第三帝国極悪伝説19 第101警察予備大隊 その④

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第101警察予備大隊の犯罪

その④

~収穫感謝祭作戦~

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複雑になるので省略するが、ラインハルト作戦(ポーランドユダヤ人を絶滅させる作戦)の最中でもポーランドのルブリン管区で殺されずに生き残っていたユダヤ人たちがいた。それは戦争経済を支えるための労働ユダヤ人たちである。彼らは戦争遂行に不可欠な労働者とみなされ、軍関係者や産業界から守られていた。ライヒスフューラー、ヒムラーとその腹心オディロ・グロボチュニクはこれらのユダヤ人たちも手っ取り早く片付けたかったのだが、なかなかコンセンサスがとれなかった。

しかし1943年秋、これらの延命を施されていた労働ユダヤ人45000人もかたをつけられる日が来る。ヒムラーは《総統》の意志によりユダヤ人を絶滅させるという強い使命感を持っていた。そしてもう一つ決定的なことがある。ポーランド全域でこれらの労働ユダヤ人たちの反乱が頻発していたことである。ワルシャワ、トレブリンカ、ビャウィストク、ソビボルでユダヤ人のレジスタンスが勃発していた。

もちろん彼らは最初、労働力たる自分たちを殺しはしないだろう、少なくとも戦争が終わるまでは生きられるだろう、そこまでナチも非合理で愚かではないだろう、という間違った仮説に執着していた。すなわち働いてさえいれば命は助かると。この哀しい希望こそが、ユダヤ人たちが何故羊のように無抵抗だったかを説明する最大の前提条件である。だが、その淡い幻想も徐々に打ち砕かれていった。彼らはもはやナチの狂気の絶滅政策に気づいており、これ以上の隷従を甘んじることを良しとしなかったのである。とっくに、「奴らは俺たちを絶滅させる気だ」と気づいていたのである。そうしてホロコーストが最終局面を迎えた今、絶望的な反乱がそこかしこで頻発していたのである。それは全く勝てる見込みのない戦いで、誇りのみを当てにした蜂起であった。

ヒムラーはここ、ルブリンの労働収容所でも遅かれ早かれ反乱の火の手が上がるだろうことを予想していた。そのため、これらの囚人たちはそうなる前に殺されねばならなかったのである。これは「収穫感謝祭作戦(=Aktion Erntefest)」と名付けられた。非人道的な最低の名前である。さんざん働かせたユダヤ人たちを一網打尽にしようというのである。
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グロボチュニクの後任として最近就任した《親衛隊及び警察指導者(=SSPF)》ヤコブ・シュポレンベルクは上官である《親衛隊及び警察高級指導者(=HSSPF)》ヴィルヘルム・クリューガーと協議した。ユダヤ人たちはマイダネク、トラヴニキ、ポニアトヴァの収容所のすぐそばで塹壕を掘る仕事に従事させられた。空襲に対する防御だと説明された。それから総督府全土から親衛隊と警察部隊が動員された。それは《武装親衛隊》や第22警察連隊、第25警察連隊、ルブリンの《ジッヒャーハイツポリツァイ(SIPO=保安警察)》、各収容所監視部隊などである。第101警察予備大隊は第25警察連隊に所属していた。

かくして大量虐殺は11月3日に開始された。
101警察予備大隊は、ルブリン周辺の様々な小さな労働キャンプから、ユダヤ人がマイダネクへと行進されるのを監督した。こうしてマイダネク収容所に連れてこられたユダヤ人は総勢1万8000千人に膨れ上がった。ユダヤ人たちはその後奥のバラックに連れて行かれ、そこで衣服を脱がされた。腕を上げ、手を首の後ろに組み、丸裸で収容所の裏手に掘られた塹壕まで連行された。彼らは墓穴として掘られたそれらの塹壕に追い立てられ、射殺されていった。彼らは直前に射殺されたものの上にうつぶせに寝るよう強要され、処刑班は軽機関銃で彼らに機関銃弾を浴びせていった。無数の穴で同じことが行われ、それぞれの穴には十分な数の銃殺班が存在し、それは《保安諜報部(SD)》の隊員であった。それは一日中続けられ、膨大な数のユダヤ人が殺されたのである。ほとんどのユダヤ人が絶命するにいたらず、傷を負って穴の中に埋まっていた。その上にまた新たな犠牲者が積み重ねられ、同じことが繰り返された。穴のそこかしこではSS隊員に対する呪いの言葉が吐き出された。人々は簡単に死ねなかった。尊厳を奪われ、苦しみぬいて殺されていったのである。
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《SSPF》シュポレンベルクは飛行機で収容所の上を旋回しながらこの作戦の様子を観察していた。また同じ日に他の労働収容所でもユダヤ人が大量に銃殺され、生き残ったユダヤ人はルブリンの西50kmにあるポニアトヴァの14000人とブジーニ・クラスクの3000人であった。だが、これらのユダヤ人も後日絶滅され、焼却された。

収穫感謝祭作戦の結果としてルブリン管区はユダヤ人のいない世界となった(ユーデンフライと呼ばれた。ナチの造語である)。犠牲者は4万人に及び、これはゾンダーコマンド4aによるバビ・ヤール大虐殺をもしのぐ最大規模の銃殺作戦である。第101警察予備大隊のファイナルソリューション(最終的解決)への血なまぐさい関与はこれを持って終わった。わずか500人程度の大隊に対し犠牲者の最終的な人数は83000人にのぼったという。

戦況が傾くに連れ、この警察部隊の作戦対象は武装パルチザンやソ連軍になってゆく。高級将校のほとんどは戦闘の中で倒れた。トラップ少佐も1944年初めにドイツへ帰国した。第三帝国が崩壊した時、大隊は敗走の途上にあった。帰還した隊員の多くは戦前の職業に復帰した。警察官を続けたものも数多い。トラップは別の案件で死刑判決を受け、1948年12月に執行された。死刑にはなったもののファイナルソリューションに協力して行った数々の遥かに巨大な犯罪行為に対しては何一つ裁かれることはなかった。大隊構成員がわずかながらにしても裁かれたのは1960年以降である。少数の隊員がわずかな懲役刑を受けた。しかし101大隊はドイツ通常警察のホロコーストへの関与が裁かれた数少ない事例である。ほとんどの警察部隊はホロコーストに関して告発されるところまでは至らなかったのである。稀なケースだった。貴方はこの事実を知ってもなお、「ドイツ人は日本人と違って反省している。」そう言えるだろうか?犠牲になった数十万のユダヤ人の霊を前にしても、言えるというのだろうか?


普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊
ヒトラーの親衛隊
http://resources.ushmm.org/inquery/uia_doc.php/photos/12415?hr=null
http://www1.uni-hamburg.de/rz3a035//police101.html
http://www.holocaustresearchproject.org/einsatz/polbat101.html

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