第三帝国極悪伝説外伝
ソビエト連邦編③
ソビエト大テロル

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OGPUからNKVDへ
ウクライナの地獄の飢餓ジェノサイドが一息ついた頃、ロシアの他の地域でも粛清、銃殺、逮捕を繰り返して来たソビエト秘密警察OGPU(オーゲーペーウー=合同国家政治保安部 )は、とりあえずの敵を一掃したと考えた。

チェーカーの時と同様、短い平和が訪れたのである。年間25万件を超えていた逮捕件数は1934年に8万件ほどに減った。これが少ないと言えるかはあなた次第であるが。いずれにしろ敵を抹殺し、ウクライナで民族を浄化し、体制を盤石にしたかに見えたスターリン。OGPUはGUGB(国家保安総局)に改組され、あまり危険なイメージのないパッとしない委員会に吸収された。恐怖政治は終わったかにみえた。人々はそう期待した。しかし今こそソビエト恐怖政治の最後の総仕上げがそのパッとしないのから始められようとしていた。人々はそのパッとしないのを恐怖と絶望の念を込めて後にこう呼んだ。NKVD(エヌカーベーデー=内務人民委員部)と。

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NKVDは当初、OGPUが持っていた独自の逮捕・銃殺の執行権を中央委員会政治局(スターリン)に返上した。人々が淡い期待を込めたのはそれが理由だった。だがこの独自の警察権力はすぐに政治局によってNKVDに戻されてしまった。平和は短かった。1934年12月新たな粛清開始の火蓋が切って落とされた。レニングラード党第一書記キーロフが暗殺されたのである。彼はスターリンにつぐナンバー2の権力者だった。スターリンはこれを最大限利用し、国内に反逆勢力がいるということを強調した。あたかも陰謀が常に存在するかのように。だがキーロフ暗殺の黒幕はスターリンその人であることが疑われている。

ただちにNKVDはOGPUと同じ、いやそれ以上の過酷さでロシアの大地を蹂躙して行く。圧倒的多数の無辜がスパイ罪、国家反逆罪として逮捕、銃殺、強制移送された。その領域はあらゆる社会層に及び、党員、官僚、赤軍、インテリゲンツィア(知識人)も激しい弾圧を受けた。この暴虐はニコライ・エジョフがNKVDを指揮した二年間で最高潮に達し、後に“大粛清”と呼ばれた。(エジョフ体制=エジョフシチナとも呼ばれる)

小人のテロ
エジョフは身長151センチの小人で、1895年生まれ、チェーカー創始者ジェルジンスキー同様ポーランド出身である。1917年ボリシェヴィキに加入し出世を続けてきた。
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エジョフは「小人」「爬虫類」などのあだ名で呼ばれ、嫉妬深く残忍な性格だったという。公式に部下のNKVD将校に拷問の使用を許可していた。彼も自ら尋問に加わり、酒を飲んで容疑者に拷問を加えるのが日課だった。そしてどうやらそれを楽しんでいたらしい。「10人を巻き添えにしても1人のスパイを逃がすな!」が合言葉だった。やり方はシンプルで手当たり次第に容疑者をとっ捕まえ、その家族を人質にし、拷問を加え自白させるという、ただそれだけだった。罪状は「ドイツの情報機関と結託して国家転覆とスターリン暗殺の企て」である。これがお決まりの定型文だった。

大粛清の犠牲者総数はいまだ未解明であるが1935年から40年までのの五年間で少なくとも1900万人が逮捕され、700万人がNKVDに銃殺され、500万人が強制収容所またはその輸送途中に死亡したという数字がある。だが詳細な数字をつかむことはもはや不可能である。重要なのは大粛清の標的になったのは主に無辜の民だったことだ。国境付近の住人や、親類、交友関係に少しでも外国人との関係が疑われたものはNKVDの突然の訪問を受けた。逮捕、拘束、裁判、銃殺あるいは強制移送は短期間のうちに執行された。これらを滞りなく行う無限の権力を、NKVDは単独で保有していたのである。

大粛清の目的
大粛清の目的は主に二つ挙げられる。

一つはスターリンの権力体制の盤石化である。いやあ、もう十分やろうというぐらい殺しまくって来たスターリンくんだったが、まだ軍や官僚、党員、そして粛清の執行者たるNKVDには手ぬるいと感じていた。その猜疑心の強さ、神経症的な疑り深さは後に数々のジョークとして揶揄されるが、この時代のソビエト人民にとっては冗談どころか悪夢のような現実であった。
一言でいうならば30年代のスターリン的精神の中で育てられた若い幹部による文武両面の官僚制を作り上げることにその目的があった。「同志スターリンから命じられたものなら、どんな仕事でも引き受ける」連中である。それまでのソビエトの権力の中枢にはまだまだレーニン派、トロツキー派、ブハーリン派といったように純粋なスターリン色に染まりきっていない部下がたくさんいた。
彼らはスターリンから言わせれば、自分たちの専門性や行政の論理を守ろうとするか、中央の命令に服従せずに、単に自分たちの自治や顧客層を維持することに懸命だったのである。彼らを一掃し、自分に忠実な親衛隊にすげかえることが大粛清の第一の目的だったのである。

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軍の粛清は全高級幹部17万名中、約3万名にのぼり、5人の元帥のうち3人、15人の軍司令官のうち13人、9人の海軍提督のうち8人、57人の兵団長のうち50人、186人の師団長のうち154人(!)、16人の軍政治委員のうち全16人(笑)、28人の軍団政治委員のうち25人が赤軍から排除された。その後、復職したものも10000人以上いたが、追加で粛清されたものも多数いた。元帥のうち赤軍の近代化と初期内戦の勝利の立役者だった”赤いナポレオン”トハチェフスキーも処刑された。トハチェフスキーはエジョフ自身の過酷な取り調べを受け、尋問調書には血のあとがべっとりとついているという。

NKVD内部にも粛清の手は及び、エジョフ以前に最高幹部だった18人は全員処刑された。前内務人民委員のヤーゴダも処刑されたのである。

第二に、社会のありとあらゆる危険分子の排除である。チェーカーやゲーペーウーが排除してきた宿敵たち。元白衛軍、元メンシェビキ党員、元社会革命党員、元クラークに元帝国官吏。これらを根こそぎ排除すること。これも目的となった。そしてソビエトの広大な領土、それらと隣接する国々、フィンランド、バルト諸国、ポーランド、ルーマニア、トルコ、日本などこれら反共の国々全てと国境を隣接していたソ連は、これら外敵に対してそれだけ多くの防御線を持っている。この文脈からすればスパイを排除すること、たとえわずかでも「他の世界」と関係を持つ全ての市民を排除すること、これが大粛清の核心であったといえる。

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エジョフの失墜

エジョフの粛清は歯止めがかからずかつてないほどに権力が暴走した。エジョフの殺し過ぎっぷりにさすがに各所で不満の声が聞かれ始めていた。スターリンでさえ「いくらなんでも殺しすぎだろう!」と頭を抱えたという。だがエジョフを手取り足取り操っていたのはスターリンであったことは確実視されており、エジョフとスターリンはたびたび個人的な会合を持ち、密書をやり取りしていた。そもそもエジョフを内務人民委員に任命したのはスターリンなのだから無関係なはずがない。エジョフは利用されるだけ利用された挙句、無残に切り捨てられたのである。エジョフは内務人民委員を解任され、後任にL・ベリアが当てられた。こうしてNKVDトップの交代劇は瞬時に行われ、スターリンのもとで忠実に働いたエジョフは粛清行き過ぎの全責任を被せられ、よりによって自分自身が「ドイツ情報機関と結託して国家転覆とスターリン暗殺を企てた」と自白した。その後ベリアによって処刑された。そしてエジョフシチナで権勢を誇ったNKVD幹部もベリアの手で全て粛清され、ソビエト連邦は何度でも同じ道を行くのである…。

エジョフは死刑判決を受けた時、立ち上がることもできないほど、絶望し憔悴しきっていた。何百万の無実の人々、革命の功労者を木っ端微塵に破壊した「アルコール依存症の小人の爬虫類」。取り返しのつかない罪悪。「小人のテロ」によってソビエト連邦最良の部分は永久に喪われた。エジョフは処刑されると決まっても最後まで泣きながら嗚咽を漏らし、スターリンへの敬愛の言葉を口にし続けたという。


ソ連のスパイたち ――KGBと情報機関1917-1991年
KGBの内幕―レーニンからゴルバチョフまでの対外工作の歴史
共産主義黒書(ソ連篇)
ソヴィエト赤軍興亡史 (1) (欧州戦史シリーズ (Vol.14))
http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/RUSyezhov.htm
http://www.executedtoday.com/2012/02/04/1940-nikolai-yezhov-terror-namesake/

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