差別

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おれはアカの手先のおフェラ豚ではないが、差別って良くないとおもう。


だいたい差別をする人間は差別された経験がない。だからその痛みがわからないのだ。この狭い日本で日本語でくっちゃべってたらアメリカの黒人のようなハードな差別を受けることは少ないかもしれん。

しかし日本にもいたるところに差別がある。人種差別だってもちろんあるが、最も身近なのは階級差別である。

職業、経済力、見た目、体型、血液型、病気、障害、、、
ありとあらゆる”多数派”との差異。それを攻撃の材料とするのだ。これは大部分が無意識的に行われる。

日本が悪質なのは差別されている側が悪いのだ、悪いから厳しい目に晒されるのだ、と社会が被差別者を洗脳することだ。そうやって人は自責の念にかられ、鬱を患い、自殺する。

ワタクシも激しい差別を受けた経験がある。

ワタクシの大学は医療大学であったが、臨床心理学などというこの世で最も役に立たない学問を専攻していた。役に立たないものだから就職もなかった。大学院に行けば資格を取って臨床心理士というインテリになれるかもしれない。皆そう考えてとりあえず将来のことは何も考えずにいた。その結果、我々の学部にだけ就職難民が溢れた。

皆四年になっても卒論が忙しいだのなんだのいって何もしなかった。院に行くと腹をくくった人間も多くはなかった。高い金をかけて時間をかけて臨床心理士になっても職に結びつかないと散々言われていたからだ。その結果、大部分の学生は就活もせず、バイトと卒論だけで忙しい忙しいと言っていた。救えぬクズども、、それが我が大学の実態だった。

でもなあ。医療大学で4年間も医療を学んでいたのに医療の仕事が無いなんてそんなことあるか?よく考えたらひどい話である。そんなニッチな学部は我々心理学だけだったのだから、先生や就職課の人が特別にハッキリ言わなきゃならなかったはずなのだ。「ごめんな。お前らだけ就職ないんだわ」と。でも誰もそんなこと教えてはくれなかった。

でも時間は全てのものに平等に過ぎていった。全ての大学院受験に失敗したころにはワタクシも卒業間近であった。2月ごろだったかな。そこでやっと就活を始めたのである。

歴史に残るほどの就職氷河期だった。しかしそう言われたのはせいぜい五年後ぐらいで、その時は誰もいま就活厳しいぞ、などと教えてもくれなかったし、就職説明会に行って外食産業とシステムエンジニアとレオパレスの営業ぐらいしかないのが何故かなどと教えてくれる人も誰もいなかった。誰も何も教えてくれなかった。自己責任なのだろう。しかし経験も知識もないボンクラ大学生が、社会の仕組みなどろくすっぽ知らない年とっただけの未熟なガキが、そういった先達の助言なくして就活するのは大変に困難なことであった。

なんにも知らないバカガキのおれはケ×に火がついて唯一丁寧に人間的に接してくれた企業の説明会に行った。そこは先物取引業の「××トラスト」という会社で、特別採用試験を受けたわけでもないのに採用してくれるということだった。その怪しさはすごいもので、そこでおれは生まれて初めて先物取引業というものがどんな仕事なのか調べた。その上で親に助言を求めたら、そこで親ははじめて「先物は厳しい世界だからやめておけ」と教えてくれた。危うく先物会社に就職するところだった。

なぜ危うくなるまで親が何も助言をくれなかったのか理解できなかった。おそらく、子供に自由にさせてあげたいというあたたかいものがあったのかもしれないが、実際は親世代と就職活動の在り方がまったく異なっていたのだ。人材派遣だの非正規雇用だの合同説明会だのなんだの。団塊世代には理解できん。そもそも団塊世代には就職難という感覚さえわからないようだ。

どちらにせよ、子はバカで頭悪くて未熟で経験も無いわけだから、そんな人間がくだした決断などあやしいものなのだ。なにはともあれ先物取引業の会社にはお断りを入れて、次年度から改めて就活することにした。ここからがやっと本題となる。

続く

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