【書評】ボタン穴から見た戦争 白ロシアの子供たちの証言

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あのよお。。ハルキたんがそんなノーベル文学賞なんか取るかよ。。

僕は激しく勃起した。どうしてこんなに硬くなれるんだろうというぐらいに。←てきとう

だぜ?!こんなんが文学賞取っちゃったらノーベル文学賞の権威が地に落ちちゃうじゃんよお(笑)。


まあ、そんなこんなではあるが、新作を出したわけでもないのに今更今年急にとるわきゃないと思うのだが、それでも期待されていた、とニュースになるのがすごいですね、ハルキたん。。。巨匠だ。。

haruki

このジョジョっぽいポーズはツボったで、、

馬鹿にしてるわけじゃねえ!おれは大学生のころ村上春樹はめちゃくちゃ読んだ。著作はほぼ読んだと思う。大学生は読むべきだ。でもいつしか新作は読まなくなったな。。。その当時ちょっと好きだった女の気をひこうと「1Q84」を読んだのが最後である。。クソつまらなくて泣きそうだったが話を合わせるために必死で読んだものである。。でもその女には結局フラれたというか相手にもされなかったのだが、、アレはかなり今思い出してもイタい思い出だ、、っきしょお、、、

それだけではない!おれは大学生のころ、ハルキたんのなんとかかんとかフォークロアとかいうタイトルのとある短編を読んでその当時遠距離恋愛していたかなり好きだった女と勢いで別れたことがあった。なんかしんみり悩んでいる時に何度も何度も読み返していたその短編をまた読んだら、ほんのりと泣けてきまして、、、アレは今思い出してもハルキたんのせいだ、、、っきしょう、、、まあそんなセンチな黒歴史もあることもあるということです。←おかしな日本語

まあ、そんなのはどうでもいいのですが、あまりにじっくり読んだのでハルキたんを語りだしたら実はかなり長くなる!昔ハルキたんをこきおろしたコラムを書いたことがあったのですが、その当時とあるお客さんから、「村上春樹をこきおろしているコラム以外は全然面白くない」という匿名のありがたい応援メールが来ましたよ!(満面の笑顔)・・・という程度には村上春樹評には自信がある(嘘)。

ま、でも今日はハルキたんの話はこれぐらいで(笑)、代わりにノーベル文学賞をとったスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチですね!

誰だこの女流作家!長い名前だなあ~。どうせ田舎の風景とか小説にしてるんやろ?←偏見
、、、と思っていたら、おれはこの作家の著作を持っている(汗)。
なんだ、「戦争は女の顔をしていない」とかの人だったのか、、、

そもそも大昔に買った「ボタン穴から見た戦争」というガンダムのスピンオフアニメみたいなタイトルの本ですが、おれが初めて「炎628」をレンタル落ちVHSで観る更に昔、あまりにも「炎628」が観たいのにどこにも売ってなければレンタル屋にもないじゃないか、という有様だったので、とりあえずベラルーシのナチス支配のことを調べたくてこの本を手に取った。大学生の頃だったと思う。。当時はアマゾンとかで売ってなかったので出版社から直に取り寄せた覚えがあるど、、、そう、この本自体もけっこうマイナーだったのである。今やノーベル文学賞作家よ。。。すごいことだ。。

この本はど真ん中「炎628」の時代に少年時代を過ごしたベラルーシ人の当時観た戦争と独軍による恐怖支配の時代をインタビュー形式でまとめている。一つ一つが超短編小説のようになっているが、田舎っぺな感じのベラルーシ人の言葉遣いをうまいことつたない日本語に翻訳した訳者の手腕もなかなかである。

ドイツ軍ひでえなあ。。。まあ、「ドイツ軍」といってもオルポ(秩序警察)やシューポ(現地人補助警察)やアインザッツグルッペ(保安警察・保安部の特殊部隊)やヴェーアマハト(ドイツ国防軍)も雑多に混じっているようだが、その子供目線の目を覆うような残虐描写は必見だ。あまりにもシドい。。まあ、ワタクシも自分の書いたホロコースト小説にこの辺の残虐描写を取り入れましたけれども、、おれの目から見てもこれはけっこうひどいの!まあこんなん言ってもアレだから一部抜粋しましょうか、、


僕たちの村が焼かれたのは1943年だった。その日僕たちはジャガイモを掘っていた。隣のワーシリィは第1次大戦に行っていたのでドイツ語ができた。
「おれが行ってドイツ人に村を焼かないように頼んでこよう」こう言って出かけていったがワーシリィ本人が焼き殺されてしまった。


ドイツ軍がやってきた様子はなぜか覚えてません。覚えている限りではもういたんです。前からいて、女、子供、老人を村から追い出したんです。
機関銃を後ろから突きつけられて「パルチザンはどこにいるのか言え」と命じるんです。皆黙ってました。すると奴らは3人に一人ずつ連れ出しては銃殺したんです。
男が2人、女が2人、子供が2人。そうして行ってしまいました。
・・・
パルチザンの家族の人が連れてこられました。みんなの目の前で首を落とされました。


僕たちから数歩離れて機関銃がすえられ、そのそばに親衛隊の隊員が2人腰掛け、なにかのんきにおしゃべりをはじめ、一度など笑い声を上げたりしていた。
若い将校が近寄ってきてこう言った。通訳が
「将校殿はパルチザンの仲間の居場所を知りたがっています。黙っていれば全員射殺する」そしてこう言った。「3分待つ。そして銃殺だ」
皆お互いにひしと身を寄せ合った。・・兵士が遊底を下げて弾をいれ、機関銃を構えるのが見えた。・・前の方にいた人達から14人が選び出され、スコップを渡された。
・・3人ずつ銃殺された。穴のふちに立たされ、至近距離で撃たれる。そして穴に埋められた。僕たちは突っ立ってみていた。土をかぶせ、長靴で踏み均すのを。

殺されたものを掘り出して埋葬することは20日たってやっと許された。その時初めて女たちが泣きわめきはじめた。村中が泣き叫んだ・・。


お母さんはパルチザンを夫にもつほかの女性2人と一緒に連れて行かれた。その翌日3人とも村はずれで雪の中に倒れているのが見つかった。お母さんはなぜか顔をめがけて撃たれていた。僕はおじいちゃんにしつこく聞いた。「どうしてドイツ軍は顔に向けて撃ったの?お母さんはあんなにきれいな人だったのに・・」
おじいちゃんが棺を作って、おばあちゃんは泣いていた。僕はそれを見ていた。お母さんは埋葬されたのに僕はお母さんを待っていた。
長いこと、もうお母さんはいないのだということを受け入れられなかった。お母さんは何も悪いことをしていなくて、ただじっと、刺繍をしていただけなのに。
それを殺してしまうなんてどうしても理解できなかった。


「おまえらロシアの豚どもにはいいことがある」
こう言われて強制収容所に連れて行かれた。わらの上に子供たちが座っていて、その上にしらみがはいまわっていた。わらは電気の通った有刺鉄線の向こうに広がる野良から持ってくるのだ。毎朝鉄の門がガチャガチャ鳴って笑いながら将校と綺麗な女の人が入ってきた。女の人はロシア語で
「おかゆを食べたい子、急いで2列に。食べられるところに連れてってあげる・・」2人はふざけて笑ってた。子供たちは我先にと小突きあい、押しのけあう。
皆、おかゆを食べたいのだ。
「25人だけよ。」女の人は人数を数えなおす。
そんなことが何度か繰り返された。はじめはみんな押しのけあったがだんだん怖くなってきた。おかゆを食べに行った子は誰も帰ってこなかったのだ。


おれは見た。捕虜になった人たちの隊列が追い立てられて銃殺されたのを。ドイツ軍の電車が転覆した翌朝に、鉄道で働いていた人達がレールに寝かされて電車に轢かれたのを。
首に黄色い輪をつけた人々が「ユダ!」と怒鳴られて全員撃ち殺されたのを。母親の手から赤ん坊が銃剣でひったくられ、火の中に放り込まれたのを。


ラーゲリ(強制収容所)である朝、妹が連れて行かれました。妹は金髪の巻き毛で青い目でした。ドイツ軍は金髪の子供だけ集めて登録していました。
ドイツ兵は妹の頭をなで気に入っていたようでした。妹は朝連れていかれて夕方帰ってくるのですが、日に日にやつれていくんです。お母さんが色々問いただしても妹は何も答えません。
何かで脅したのか、薬を与えられたのか、妹は何も覚えていませんでした。後になって子供たちは血をとられていたのだと知りました。きっとたくさん採られたのでしょう。
数ヶ月たって、妹は死にました。


私たちは機関銃を突きつけらて連行され森の空き地に連れて行かれました。・・兄たちが射殺されるのを母と一緒に見ました。
兄は穴の中に蹴落とされました。泣くことは許されず、村に追い戻されました。
私たちは2日間そっと泣いていました。3日目にドイツ人と村の警官がやってきて埋葬していいといいました。
シャベルを持っていって穴を掘りながら、泣きました、警官たちが言います。「泣く奴は撃ち殺す。笑え・・。」笑うよう強制されました。
私ががかがみこむと、警官は近寄ってきて、私が笑っているのか泣いているのか覗き込むんです。
平気で突っ立っていて・・・皆若くてハンサムな男の人達・・その人達がこんなことを命ずるんです。すさまじい恐怖の念にとらえられました。
死人よりも生きた人間の方が怖くなったんです。この若い人達が・・その時から、若い男の人が怖くなりました。ずっと独身です。・・お嫁には行きませんでした。


ドイツ軍が家を取り囲んで喚きました。「出て来い!」
お母さんが家を出てドイツ軍の車に乗せられました。3歳のガーリャがお母さんを恋しがってついて行き、一緒に車に乗せられました。・・
おばさんが「お母さんは殺された。あんな姿を見ちゃいけないよ」と言いました。
何年もたってからお母さんは眼をくりぬかれて髪を引きむしられ胸を切り落とされたのだと聞かされました。
小さなガーリャはドイツ軍のシェパードを何匹もけしかけられました。犬たちはガーリャをずたずたにしてくわえてきたそうです。お母さんがまだ生きているうちに。


私はどこかに遠のけられた。それからまず子供たちが撃ち殺されるのを見たんです。撃ち殺して親たちがそれを見て苦しむのを観察しているんです。
私の2人の姉と2人の兄が殺されました。子供たちを殺してしまってから親たちに移りました。女の人が乳飲み子を抱いて立っていました。赤ん坊は瓶で水をすすっていました。
奴らはまず瓶を打ち抜いて、次に赤ん坊、その後でお母さんを殺したんです。
私は気が狂ってしまうと思いました・・。

一部と言いつつどんぶりいっぱい抜粋しましたけれども、これはひどいっすねえ、、ひどくないっすか?まあ全部本当かわかりませんよ?政治宣伝もあるかもしれません、、しかし多分ほとんど似たようなことがあったと言って良いでしょう。。ドイツ人はこれだけのことをやっちまってるんだから移民を受け入れようと贖罪に必死になるのはわかる話ですよね!

ではみなさんまた会いましょう。

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