権威

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日本のコンテンツ産業の内輪だけで気持ちよくなっちまってる感じはどうしようもねえなあ。なんでそんなことを考えたかといえば、朝の連続テレビ小説とか、誰も見てなさそうな時代劇とか、テレビを観ていたらしばしばそのような観念にとらわれるのだ。


これはTwitterとかでも同じだし、昔から考えていた普遍的アレコレなのだが、とにかく内輪で集まってお互い褒めあってそれで気持ちよくなっちまってる姿というのはハタからみていると大変に気持ち悪いものである。

しかし、こんなワタクシにも農耕民族の血がわずかに含まれているようで、ついつい周囲の流れとか空気を読みすぎて好きでもねえのに「みんな大好きさ!」と言わざるを得ない状況がある。まあこれは仕方がないことである。その苦味を噛み締めて大人になっていくものかもしれない。最近はその苦味さえ感じずにごく当たり前に飲み込んで胃もたれ一つしなくなってしまったが、多感な頃はこれが苦痛苦痛で仕方がなかったものである。

カルト

しかしだからと言って文句ひとつたれずに我慢して歯も立てずに飲み込んでばかりいると、そのようなものがいずれは無くなるかといえば逆であると更に最近は感じるようになった。

日本の演技とか演劇とか何でもいいが、何でこう誰がやっても魔法がかかったようにクソつまらなくなるのか不思議だった。長らくそれは俳優が単に大根で才能もないくせにお顔だけで持ち上げられているからなんでしょ、と特に思慮もなく漠然と感じていたが、やっぱりここまでくるといわゆる演出家だとか演技指導係の人とかそんな役割の人間が単に馬鹿で無能なくせに偉そうに大物ぶってのさばって誰も文句が言えない状況が延々続いているからじゃないかと考えた。

私は演技の世界には無知だし、知り合いも誰一人としていないくせに言っているわけで酔っ払いの戯言以下と思ってもらうべきところだが、それでも日本の硬直した不効率の権化のようなカンパニーで一兵士として現場でしこしこと働き飯を食っているので、日本の企業体制のアホらしさだとかくだらなさだとかその馬鹿なアレコレに付き合わさざるを得ないどうしようもなさなどには、いつもいつもほとんど年中悩まされている。だから多分こうなってんじゃねえの?そうなんだろ?このやろ〜と言いたくもなるのである。

おいおい、よく知りもしないでなに言っちゃってんだおら〜と思われるだろうが、ブログというのはどんなに無茶で稚拙なものだろうと主義・主張・意見がなければ何もできない場所である。んなのどうでもいいし〜と言っていたら3日で潰れる。それがブログだ。だからアホな意見でも言論の自由も今の所あることだしこんなおれにも言わせて欲しい。

偉そうなアホなオヤジがトップにいて下はため息つきつつ冷笑しながら仕方がないからオヤジのオナニーに付き合ってあげるフリだけするというのは日本の組織では誰もが経験する仕方がない通過儀礼である。おれなんかでもなあ。医療従事者だし、医者があーだこーだとトンチンカンなこと言っても、「先生もあー言ってるしこういう風にするフリだけしとく?それで誰も顔を潰さず済むし何かあっても先生のせいにすればいいし〜」などとカンファレンスで提案することで月給を貰っているようなものである。全くくだらないししょうもないのだが、一兵士の立場からすれば何をやったとしても上の命令でやっただけですと言うだけでいいんです、というのは強烈な誘惑である。まあこれを本当に言った奴は死刑のない国で絞首刑にされて責任を負わされましたけれども、上がアホなら引きずりおろす必要もあると思うんですよ。

アドルフ・アイヒマン

確かにちょび髭が「余は万策尽きたんで助けなさい!」クソださい命令をヴェンク中将の第十二軍に出したとき、ヴェンクはとりあえず「はい、わかりました!助けにいきま〜つ。だから今から東進しま〜つ」と言っていたけれども、部下には「もうちょび髭なんかどうでもいいしドイツももうおしまいかもしんないけど、一人でも多くの人々を戦闘とロシア兵から救いなさい、それが諸氏の最後の責務だ、もう一度苦労してもらうゼ?」と言ってだな、東に表向きは進んだが、包囲されてたベルリン防衛の主力だった第九軍と合流し、それに随伴していた民間人を助けるために残る最後の力を振り絞ったのである。

ベルリンの戦い

まあ、こう言ったらアレだがおれも毎日毎日来る日も来る日もヴェンク中将のようなことを目指そうととがんばっているわけである。馬鹿で無能な将校様の言うことに従うフリをとりあえずして、それはめんどくさいんだけど、そんな限られた中で全力を尽くすということを。現場は強いられているのだ。事件は会議室で起きてるんじゃないんだよ!と声を大にして言いたいのはおれの方だこの野郎!おおっと興奮してきたのでストップしよう。。

演技とかの話からなぜどうしてこんな話をするのかというと、とりあえず戦記を読め!戦記は人生の示唆に富む!エントジーク(最終勝利)を信じないのか?(←最近気に入っている)とそれだけが言いたかった。どうせ馬鹿で無能な奴が柔道の練習みてえに型にはまった画一的演技をウィルスのようにばらまいているんじゃないか?と思うわけである。みんな似てるんだもん。大げさな感じとかが。

で、なんでそんな馬鹿で無能な奴が上にいるのにいつまでも引き摺り下ろされもせずいつまでも居座っていられるかといえば、結局日本人のほとんどは権威に主義も主張もなく無条件にひれ伏す百姓ばかりで、昔からやってるゼ?この人は演技指導のプロだゼ?業界でこの人の名を知らぬ者はいないゼ?などと言われると、へへ〜ひれ伏しますだ〜。心臓を捧げよ(笑)となってしまうからだ。偉い人にはとりあえずひれ伏しますだ〜。まあそれはもう仕方がないのだが、偉い人が言う通りにうまくおしゃぶりできましたからと、内輪で褒めあっておれたちはすごいゼ?ひとかどの人物だゼ?と権威の上に権威をまとい、また無垢な百姓がそれを見て権威主義的となり、自分がかなりださいことになっていることにも気づかないまま、いつまでもださい演技を続けるのだろう。ご愁傷様です。

映画も同じで、誰が脚本を書こうが監督をやろうが、それで中身関係なしに褒めることしかできないのなら、それは単なるコマーシャルである。それが違うというなら北朝鮮のような独裁国家だろう。パージを恐れて言いたいことも言えないというなら、まさに同じだと思うがいかがなものでしょう?

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