“オテサーネク” 母性という名の狂気を皿まで舐め尽くす子供という名の怪物

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チェコのシュルレアリスムの映像作家ヤン・シュバンクマイエルの長編第四弾。共産主義政府の締め付けにより、自由な作品が撮れないという背景の元、旧共産圏では”わかりにくい映画”が発展して行く。

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まあそれと関係あるのかは知らないが、シュバンクマイエルジイさんのアニメーションは不気味で不可解で夢をみているかのような説明のつかないシーンが山ほどある。この映画もそんな映画だ。

チェコのおとぎ話「オテサーネク」を背景に作られているらしいのだが、そもそも元ネタを知らないと完全な理解は難しいかもしれない。

ストーリーは子供の生まれない夫婦が、子供欲しさから木の根っこで人間のような形のオブジェクトを家にもって帰り、それに衣服を着せミルクを与え、溺愛する。そのうち木の根っこは魂を宿し、目に付く生命体全てを食い殺してしまう。
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という話。まあおとぎ話には、よく考えたら残酷だよな、という話が多いものだが、これもよく考えたらけっこう残酷である。

だいたい、話はそんな話だけど、このシュバンクマイエルという爺さんは食い物をまずそうに描くことに関しては神がかった才能を持っており、何気ない食事の風景がひどくグロテスクなのだ。“グロテスクな食事の風景”というところでは本当にバリエーションに富んでおり、

例えばpica(=異食 食い物でないものを食う)、
例えばスカトロ(茶色のベトベトしたものをグチャグチャ音を立てて汚らしく食う)、
例えば口の中(咀嚼中の口の中をべちゃべちゃ音を立てながらどアップにする)、
例えば食事中のDV(飯時に親父が子供をどつくというのは食事をまずくする最もありふれた光景だ)
例えばカニバリズム(人肉食、またはそれを連想させる露骨なコマ割り)、
例えば不適切な食事方法(生で食う、煮たてすぎる、手掴みで食うなど)、
例えば食欲に目がくらんだ状態を露悪的に描く(舌を巨大化させて舌なめずりするアニメーションを挿入する)、

などなど。どの作品をみても結局食うことに関する病的な嫌悪が溢れんばかりにまろみでているのだ。この映画もそういったシーンが頻繁にあり、ストーリーなんかどうでもよくなってしまうグロテスクさだ。

なぜここまで食べることを嫌悪するのか?シュバンクマイエル自身は「小さい頃からなんとなく食べることが嫌いだった」と話している。

シュルレアリスムの巨匠というだけあって、その作風にはフロイトやユングの無意識的世界、つまり寝て見る夢のようなわけのわからない空気が感じられる。

これだけ童話をグロテスクに作り変えておいて、ストーリーはちゃんとおとぎ話通りに終わるのだからすごい。

子供が欲しい、愛を与えたいとの母の無限の愛と、その愛をことごとく食べ尽くしてもまだ足りないとヨダレを垂らすガキ。母性の狂気と子供という生き物の悪逆さを描いている。なんとも性格のひねくれた悪趣味な映画だ。

同時期に公開された映画に、行き場のない母性愛の悲哀を秀逸に描いていたダーレン・アロノフスキーの「レクイエムフォードリーム」がある。あれでも息子に自立され夫に先立たれ「お世話したい相手がいない老婆」の極限の孤独が描かれていた。

あまりの孤独に表面的な華やかさに簡単に魅入られ、悲しいほどあっさりと痩せ薬という名の麻薬を常用するようになる。そしてそれは二度とは戻れぬ狂気への旅。脳に刻まれた変化は永続的なもの。二度と正気の世界に戻ってはこれないのだ。

さて、そんなわけでこの映画も母性愛の危うさを描いているが、「オテサーネク」も同じ。母は人を食い殺す木の根っこを愛ゆえに見限ることができない。愛しい我が子を生かすために、他者の命を平気で犠牲にする。子供がほしい、子供の世話をしたいという根源的欲求は、普段野仏のように無欲な良妻さえ、人を食い殺す化け物に変えてしまうのだ。

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このおじいちゃんは変態!

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