”メランコリア” 鬱病者のみる心地よい夢

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melancholia-05112011[1]
ラース・フォントリアーの新作だ。毎回毎回生々しい手振れカメラで陰鬱な物語をつむぐ監督だが、このシトはリアルのうつ病。今回の作品はうつ病復帰後2作目ということになるが、テーマは世界の終わり、人類の絶滅。終末の時・・
※2012年ごろ書いた記事です

病的なキ×ガイ映像が連ねられるのかと少し不安でしたが、大変美しい映像のオンパレードでおおむね満足しました。

この話は監督がうつ病であるということを考慮すれば、深い考察は必要ないのかもしれない。監督は死にたいのである。おそらくは。うつ病患者は病気の加減でそういう考えに取り付かれることがある。そう考えていくと主人公の言動やストーリーの要点もわかりやすいと言える。まあ元々難解な映画を作る人ではない。元々ストレートに歯に衣着せない映画を作るお人であったように思う。この世の誰もが目を背けたがる不条理に果敢に立ち向かってきた人だ。だからこそ心も疲れはてるのかもしれません。(推測ですよ)

話は単純で、うつ病のヒロイン、ジャスティン(スパイダーマンのヒロインだね)がめでたく結婚することになったが、うつ病ですからそんなにはじけられません。無理して笑顔振りまいて周りの人に気を使って疲れ果ててしまうだけ。旦那には逃げられ、上司にはむかついてディスって首にされるわ、家族にも呆れられる始末。結婚式当日に旦那が逃げるのにはもっと深い事情があったのかもしれないが、あまり劇中詳しい説明はない。

うつ病は悪化し、歩くことも何するのもままならない。お姉さんのクレアは心配でジャスティンを家に呼び寄せ、服の着脱を介護してまで風呂に入れようとするが「疲れて無理」と浴槽をまたぐことすらできない。

ここで軽く説明すると、うつ病は心の風邪だの誰でもかかるしすぐ治るなんて軽々しく言われるが、そう簡単なものでもない。うつ病は脳の病気である。気分が落ち込むとかは確かに主症状だが、それはただ単に嫌なことがあったからとかだけではなく、何か行動を起こす「発動性」という脳の機能が障害を受けるため、悪化すると文字通り指1本動かせなくなる。おれは見たことあるが本当にお地蔵様のように石のようにカチンコチンになってしまう。うつ病性昏迷という。意識がないように見えるが意識は清明で周囲の話す声なども聴こえているが、行動を起こす意欲が枯れはてている状態ということだ。

ジャスティンの症状はかなり重度のうつ病であることが推測され、おそらく監督の経験談ではないかと考えられる。リアルすぎるのだ。浴槽をまたげないというのは象徴的なシーンで、こんな程度のこともできなくなってしまうのがうつ病なのである。心の風邪だのカジュアルな表現で済む話ではない。うつ病は恐ろしい病気であり、本邦の自殺者の大半はうつ病またはうつ状態と推測されている。他人事ではない。

そんな重いうつ病に苦しむジャスティンだが、1つだけ希望がある。それは「メランコリア」と名づけられた美しい青い惑星がだんだん地球に近づいていることである。これはこの世界の人類の周知の事実のようで、クレアがメランコリアの予想軌道を図にしたウェブサイトをみて印刷するシーンがある。クレアはその惑星の接近におびえるが、ダスティンは惑星が近づくにつれて食欲を取り戻し風呂にも自分で入り見る見るうちにうつ病症状が改善されていく。
クレアにもジャスティンがメランコリアの到来を心待ちにしていることがわかる。
「あともう少しがんばれば全て終わりになる。自分はそれまでもう少しがんばればいい」と・・考えているかどうかは知らないが、おれの目にはそう見える。ダスティンはもうすぐ終末が訪れることが、生きる希望なのである。この歪んだ認知は、監督がうつ病に苦しむ中で醸成されていったものなのかもしれない。

ジャスティンは涙ながらにこう話す。「この地上の生物は邪悪よ」と。なぜ人類は滅びてはいけないのか?と。

この感性は正直理解しがたいが、ヤケクソになっているようにも見えない。熟考した末に辿りついた悟りが上の言葉のように見える。少なくともジャスティンはそう考えており、信念が揺らぐ様子はない。

クレアは我々観客サイドの目線で、接近してくるメランコリアに脅え、終末までの時間悪あがきをする等身大の人間を好演している。彼女の目線で徐々に接近してくるメランコリアは美しくおぞましい。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の旋律に乗ってクレアの視界いっぱいに広がる蒼いメランコリアの巨体は恐怖の一言。ボク自身映画館から逃げ出したくもなった。もういっそさっさとぶつかってくれよ!と思ってしまうほど、メランコリアの映像は美しいが禍々しい。

監督のキャラを考えれば、メランコリアがぶつからないですんでのところで地球が助かるなんてシナリオが用意されていないことは明らかであったし、もうテーマもよくわかったから最後まで観る必要を感じなかった。しかし終末の時まで結局目を離せず全部観てしまったのだが・・。大方の予想通り地球は手も足も出ないまま、メランコリアに蹂躙され消滅する。そして映画は終わりだ。

地球の破滅というマクロな現象を描いてはいるが、これはひたすらミニマムな個人の苦しい心のお話であろう。個人の精神的な苦痛を地球の破滅にまでつなげて映像化するとはなんともスケールがでかい。地上の生物は全て邪悪と言い切るジャスティンは真剣にアブない。しかし監督が人間の表面的な絆や友好を心底憎み、苦しんでいることは冒頭の披露宴のシーンから読み取ることができ、この映画のハイライトはこの披露宴のシーンなのだな、と思うこともできる。

おれも社会人としてやっていると表面上を取り繕うだけの中身なしの人間関係にうんざりしてくることが多々ある。かといって暖かい人間関係を望んでいるのかといわれたらそういうわけでもない。おれもいつかかるかわからないが、うつ病になったら医者に行きましょう。
Melancholia-[1]

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