「石の花」と無法地帯

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国家が斃れると無政府状態になる。当たり前のようだがなぜだろうか?

国家は暴力を行使する唯一の権限を持っており、何者かが暴力をふるって国民が被害を受ければその暴力を勝手に振るったクソッタレを国家がじきじきに暴力によって叩きつぶす。

警察や軍隊以外に暴力装置がないのが正常な秩序ある社会といえる。

しかしとある国には警察・軍以外にも暴力を振るうための組織が存在していることがある。
それらはしばしば民兵・自警団・ゲリラ・傭兵・ヤクザなどと呼ばれる。

国家はそれら私設暴力組織を完全には制御できないことが多い。
それどころかしばしば完全にコントロールを失う。
理由は様々だがこういう状況に陥れば秩序は失われ無法地帯と呼ばれる。

ひとたび無法地帯に陥れば女は犯され子供は拉致され老人は殺され家には火を放たれる。

石の花」
第二次大戦中のユーゴスラビアもこのような状態に陥った。
「石の花」は坂口尚の20年以上前のコミックだ。異常なまでに完成度の高い戦争ドラマに仕上がっているが、それでいて国家社会主義哲学をこれ以上ないぐらい深く吟味した奇書である。こんなことをした人は他にいない。

おれは100回ぐらい読んでいる、この作品の大ファンなのでまたひいきした紹介になるのは許していただきたい。

ストーリーは、ナチスドイツがユーゴスラビアに侵攻した1941年4月から始まる。旧態依然としたユーゴ軍は革命的なドイツ軍の戦略の前にあっという間に壊滅。たった7日間で首都ベオグラードが陥落。

しかし物語はここから始まり、ドイツ軍によって村を焼かれた少年はパルチザンに加入し、武装親衛隊を戦力の中心にすえたドイツ軍との死闘を繰り広げることになる・・。

こう書くと派手などんぱちものに思えるかもしれないが、実際は非常に地味にして過酷、うんざりするほどの厭戦気分を味わえる。どこをどう切り取ってもパルチザン側に華々しい勝利は一切訪れず、捕虜をとらぬ徹底的な殺人哲学で心身を武装したSS装甲師団に蹂躙される姿がしつこいぐらい描かれている。不正規戦がいかに過酷か思い知ることができるのである。

そして多民族国家たるユーゴの複雑で難解な人物相関・・・・共産主義陣営パルチザン(チトーが出てくるよ!)、チュトニク陣営パルチザン(セルビア人の対独抵抗組織だよ!)、ウスタシャ(ナチスが後見のクロアチア独立国の民族主義団体だよ!)、ドイツ国防軍防諜部アプヴェール、国家秘密警察ゲシュタポ、ユダヤ人市民・・・・他にももうめちゃくちゃ色んな組織のヒトが登場するんだが、一人一人が様々な思惑を胸に秘めていて、必要あれば協力するけど必要なければ潰しあうというわかりやすいんだかわかりにくいんだかな人間模様が繰り広げられる。

どうだい・・難しそうだろう?
正直この物語にすんなりついてこられるヒトは相当な国際政治マニアだと断言する。ユーゴスラヴィアという超複雑な多民族国家の内情に詳しいヒトは日本にはそう多くはないはずである。

この物語のすさまじいところは、というかほとんど奇跡だが、これほど複雑な人間模様を描いておきながらきれいにまとまっているということである。それどころか非常にスリリングでさえある。上質な物語に仕上がっており、各場面場面がそれぞれすごくおもしろい。

こんな話でありながら、シンドラーのリストのような強制収容所でユダヤ人が苦しめられる状況も異常に細かく深く描いている。現存するホロコースト映画で描かれていることは全てこの漫画の中に収められているといっても過言ではないだろう。とにかくそのムナクソ悪さはホロコースト映画を100本観ても太刀打ちできないであろうというぐらい陰惨である。ひどすぎる。このひどすぎる世界をそういうもんだと受け入れるな、もっと別の世界を想像しろ、と量子力学の多世界解釈のような作者の主張も説得力を持ってくる。

そしてユダヤ人を迫害するのも、パルチザンを容赦なく撃滅するのも冷酷なドイツ軍だが、彼らの思想哲学・・ニーチェや社会的ダーウィニズムを根底に敷いたと思われる圧倒的な強者の哲学・・。

名誉とは!?弱者の撲滅!
勇敢とは!?劣等者に対する鞭!
灼熱を歩まぬ者は焔の祝福を受けない!
戦いを戦わなかった者に神は姿を現さない!
肉食獣の誇りと独立心の輝きを取り戻せ!
力こそが第一原則である!
力 力 
勝利へ向かえ!ジークハイル!勝利万歳!
ってな具合である・・。
恐ろしいのはけっこう理路整然としていて1本筋が通っていることなのだ。
草食系だなんだとヒヨってる場合じゃねえんだよ。
劇中ナチスのイデオローグとして君臨している、ユーゴ侵攻軍総司令官、マイスナーSS大佐のセリフには随分共感したものだった。ヤツの言っていることは間違っていない。それは今になってもそう思う。

主役は共産パルチザンにいるわけだが、社会主義びいきということは全然ない。むしろ社会主義を批判しまくっておる。だからこそ主役は何のために戦っているんだか悩むことになるのだ。
何度も何度も圧倒的なドイツ軍に蹂躙される主人公は、平和そうに見える森なんて幻だ、力が全てなんだ、弱肉強食なんだ、ドイツ軍よりいい武器を手に入れれば戦いをやめさせられるんだ、とナチとなんら変わらぬ力の哲学に何度もひきこまれそうになる。しかしその都度仲間たちと議論をし立派な若者へと成長していく。

ナチスもコミュニズムもどっちも最悪だ。でもどっちも言ってることは理想的で素晴らしいんだよな。どれが正しいのだろう?ナチス?社会主義?民主主義?平凡な市民の感覚?迫害を受けるユダヤ人たちか?作中に明確な答えは用意されていない。民主主義ですらマイスナーの語りを聞いていればおかしなものだと気付くだろう。貴方は自分ひとりでこの難問を解くことができるだろうか?

戦場の描写はまさしく無法地帯で、占領ドイツ軍は暴走機関車状態。やりたい放題殺りまくる。対するパルチザン側は常に補給の欠乏に苦しめられ、虫やら木の皮やら食ってお互いに略奪しあう。レ×プされそうになるある女性兵士は「人間に無制限の自由を与えてはいけないわ。管理しなければ。社会主義こそ理想社会を築ける。アタシは戦うわ」と、言うのだがこれはこれですごい説得力である。ソ連の大粛清を知らなければこの兵士の考えに反対する理由はないだろう。

必見の作品だ。日本は映画はくだらねえのに漫画が上質なのは間違いねえから困っちまう。

さて、石の花でユーゴの複雑さにも触れたけれども、この作品のすごいところは1990年以降のユーゴ紛争の勃発をこの時代になんとなく予言している点なのである。クロアチア、ムスリム、スロヴェニア、セルヴィア、共産主義といった全然考え方の違う人々が、第二次大戦が終結して40余年、再び死闘を繰り広げることになる。

マイスナー大佐がこう言ってほくそ笑む。
「こういう多民族国家は肝心な時にてんでバラバラだ」

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