屍者の帝国 映画版

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伊藤計劃といえば、おれでも名前ぐらいは知っていて、「虐殺器官」が一時かなり流行ったので、買って読んだことがありますね。筆者は病に倒れ既にこの世にはないが、この話は志半ばの未完の作品を、親友とされる円城塔が完成させたとされる小説が原作のアニメ映画である。

観たかった理由はなんとなく退廃的ムードだったから、というだけで、原作を読んだわけでも作者のファンでもないのでかなりミーハーな理由なのは最初にお詫びしたい。

死者を蘇らせて奴隷労働させる技術が発展したディストピアなロンドンで、親友の死を受け入れられずに復活させた男、ワトソン。その死んだダチはフライデーと呼ばれていた。言葉も話せず自由意思も持たないフライデーは、見た目こそそのままだが単なる操り人形で、感情もない。ワトソンはフライデーを完璧な状態で復活させ、在りし日を取り戻したいと願っているのだが、その技術の謎を解くために世界を旅する、といった趣。

シンプルな話といえばシンプルな話で、作者独特のSF風味と哲学の永年の課題をミックスさせた、割と最近よくあるタイプのお話かもしれない。

自由意思は他者からみた印象にすぎず、自分自身で自分自身を観測し、自分自身で自分自身が存在していると証明することはできない、される。これは哲学や科学のハードプロブレムで、今後も永遠に解くことはできないとされる謎である。興味がある人は「クオリア」とか「哲学的ゾンビ」とか「自由意思は存在するか?」などのキーワードで検索すればすぐなんか出てくるだろう(適当ですまん)。

すなわち、魂はあるのか?蘇らせたゾンビのような死者に自由意思はあるか?魂はあるか?と言われたらなんとなくないよね、としか言えず、流暢に言葉を話し感情豊かな死者に自由意思はあるか?魂はあるか?と言われたらなんとなくあるっぽいよね、としか言えず、そもそも生きている普通の人に自由意思はあるか?魂はあるか?と言われたら、いや、あるんじゃね?証明はできないけど。と言うしかない状況。現代科学でも千年先の進んだ科学でもおそらくこうである、解くことはできない謎。「ハードプロブレム」というらしい。

つまり、主人公たちは絶対に答えは出ないとわかりきっている謎に挑んでいるわけで、終わり方はなんとなく観念的な終わり方になるだろうな、と思っていたのだが、このアニメをみるかぎり正にそんな終わり方である。

昨今の人工知能の技術躍進にも何らかの示唆を与えている気がするが、いくらそれっぽく作ったとしても人工知能に魂が宿るか?と言われたら、どうですか?よく似たテーマだ。興味深いとも思うが、キャラクターやストーリーはといえば、原作は単なるラノベなのか?と言いたくなるような安っぽさである。巨乳の強いエロ女キャラ。気さくな豪傑系キャラ。ツンツンヘアのトラウマ抱えてる系主人公など、ステレオタイプそのまんまでこれはどうなんだろうと思ってしまった。

やってることも結局バトルやらアクションで、なんだかなあ、と思ってしまった。バトルに胸熱してりゃいいのか、哲学課題を前に難しいこと考えてりゃいいのか、全く謎であった。

アニメーションの美しさやバトルシーンの楽しさはなかなかだか、肝心のストーリーが何してるのかさっぱりわからず置いてけぼりであった。

映像の美しさや退廃的雰囲気などはなかなか良い感じだったので、原作読んだ「虐殺器官」(11月公開)も観てみたいと思う。

まあ、ワトソンは円城で、フライデーは伊藤計劃のメタファーなんだろうなあ、という構図に少しホロリと来るならばある程度感動できるかもしれないが、伊藤計劃があの世でこれをどう思っているかは、自由意思と同じく永遠に解けないハードプロブレムである。

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