第三帝国極悪伝説外伝
ルーマニア編①
清浄な肉

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1940年当時、ルーマニアには75万人のユダヤ人が住んでいた。これは全ヨーロッパ各国の中でも、ポーランド、ソ連に次ぐ数字である。そして欧州の他の国々同様、ルーマニアにも反ユダヤ主義が存在した。

このルーマニアの反ユダヤ主義はドイツに劣らず過激であった。ルーマニアには独自のユダヤ人絶滅センターが存在しており、主に独ソ戦初期に殺戮は悲劇的な頂点を極め、終戦までに35万人が命を失った。

1940年、ルーマニアはフランスと同盟を組んでいたが、そのフランスが全面降伏したことにより、同盟国たるルーマニアも大きく領土を失うことになった。ソ連やハンガリー、ブルガリアに領土を侵食されていったのである。こうして失われた領土に対する奪還が国民と国家の間で悲願となり、ルーマニアは少しでも領土を取り戻せるよう、枢軸国と連合国の間で日和見的に立ち回ることになる。それは大国にはさまれた小国にっては無理からぬことであった。
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さて、フランスが降伏したあと、ルーマニアには大ドイツにつくべしとの気運が高まり、イオン・アントネスク将軍を首班とする軍事政権が誕生する。この政権はトランシルヴァニア出身のホリア・シマが副首相になるなど、ルーマニアの親ナチ極右政党”鉄衛団”の団員が多く参加しており、反ユダヤ主義的方針を打ち立ててゆく。
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左:アントネスク 右:シマ

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鉄衛団集会の様子

鉄衛団は危険な極右政党として長年弾圧を受けていた。その鉄衛団が政権に参加するとは・・。案の定、鉄衛団は政権につくと自分たちを弾圧していたかつての政権幹部たちを残酷に虐殺した。この復讐行為に世論は怒り、アントネスクも反対を表明した。すると1941年1月20日、鉄衛団は首都ブカレストの兵舎と派出所を占拠し、首都を我が物顔でのし歩いた。

鉄衛団員とそれに賛同する無数の市民がシナゴーグを焼き払い、ユダヤ人の商店が破壊され、家は暴徒に襲われた。たった72時間の間に数百人の人々が拷問にかけられ虐殺された。路上には無数の死体が転がりその口からは金歯が抜かれていた。死体置き場に運ばれた死体はひどく切り刻まれており、もはや人間の形をとどめていなかった。市の畜殺場では人の死体が牛の死体のように吊り下げられてるのが見られた。目撃者の話では5歳の少女まで仔牛のように吊るされその死体は血まみれだったという。首から「清浄な肉」と書かれたプラカードを首から下げた死体も発見されている(ユダヤ教の戒律では”血抜きをした肉”のこと)。このポグロム(ユダヤ虐殺)で630人のユダヤ人が殺され、あと400人が行方不明になったとされる(数字は大小さまざまな諸説がある)。
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3日間に及ぶ市街戦は鉄衛団の敗北に終わった。鉄衛団指導者ホリア・シマは国外へ逃亡。
ヒトラーは鉄衛団よりもアントネスクを承認した。アントネスクはきたる独ソ戦へ15個師団を派遣することを約束していたのである。

アントネスクはソ連に奪われたベッサラヴィアとブコヴィナを奪還するべく血みどろの絶滅戦争へと歩を進めていく。そして不幸なことに、この国家首班アントネスクは鉄衛団よりもさらに優れたユダヤ迫害者となったのである。

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ルーマニア史
ヨーロッパ ユダヤ人の絶滅
ホロコースト全史
http://en.wikipedia.org/wiki/Legionnaires’_rebellion_and_Bucharest_pogrom