ニンフォマニアックとヤリ×ン嫌悪

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昔友人とヤリ×ンとはなにか?ヤリ×ンの定義とは?という議題について、一夜を通じて激論を交わしたことがあった。

友人はこう述べた。

nimpho

①自分がヤりたいと思える女であること
②自分以外の男がいること
③でもおれにはヤらせてくれないこと

を同時に満たす女だ!
※注:おれの意見ではない

リアルだよね、、

最後の”でもおれには、、”のくだりなんかもう泣ける。悲しい男心だ。

“ヤリ×ン”というのは観念である。

“ヤリ×ン”という確固たる何かがあるわけではない。

はっきり言えば、もうそいつがヤリ×ンだなこいつと思ってしまったら、そいつの中でその女はヤリ×ンなのである。というわけで、女は生きているだけでだいたいヤリ×ンといわれるリスクを背負っているといえる。だからヤリ×ンと言われても気にしないでもらいたいが、ヤリ×ンとやたらと頻繁に言われるなあ、と思ったら生活を考えたほうがいいかもしれません。男はとにかくヤリ×ンが嫌いですので嫁入りに響きます。

なぜ男はヤリ×ンを嫌うのか?自分はスキあらば誰とでもヤりたいくせに。勝手だなあ、、しかしこれは生物の進化の歴史を考えれば仕方がないのだ。。

女は種を受け入れて長いこと妊娠して不安定な生活を強いられるが、男は種をばらまくだけ。セッ×スの安直さが全く違う。男は種をばらまいても大して生存にリスクがない。女は下手に妊娠してしまうと自分の命も危険である。もうこの時点でお手軽さが全く違うというのは、ドー×ー以外には明らかにわかることと思う。

しかもよしんば子供を産めたとしても、父親の協力なくして子を育てられる女などいない。社会福祉制度が整っている今でも大変なのに。原始の時代に男に媚び売らずに生きられた女などいただろうか?

つまり、そんな重大な妊娠に至るリスクを、さして気にもせず誰とでもセッ×スするというのは、自然の摂理に反しているといえる。そりゃ今の自由と民主の時代では人の勝手ですむかもしれないが、本能はまだ時代に追いついていない。男はヤリ×ンを嫌う。男は自然の摂理が好きだからだ。体型も普通で、若くて健康で、普通に子育てに努力してくれそうな、普通の母親になってくれそうな、そんな女性が好きなのだ。セッ×スは誰とでもできるが、結婚は超打算的に吟味しまくる。男はそんな生き物だ。セッ×スをしたからといって、その女が好きとは限らない。表向きは耳触りのよいことを言うが、心の中では超バカにしているのだ。なんだこいつ?簡単にヤらせやがって。と。女は身持ちを硬くしたほうが幸せな結婚ができる。

いきなり熱くヤリ×ンを語ったが、この映画はヤリ×ンのシャルロット・ゲンズブールがヤりまくりな人生を振り返る映画だ。もうはっきり言うと腹立たしい映画だ。監督のラース・フォン・トリアーは必要以上に世の中をペシミスティックに描く人物だ。

この映画も何が何だかわからないけど、昔「奇跡の海」というよーく似た映画を作っていた。そこでもヤリ×ンを聖なるものとして描いていた。ほどなくしてこの監督は長い鬱との闘病期にいたる。まあ正常な感性ではない。こんな女が好きな人はいない。いくら美人でもここまで男にだらしない女が尊敬されるわけもない。なんかサブカル女の中には、これがフェミニズムの最先端なのか?!と誰にでもヤらせるのがオシャレと勘違いするインテリバカ女がいそうなんで、はっきり言っておくが、ダメだよ、、こんなのに憧れちゃ。。世の人々はこういう人をこう呼ぶ。便器と。

だいたい性の解放とかそういう概念を歪めて解釈すると、この映画のシャルロット・ゲンズブールと若い頃の役者の姿が先進的と思えるかもしれない。同性結婚と同じように。しかしこれは単なるヤリ×ンであり、周囲に病気を撒き散らし、モラルを堕落させる有害な存在だ。生きておらんでよい。

というわけでこの映画はムカつくばかりでなにも得るものがなかった。超退屈で長くてつまんない映画だ。予測はしていたけどベッドシーンも全くエロさがない。昆虫の交尾のようだ。なんで欧州映画のファxクシーンはこうつまらないのか。主演女優の不健康な痩せっぷりも大幅な減点項目である。ガス室送り直前のユダ公の囚人みたいだ。こんな女とヤりたいと思う男はいない。こないだみた「ザ・トライブ」も似たような女優だった。豊満な女を使うと女性客の賛同が得られないことを計算しているのだ。アート系映画の典型的やり口である。実際のヨーロッパの女はデブばかりだ。そして男は豊満な女が好きなのだ。

nimpho

いいか?

おれもトリアーの映画はなんのかんのでほとんど観てしまった。だから思うが、この映画がアートチックにみえるのも、なにか崇高なものを描いているようにみえるのも、女性の解放を描いているようにみえたとしても、全部気のせいだ。だいたいオチが全てを物語っている。アート性なんかない。

この監督は変態で悪趣味で悪徳を好んでいるだけだ。へそ曲がりで天邪鬼なだけ。日本のオタクのドー×ー小僧とほぼ同じだ。なんか大したものに見えてしまった人はおそらくこの監督の作品をあまり観ていないのだと思う。この映画は「奇跡の海」をだらだら長くして焼き直しただけだ。テーマもそっくり。

先進的だの女性の解放だのとんでもない!ヒトラー擁護発言でカンヌから締め出された男。筋金入りのレイシストでファシストだ。偏見丸出しの。だからこそこの監督の作品は病的で面白いこともあるのだが、倫理のタブーやモラルのハードプロブレムにあまりに安易に踏み込む姿勢を嫌う人も多くいる。「アンチクライスト」では、むしろ女性蔑視と批判された人物だ。早まった評価をするべきでない。

ついでに言うと、白人女は黒人男とヤりたいに決まっているという決めつけというか僻みは、この映画でも前の「ドッグヴィル」などでも確認できる。黒人に対する偏見とコンプレックスが丸出しになっていて失笑もの。みるにたえない。

nimpho

後半のSM部分もなんの変哲もない映像。19世紀のAVのような今更感である。
この映画は劇場公開当時、わざわざ新宿まで行って観ようとしたが、満席完売で結局観れなかったのだが、その時は悔しかったが今これをみて心底これを劇場で観なくてよかったと思った。場所柄、客はオシャレなカップルや映画通が多かったのではなかろうか?彼らがこの映画を何と評したのか気になるが、例によって当たり障りのない煮え切らない批評が多い。

映画を観たら何でもかんでも賞賛する人々がいる。特にこう、アート映画の皮をかぶられると途端に、”物分かりの良い人間と思われたい”という欲が爆発し、なんでも賞賛してしまう。賞賛するに値しない作り手がいることもよく経験してもらいたいと思う。

これをシュールなコメディだの皮肉だのいう人もいたが、どこがだよ?4時間もの間、コンマ1秒としてクスリとも笑えなかった。コメディだというなら非凡なる鬼才ラース・フォン・トリアーも、ギャグのセンスがないということになる。女性向けのポルノというが、上記のごとく男にとっちゃエロさも全くなしの0点。すっげーダラダラしたあくびものの映画である。こんなもんを4時間もねえ、、人生がもったいないよ。