ベルリンの戦い 後編

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<唯一の援軍>

「ベルリン市民よ!もう一息だ!ヴェンク軍がベルリンへ向かって進撃中!」

おびえきったベルリン市民はゲッベルスが約束したヴェンク軍来援を信じないではいられなかった。
ロシア軍相手の戦いに米軍が加勢するという噂もあった。
しかし、この時ベルリン救援に駆けつけようとしていた唯一の軍勢は、米軍でも独軍でもなく、フランス人部隊だった。シャルルマーニュ師団(武装SSのフランス義勇兵)の残兵である。


彼らの士気は高く、狂信的な反ボリシェビキ思想の持ち主だった。
グスタフ・クルーケンベルクやアンリ・フネに率いられた彼らはわずか90名の部隊にすぎなかった。しかし、彼らは第三帝国の廃墟の中で、死ぬ覚悟を決めていたのである。

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命がけでベルリンの総統地下壕へたどり着くと、皆が驚いた顔でこちらを見ていた。ベルリン救援に駆けつけたのは自分たちだけだとすぐに悟った。クルーケンベルクは、麾下のフランスSS部隊に加え、ノルトラント師団の指揮を任された。

クルーケンベルクが守備区域の西ベルリンをまわってみたが、まったく兵隊に出くわすこともなく、防御施設も見当たらなかった。

そんな状態の市街に敗退してきたドイツ軍が逃げ込み、ソ連軍が爆撃と砲撃でジリジリと包囲網を締め上げてきたのである。

<地獄>

ドイツ兵の死体が街路のいたるところに吊るされていた。将校一人だけの移動軍法会議が、通りがかりに市民や脱走兵を臆病のかどて殺してゆくのだ。此の期に及んでも、ヒトラーの秘密警察たちは完璧な仕事をした。

ベルリンにはまだ175万人の市民が潜んでおり、そのど真ん中で市街戦が繰り広げられたのである。

戦線の後方では、市民たちが持てるだけの荷物を持って、町の奥深くへと逃げた。負傷兵たちは前線に残った。後方に下がれば移動軍法会議に絞首刑に処されるからである。

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いたるところで、煙と爆薬の匂いが充満している。砲弾やロケット弾で倒れた者の死体はそのまま街路に転がっていた。その多くは女性で、手にバケ×やツボを持ったまま死んでいる者もいた。

赤軍は空港の南に進撃し、用心深く火炎放射器で焼き払いながら前進してくる。ちょっと静かになったかと思うと、女性や子供の悲痛な叫びが戦線にまで聞こえてきた。

防衛部隊は、東西南北から市の中心部に追い詰められていった。地下鉄のプラットホームは女性や子供、軍隊の司令部、また負傷兵でいっぱいであった。しかし、市民たちは負傷兵たちを看病するのを断っていた。移動軍法会議がやってきて逃亡の共犯とみなし、処刑されるかもしれないからであった。

<復讐の時来たれり>

宣伝は散々聞かされていたものの、多くの人はロシアの報復に対する心構えが全くなかった。
「これからどういうことが起こるのか想像もしていなかった」
東部戦線で軍務についていた兵士たちは、ソ連住民に対して何が行われているかについては、あまり語らなかった。

レ×プの噂を聞いたときにも、田舎ならそんな危険もあるかもしれないが、まさか市内で衆人環視の下で大々的に行われるはずはあるまい、と女性たちは自らに言い聞かせた。

ベルリン南西部に位置するベーリッツの病院群では、看護婦たちが恐れていた最悪の事態が4月24日の朝に現実となった。

ものすごい戦車のエンジン音が激しくなり、突然地面が揺れだした。
赤軍の戦車部隊の1つがスイス赤十字代表たちを押しのけて、まっすぐ病院に乗り込んできた。

短機関銃で武装した兵士が、最初のブロックに乱入した。はじめはもっぱら腕時計に関心を示し、「ウーリウーリ」と叫んだ。

その後ベーリッツの町でレ×プ、略奪、無差別殺戮のニュースが伝わってきた。

赤軍の虐殺とレ×プは常軌を逸していた。兵士にとって女は戦利品であり、祖国を破壊したファシストたちに対する復讐だったのである。

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<意味なき戦い>

赤軍の戦術は当初は巧妙といえず、損害は甚大だった。
スピードを重視するあまり、ジューコフは二個戦車軍を市内に突入させ、戦車の縦列に街路中央を直進させた。

ドイツ兵は建物にこもり、粘り強くパンツァーファーストで応戦した。

ソ連軍、とりわけ第一親衛戦車軍の戦車が被った大損害は、戦術を急遽見直すきっかけとなった。

重砲、特に152ミリ、203ミリ迫撃砲で、目視できる限りの、バリケードや建物を吹き飛ばす方式が、多く採用されるようになった。

民間人の存在などかまってはいられなかった。赤軍部隊は、彼らに銃口を突きつけて地下室から銃弾や破片の飛び交う街路へと追い出した。

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スターリングラード戦でドイツ第六軍がやったのと全く同じやり方だった。

「相手が何者か見分けるひまなんてなかった」
「地下室に手榴弾を放り込んで、そのまま先に進んだこともあった」

ドイツ軍が都心の「Z」地区に後退するにつれて、戦闘はますます激しくなった。ドイツ兵がパンツァーファウストでソ連戦車を撃破するたびに、ソ連の前線指揮官は多連装ロケット砲の砲撃で報復し、そのたびに市民が巻き添えを食い、四肢を爆散させ死んでいった。

市内のいたるところで激戦が続いていた。大軍勢の赤軍は市内のいたるところに侵食し、ベルリンは第三帝国を火葬する薪となろうとしていた。

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<肉の森>

ヴェンク中将麾下の第二〇軍団は4月24日に東方への進撃を開始し、包囲された第九軍との合流を目指した。

第二〇軍団所属の師団に不意に攻撃を受け、ソ連、第五親衛機械化軍団は大混乱に陥った。翌日、師団はベーリッツに接近した。

前日ソ連軍の徹底的な略奪を受けた看護婦や患者たちは、砲声が近づいてくることに気づいたが、戦闘がどの方向から近づいているのかわからなかった。しばらくすると、とつぜん西方から散開隊形で樹木から樹木へと各個躍進しながら近づくドイツ軍部隊が見えた。

二人の看護婦が走り出て、「ロシア軍をやっつけて!」と叫んだ。

戦闘はその後も数日間続き、戦闘とそれ以前の略奪で、子供15人を含む住民76人が殺された。

「実に残酷な戦闘だった」のちにドイツ軍将校が語った。「捕虜は一人もいなかった」ドイツ軍側には子供兵士もいて、彼らは大変に勇敢だったとされている。

ベルリンの南東、シュプレーヴァルトの森のなかのドイツ軍は、各所から撤退してきた敗残兵たちのごった混ぜだった。その数は8万人を超えていたと言われる。主力はブッセ中将の第九軍。第十一SS装甲軍団や第五SS山岳軍団の残党である。それにフランクフルト守備隊や、第五軍団が合流した。

ブッセはヴェンクと協議し、包囲網を脱するため、真西に向かって突破する決意を固めた。そして第十二軍と合流し、ともにエルベに撤退しようというのである。

しかし、東ではジューコフ軍との戦いで身動きが取れなくなっていた。そこでブッセは、自分の部隊は「イモムシのように西進中」とヴェンクに通報した。

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ヒトラーはベルリン救援のために進撃せよとヒステリックな命令を繰り返したが、ブッセもヴェンクもそんな命令に従ってこれ以上無益に人命を犠牲にするつもりはなかった。

ブッセ軍にも、逃げ場を求めてついてくる民間人も、食糧は底をついていた。車両は燃料がきれるか故障するまで走らせ、動かなくなったら解体してスペアパーツとして活用した。

戦車は31両残っていた。
第二一装甲師団のⅤ号戦車や、第五◯二SS重戦車大隊のケーニヒスティーガーからのものである。

ブッセはこれらの装甲戦力を先頭に、ベルリンを攻撃中のコーネフ軍の背後をつき、突破するつもりであった。付近の車両から燃料をかき集め、砲兵隊は最後の弾丸を撃ちつくすと、砲を爆破した。

コーネフは第九軍を逃すまいと、第三親衛軍を急派して東西に走る全ての林道を封鎖、対戦車防塞を作らせた。

ブッセ軍はそれでもわずかにできた隙間を通り抜けようとし、ソ連軍はそれを阻もうとした。27日にはドイツ軍側が攻撃を再開し、ソ連軍との死闘が繰り広げられた。

森林の内部では、ソ連軍の砲爆撃のために、戦闘の実態は悲惨を極めた。包囲突破作戦が成功しそうになっても、たたまちソ連軍の猛砲撃によって、部隊は壊滅させられた。ドイツ軍の損害は甚大で、文字通り顔もあげられず、戦闘指揮などまったくできなかった。

腹部や胸部に負傷した兵士は倒れたままで出血死した。
傷の大半は飛散して突き刺さる木片によるものであった。ソ連軍は故意に瞬発信管つきの砲弾で高い樹木を狙い撃ちし、敵の頭上で炸裂させた。下にいた兵士たちにはこれを避けるすべがなかった。

疲労困憊した兵士たちは、そのまま倒れこみ、そのまま装甲車の車輪にひかれ、踏み潰された。森林のいたるところで凄惨な戦いが行われていた。

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しかしそれでも28日夜、ドイツ兵は多大な犠牲を払って、包囲網を塞いでいたコーネフ軍麾下の第五〇親衛狙撃師団の防衛戦をなんとか突破できた。

森林の中のドイツ兵は、地図もコンパスもなく、進路もわからず、途方に暮れてトボトボ歩くだけだった。周辺一帯はドイツ兵の死体が山と連なっていた。悲鳴をあげる負傷兵はそのまま置き去りにされた。死体は埋葬されず放置された。砲撃で散らばった肉片や、戦車に轢き潰されて平らになったぐしゃぐしゃの塊。見渡す限り、死体ばかりだった。死体と黒焦げの鉄の残骸と土と樹木が混じり合って、それが側道にそって無限に続くのだった。

こうした犠牲をはらい、ブッセ軍25000人の兵士と多数の民間人がソ連軍の何重にも張り巡らされた包囲網を突破し、ベーリッツ周辺のヴェンク軍の陣地にようやくたどり着いたのであった。後に歴史家はこの突破成功を奇跡と呼んだ。

<黄昏>

ヴェンク軍の幕僚たちは、傷ついた兵士や避難民を撤退させるためのトラックをかき集めた。そして、野戦炊事所を設置し、25000人の兵士と、多数の民間人のために給食を始めた。

ライヒヘルム大佐によれば、
「我々のところにたどりついた兵隊たちはその場でへたりこんでしまった。」
「ひどいときにはなぐりつけなければならなかった。そうでもしないと、横になったまま死んでしまっただろう。ひどい状況だった。」
かつては肥満体だったブッセ中将は見る影もないほど痩せ細っていた。

4月30日、≪フューラー≫は自殺した。服毒自殺か拳銃自殺かは定かではない。総統の死によって、なにもかも終わりに向かって走り始めた。スターリンは報告を聞いて、「ろくでなしの身の破滅か」と吐き捨てたという。

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ライヒスタークもついに占領された

ヴェンクは総統の死とベルリン陥落を知ると、即座にナチ式敬礼を廃止し、軍本来の敬礼を再導入する命令を下した。
皆がありったけの力を振り絞って、エルベ目指して後退を急いでいた。

エルベ川の向こうにはアメリカ第九軍が展開していた。ソ連軍は避難民に向かって容赦ない砲撃を加え、何千人もの人々が殺された。米軍はソ連軍の砲撃をかわすために、エルベ西岸まで撤退し、さらに川の後方まで下がることにした。このことが難民や敗残兵たちに絶好のチャンスを与えた。彼らは一気にエルベ川を渡河した。

兵士たちはこれまでの苦難の道のりを振り返り、お互いに決別の辞を述べた。苦々しい想いでジークハイル!と勝ち鬨をあげ、装備品をエルベ川の暗い水の中に投げ捨てた。

ヴェンクはギリギリまでエルベ東岸まで踏みとどまり、ボートで川を渡った。

ヴェンク中将と第十二軍のがんばりにより、第九軍の残兵25000を含む、約250000の難民が米軍領内へ逃げ込むことができたとされている。彼らは十中八九ソ連軍に皆殺しにされる運命にあった。

勇気と献身が、人々を救ったのである。

出典

ベルリン陥落

ドイツ軍名将列伝

イワンの戦争 赤軍兵士の記録1939-45

ベルリン攻防戦 (欧州戦史シリーズ)

参考

ベルリン終戦日記―ある女性の記録

ヒトラー最後の戦闘

続・ラストオブカンプグルッペ

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