第三帝国極悪伝説12 アーモン・ゲート

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アーモン・レオポルド・ゲート

Amon Goeth

「シンドラーのリスト」で有名になった恐怖のSS将校

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所属:プワシュフ強制収容所所長
出身:オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン
階級:SS大尉(SS-Hauptsturmführer=ハウプトシュトゥルムフューラー)
罪状:プワシュフ収容所で8000名を虐殺。クラクフ・ゲットー破壊の際の1000~2000名のユダヤ人の銃殺、他多数に関与。

映画「シンドラーのリスト」でレイフ・ファインズが演じ、映画史に残るほどの極悪ブリを見せつけた正真正銘の極悪SS隊員である。見ての通りレイフに似ているとは言い難いし、本人は重い糖尿病で身長190センチ120キロの巨人であった。でっぷり突き出た腹には数々の欲望がそっくりそのまま詰め込まれているかのようだ。早い話が、あの映画のゲートはスタイリッシュすぎるのだ。かっこよすぎる。こいつがかっこよくもなんともないとんでもない極悪人だということをまず知ってもらいたい。

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レイフ・ファインズ。かっこよすぎるでしょう

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本物はこれなんだよ

1908年ウィーンで出生。小学校を出た後ギムナジウム(中学校のようなもの)に通う。1930年にはオーストリアのナチ党に加入している。31年にはアルゲマイネSSへ入隊。その後オーストリアナチは非合法とされ、ゲートはミュンヘンへ逃亡。1940年SS-オーバーシャルフューラー(SS曹長)に昇進するとゲートは管理部長としてカトヴィーツェ(旧ポーランド領)へ送られる。1941年11月にはSS-ウンターシュトゥルムフューラー(SS少尉)に昇進する。

1942年8月には武装親衛隊特別指導者に任命され、SS-グルッペンフューラー(SS中将)オディロ・グロボチュニクの元でルブリン・ゲットーの解体作業で特務部隊を率いて抜きん出た働きをする。その残虐さから「ルブリンの血に飢えた犬」と呼ばれることになった。

1943年3月13日、クラクフゲットーの解体作業が始まる。ここでもゲートは残虐に仕事をした。クラクフゲットーは2日で完全に解体された。1000人がその場で射殺され、残ったものはプワシュフ強制収容所やアウシュビッツ強制収容所へと送られた。ゲートの部下アルベルト・フイェールSS-シュトゥルムシャルフューラー(SS准尉)は、血に酔ったように通りを走り回り、あたりかまわず撃ちまくっていたという。病院ではベッドに横たわっていた人々を撃ち殺し、挙句の果てには女医まで手にかけたとされる。

そのようにして殺された人々の遺体は埋葬されず無造作に穴に放り込まれただけだった。

1943年当事、強制労働収容所にはユダヤ人の処遇に関して統一されたルールがなく、SS隊員のきまぐれで射殺、暴行が頻発していた。1944年にプワシュフ収容所が親衛隊経済管理本部(ヴィルツシャフツ=フェアヴァルトゥングスハウプトアムト、WVHA)の管理下に置かれると、ユダヤ人の恣意的な殺人や暴行は処罰の対象となり、違反者は裁判にかけられて罰則を与えられた。あくまでもユダヤ人の除去は組織的管理の下に行われるべきであるというヒムラーの意向によるものである。だが、それまでの間、各収容所ではSS隊員によるサディスティックな暴力・殺人・虐殺事件が頻発し、横領をはじめとした汚職も蔓延していた。ゲートが所長をつとめるプワシュフも例外ではなかったのである。

彼はしばしば通りすがりのユダヤ人をいきなり撃ち殺した。何の理由で撃ったのかは彼にしかわからない。とにかくいきなり撃つのである。また映画でも語られているとおり、ゲートは自分の屋敷のバルコニーから狙撃銃で囚人を撃ち殺した。これは毎朝の日課だった。また《ロルフ》《アルフ》と名づけた2匹の犬を囚人にけしかけ、食い殺させた。《ロルフ》は巨大なグレートデン、《アルフ》はシェパードとシベリア狼の雑種である。2匹の犬は命令されれば、或いは後ろを向いたゲートに近づくものを誰でも噛み殺すよう教育されていた。たったのヒト噛みで骨まで達するほどの鋭い牙と顎を持った獰猛な犬である。この犬たちは実際にその殺人能力を遺憾なく発揮し、何人もの囚人を血祭りに上げたのである。

またある時は、ゲートはある囚人がなにかヘマをやらかしたとしてしこたま鞭で打った。その囚人は大声でわめいたのでゲートは苛立ち更に鞭で打ったが、囚人は更に大声で泣き喚いた。ゲートはレンガを拾ってそのレンガが砕けるぐらいの勢いでその囚人の後頭部に叩き落した。その後囚人は鞭で100回打たれ、ようやく去ることを許された。だがゲートはその囚人が回れ右をした瞬間拳銃を抜いて撃ち殺したのである。

大規模な虐殺も起こった。
ゲートは命令を受け1943年9月21日、収容所から3キロはなれた森の中に700人のユダヤ人囚人をトラックで輸送し、彼らを射殺した。

ゲートは殺した囚人の家族や親類も連座として皆殺しにするのだ。そのため反抗はほとんど起きなかった。誰もが自分の命に家族までもが連なっていると思うと最低限の抵抗すらできない。まさに狂気の暴君だが、出世して大喜びしたり、身近なユダヤ人の使用人や通訳には食糧を優遇したりヘマしても罰しなかったりするなど人間的側面もあったようだ。(そんなことは当たり前なのだが)

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ゲートは部下を冷遇し、直属の上司にはしょっちゅう楯突いていた。それでいて自分よりはるかに上層部の人間にはたくさんの賄賂を贈り気に入られていた。そうして数々の虐殺作戦と共に「活躍」を評価され、1943年7月にはSS-ハウプトシュトゥルムフューラー(SS大尉)に二階級特進する。これはヴィルヘルム・クリューガーSS-オーバーグルッペンフューラー(SS大将)やユリアン・シェルナーSS-オーバーフューラー(SS上級大佐)の推挙を受けてのことだった。

収容所でのゲートの権力は頂点に達し、贅沢三昧な司令官サマの身分を謳歌した。横領を続け私腹を肥やし財産も膨らんだ。だが1944年にプワシュフ収容所がSS経済管理本部の管轄化に置かれると、ゲートも傍若無人な振る舞いを続けるわけにも行かなくなった。そもそも赤軍の前線がますます近づいてくる中、プワシュフ収容所は存続の危険すらあった。つまり解体されるおそれが。

ゲートはどうにかしてプワシュフを存続させるべく手を尽くすが、部下にも上司にも嫌われていたゲートは、ついにコンラート・モルゲン判事によって逮捕される。囚人虐待と横領容疑である。モルゲンSS-オーバーシュトゥルムバンフューラー(SS中佐)は収容所での汚職や腐敗を是正すべくヒムラーの命を受けて独自の委員会を組織していた。こうして逮捕されたゲートは全ての権力を失いゲキヤセした。

戦後は囚人8000名の虐殺と2000人のクラクフでの処刑、その他もろもろの容疑で死刑判決を受ける。1946年自らが破壊したクラクフで処刑される。何度も絞首をやりなおされながら緩慢に処刑され(それは復讐だった)、死体は火葬にされて灰は川に撒かれた。

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「シンドラーのリスト」。クラクフゲットー解体場面。名シーンである。


救出への道―シンドラーのリスト・真実の歴史
http://www.deathcamps.org/occupation/goeth.html

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