を合法とする枠組みがいつ制定されるかもわからないという恐怖の中、ルーマニアから逃げ出しさらに西へと向かった。しかし西でも激しい迫害を受けた。18世紀神聖ローマ帝国のカール六世の治世では、ジプシー男は見つけ次第即決死刑。ジプシー女子供は両耳をそぎ落としたうえで国境まで強制連行し、その間ずっと鞭打ちを続けるという残虐極まりない法律が執行され、ジプシー狩りは人気のスポーツだった。

ナチスによる権力掌握のずっと前から、ジプシーは社会的にのけ者扱いされてきた。その異国人風の外観、奇妙な習慣と言語、定住しない生活、定職の欠如が、近代国家と社会の規範とは合致しないと考えられてきたからである。反社会性、犯罪の温床、文化的劣等性、国家の中の異物としての扱い……。1920年代に入って、最初はバイエルンで、ついでプロイセンでジプシーを不断に監視するための警察の特別局が設置された。彼らはハナから犯罪者であるかのように扱われ、写真を撮られ、指紋押捺を求められた。ナチスが権力を握ると迫害の根拠として新しい理由が加えられた。人種的に明確に劣っているとされたことである。

この科学的根拠に利用されたのが、中世以来のジプシー研究を下地に19世紀から活発化し始めた優生学や人類学であり、これらの研究に人生を捧げた科学者、研究者たちはナチスに対して迫害を正当化する根拠を提供し、ナチはそれを単に引用するだけで彼らの肉体的な絶滅と文化の総破壊をすぐさま実行に移すことができた。ナチはジプシーへの攻撃に何ら新しいレトリックを作る必要さえなかったのである。

ナチが政権を取ってすぐに親衛隊の特別局が、ジプシーをかき集めて船に乗せるだけ乗せて大洋の真ん中で沈めるという計画を立てた。まだユダヤ人の迫害に法的根拠がない時代であったが、人種優生学・生物学的人口学研究所の当局者たちはロマ・シンティ由来の人種を登録する長期計画に着手していた。

1935年には「ドイツ人の血と名誉を保護するニュルンベルク法」が制定され、ユダヤ人同様にジプシーもアーリア人との性交、結婚の禁止、公職からの追放が定められ、次々捕えられては強制収容所へ収容されることになった。ユダヤ人の場合は4分の1の混血でユダヤ人とみなされたが、ジプシーの場合、その倍も厳しく8分の1の混血でジプシーとみなされた。彼らは既に流浪をやめ、定住して定職を持ち、見た目も白人とほとんど変わらず金髪の者も珍しくなく、ごく普通のドイツ国民として暮らしているものも多くいた。しかし彼らは政府によって「生きるに値しない命」との認定を受け、撲滅されることになったのである。

1936年の秋が深まるころ、ベルリン・ダーレムの「帝国公衆衛生局・人種優生学・生物学的人口学研究所」がその活動を開始した。その所長は精神科医のロベルト・リッター博士で、彼は冷酷な民族衛生論者であった。彼はほとんどいつも例外なしにジプシーを「反社会的混血人種」と呼び、民族共同体(フォルクスゲマインシャフト)に害をなす危険な存在と捉えていた。

リッターの研究所は帝国保安本部(RSHA)傘下の刑事警察局(クリポ)の依頼を受けてジプシー絶滅作戦の執行者としてふるまった。ジプシーの混血度は正式にはクリポが決定する権限を持っていたが、結局のところ、そのような混血度の「測定」は研究所の科学者にしかなしえず、RSHA長官ラインハルト・ハイドリヒは1939年3月に民族衛生学者たちに警察の保護と支持を与えることを約束した。生かすも殺すも衛生学者たちの「人種測定」次第となった。その年の10月にはジプシーの移動を禁ずる特別規定が強化され、ジプシーは労働収容所に送られた。1942年12月には親衛隊全国指導者・全ドイツ警察長官ヒムラーによって「ジプシー問題の最終的解決」が指示され、民族衛生学者にジプシーと認定された者はアウシュビッツのジプシー収容所に送られて殺された。

ロベルト・リッターは1901年にドイツ南西部のアーヘンにて生まれ、1927年にミュンヘン大学心理学科を修了。続いて「アレルギー特異体質の遺伝について」という論文をハイデルベルグ大学に提出した。その翌年からスイス・チューリッヒの精神病院で助手として勤務。34年から「ドイツ人種優生学協会」で補佐医に昇格。テュービンゲン大学の「遺伝生物学実験室」で人種研究を行っていたリッターは、「混血ジプシーの遺伝学的研究」と題する発表を行う。その後「浮浪者・詐欺師・盗賊の末裔に関する遺伝学的研究」という教授資格論文を提出した後、「帝国内務省」の「帝国公衆衛生局」が犯罪予防の見地から計画していた非定住生活者の調査に参加するためベルリンへ移った。

「異常な人格」は遺伝するという確信を持っていたリッターは、「帝国公衆衛生局」の「人種優生学・生物学的人口学研究所」(のちに「人種優生学・犯罪生物学研究所」と改名)の所長に任命された。

人種間の混血は「反社会性、犯罪性、低能」を生み出す温床であり、混血者がその子孫を残すことを阻止することがリッターの理論の基本であった。野蛮な未開人たるジプシーのほとんど全てが反社会的気質を持った混血者であると主張した。純粋なジプシー(ほとんどいないとされたが)は隔離された居留地に保護し、混血者は強制不妊、断種、強制収容所への拘禁が必要であると唱えた。

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リッターと「秩序警察官」

リッターはヒムラーと親交があり、ナチス体制下で出世を遂げた人物である。42年に刑事警察局内の「犯罪生物学研究所」の所長となり、43年には帝国公衆衛生局の局長に任命された。ベルリン大学の犯罪生物学教授でもあったリッターは終戦までこのような人種優生学の研究を続けた。

しかし、彼は戦後も裁かれることもなく、むしろ「青少年精神病学」の医師として47年からフランクフルト市の職員となって、あろうことか公衆衛生局に所属した。その後1948年からジプシー迫害への罪状を問われ、ジプシー団体から提訴を受けたが、その際リッターはこともなげに「ジプシーは空想と現実の区別がつかない」と言い放った。裁判は公平性に著しく欠けるもので、司法はことごとくリッターの発言を信用し、ジプシー側の言い分を無視した。リッターは何の問題もなく無罪が確定し、その翌年高血圧による合併症で死去した。ただし、死亡診断書を書いたのがリッターのかつての盟友ヘルマン・アーノルドで、彼はリッターの研究教材を引き継ぎ、民族差別的なジプシー研究を続けている。リッターは本当に死んだのかと疑いをはさむ研究者もいるという。ジプシーへの偏見は戦後も払拭されず、差別は残り続けた。

リッターの忠実な弟子で教え子であるエヴァ・ユースティンは1909年にドレスデンで生まれ、1934年から人種優生学・生物学的人口学研究所の補助職員として勤務。彼女はもともと看護師としての訓練を受けていたがリッターに師事して精神医学を学び、36年以降の人種計測の仕事に携わった。彼女はジプシーの言語に精通し、彼らと密に連絡を取り合って豊富にコミュニケーションをとり、信頼を勝ち得ることに成功していた。このようにして、たくさんのジプシーの混血児を集めて人種的特徴を計測してデータを取り、研究を続けた。

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人種計測をするエヴァ・ユースティン

このようにして書き上げた博士論文でエヴァは1944年に人類学博士となった。論文の内容はアーリア人とジプシー混血の犯罪的気質を挙げ、混血とアーリア人の血の汚染を防止するために徹底的に排除することを提言している。

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エヴァ・ユースティン

彼女の実験で使用されたカトリック教会の孤児院にいたジプシーの子供たち41人のうちほとんど全員は、実験の直後アウシュビッツへ送られほぼ全員が死亡した。この時期は「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレがアウシュビッツに着任した直後であり、子供たちは今度は絶滅収容所で死の医者に体をいじくられ、狂気の医学実験によって命を落とし、それを免れた子供たちもガス室によって命を落とした。

戦後、エヴァ・ユースティンも同じくフランクフルト市にて児童心理学者として雇用され、なんと再度リッターの下で公衆衛生局の役人として働いた。1959年に訴訟が起こったがすぐに打ち切られ、66年に癌にて死去。リッターとエヴァの研究資料はヘルマン・アーノルドやエルハルト・ソフィ(同じくリッターの弟子でテュービンゲン大学の人類学研究所で教授にまで出世し民族差別的な研究を続けていた)に受け継がれ、彼らはそれらの資料や研究内容を西ドイツ政府の手から隠匿し続けた。

81年になってようやくそれらの資料が西ドイツの連邦文書館に移された。

ジプシーへの差別は今でも根強く続いている。ドイツ政府はジプシーの絶滅政策にほとんど補償を行わず、「彼らは人種的に迫害されたわけではなく、その反社会的気質から排除されたのである」との詭弁を弄し続けた。82年以降、ようやく「非ユダヤ系被迫害者特例基金」が設置されジプシーへの補償の道筋ができたが、その後も補償はほとんど進んでいない。

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我々がこのような悲惨な歴史から学べるのは、科学はしばしば時の権力者によって利用され、恣意的に使用されるということである。人種的な劣等性などに本来科学的根拠はない。何をもって優れているのか、など誰も決めることはできないからだ。しかしこの時代、ジプシーが劣等であるという考えはまさに科学がお墨付きを与えたのである。科学は容易に論理の飛躍を起こし、目的の仮説にこじつけることができる。科学を当てにしすぎてはいけない。愚民どもを信じ込ませるために科学っぽく体裁を取り繕っているだけかもしれない。

科学を信じるな。

参考
「ジプシー収容所」の記憶―ロマ民族とホロコースト
ジプシー差別の歴史と構造―パーリア・シンドローム
人間の価値―1918年から1945年までのドイツの医学
優生学と人間社会 (講談社現代新書)

https://en.wikipedia.org/wiki/Eva_Justin

http://www.ushmm.org/learn/students/learning-materials-and-resources/sinti-and-roma-victims-of-the-nazi-era/dr.-robert-ritter-racial-science-and-gypsies

http://jimmymcphee.blogspot.jp/2010/08/robert-ritter.html

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