第三帝国極悪伝説13 ヘルマン・フェーゲライン

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ヘルマン・フェーゲライン

Hermann Fegelein

≪総統≫の親戚に成り上がった男

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所属:武装親衛隊第8SS騎兵師団「フローリアン・ガイアー」
出身:バイエルン王国、アンスバッハ
階級:SS中将(SS-Gruppenführer=グルッペンフューラー)
罪状:プリピャチ沼沢地で14000名以上のユダヤ人虐殺作戦を指揮

1906年、乗馬学校経営者の息子として生まれる。騎兵となり、後に武装SSに入隊、SS《髑髏部隊》の騎兵将校となった。東部戦線で数々の武勲を上げたし、ヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンの妹と結婚して《総統》の親族となったフェーゲラインは最終的にはSS中将にまで出世。ヒムラーの副官として権勢を誇る。しかし1941年独ソ戦のさなか起こったプリピャチ沼沢地のユダヤ人の大虐殺はあまり知られていない。

この実行犯はまぎれもなくフェーゲラインである。フェーゲラインの旅団、第2SS騎兵旅団(後の第8SS騎兵師団)は、独ソ戦開始直後の1941年の夏、行軍困難なプリピャチ沼沢地の捜索を命令された。プリピャチ沼沢地はヨーロッパ有数の広大な湿地帯で、ポーランド国境地帯からドニエプル川までの500キロにおよび、面積は2万平方キロ以上にもなる。ライヒスフューラーはこの沼沢地での作戦について次のように指示した。

「住民は敵性国民であり、民族としても人間としても劣等である。また沼沢地域にしばしば見られることだが住民は犯罪者で構成されている。だとすれば、パルチザンを支援している疑いのある者は全員射殺しなければならない。女と子供は移送し、家畜や食料は押収して安全な場所へ移動させよ。村は徹底的に焼き払え。」※過去のヨーロッパの考古学界では現在のベラルーシ中南部に当たるプリピャチ沼沢地帯がスラヴ人の原郷であるという説が主流で、20世紀前半にはナチス・ドイツがこの説に基づきポーランド人をプリピャチ沼沢地へと集団追放しそこで強制労働、飢餓、疫病、銃殺などの方法でポーランド人をこの世から完全に絶滅するという残酷な計画さえ立て、それを盛んに宣伝していたそうだ。

フェーゲラインSS大佐はこのようなヒムラーの命令を部下に伝えた。SS上層部はなんのためらいもなくパルチザンとユダヤ人(女子供を含む!)を同一視した。パルチザン掃討はユダヤ人の撃滅と同義だったのである。

7月30日午前7時、2個の騎兵連隊は作戦を開始した。翌日ライヒスフューラーはこの地区の司令官上級SS兼警察指導者(HSSPF)バッハ・ツェレウスキーと直接会談を持ち、荒唐無稽な命令を強化。その命令は無線で既に作戦中の各部隊に伝えられた。曰く「ライヒスフューラーの断固とした命令である。ユダヤ人の男を全員射殺せよ。女は沼へ追い込め」

SS第1騎兵連隊のやり方はもっと過激だった。彼らは目に付いた村のユダヤ人を全員、女も子供も殺害した。機関銃を掃射してあっという間に無差別に虐殺したのである。

第2連隊は命令どおりに行動した。18~60歳までの男だけを殺害したのである。ユダヤ人の女性と子供は命令の通り沼の中へ追い立てた。しかし女と子供を沼に追い立てても沼は人を飲み込むほど深くはなく、足が着いてしまった。全く馬鹿げている。こんな馬鹿げた命令を出すヤツも馬鹿正直に実行するヤツらもまともではない。両騎兵連隊は約2週間で14000人を虐殺した。

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プリピャチ沼沢地で作戦行動中と見られる《WAFFEN-SS》

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フェーゲラインはその後既に述べたように順調に出世街道を進んでいく。しかし1945年4月27日ヒムラーの裏切りに激怒した《総統》は、ヒムラーの副官で連絡将校のフェーゲラインを探し出して処刑するように命令。あえなく処刑されてしまう。しかし終戦まで生き残ったとしてもどの道死刑だったろう。お気の毒である。


ヒトラーの親衛隊
武装SS全史Ⅱ
武装親衛隊外国人義勇兵師団1940-1945
http://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/Holocaust/Pripet.html
チュルノレス文化とは(外部リンク)

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