”愛 アムール” 恐怖と狂気と苦痛と絶望 暗黒の介護生活

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やってきました。ミヒャエル・ハネケの新作。頑固一徹ネクララーメン。「愛、アムール」を観てきました。

※2013年3月に書いた記事です

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人間は悪くて醜い。臭くて汚い。そしてしばしば救い難い…。
そんな映画ばかり作っては目ん玉からゲロを大量噴射させて好事家を喜ばせていた。そんな監督がアカデミー賞外国語映画賞をとったという。。まさかハネケたんが、おれたちのハネケたんが感動大作を作ってしまったというのか…?権威になびいちまったのか…?
もうダダイストは卒業したのか…?

そんな心配を失礼ながらしてしまいました。単館上映が基本のハネケたんが近所で上映されてるし。。おれは複雑な気持ちで観に行った。前作「白いリボン」は銀座まで観に行ったというのに…。

タイトルも愛、アムールって…なんだよそれ!なんだそのトレビアーンな感じは!しかもテーマは夫婦愛だという。ケンカ売ってんのか?!と観る前から不満と心配ばかりしていました。まあ愛ゆえにです。大ファンなんでね。ちょっとぐらい言わせて欲しい。

だが上映された映画を観て一気にいつものネクララーメン…いやそれ以上のネクララーメンであることがすぐわかりました。また冒頭の引き込みが見事なんだこりが。。考えてみればこの監督がネクラでなかったことが一度でもあったであろうか?本当に失礼しました。言うことなしのいつものネクララーメンでした。

老夫婦がいる。マジの老夫婦だ。80代ぐらいに見える。仲睦まじく平和に暮らしていた。そんなある日妻は発作を起こし、半身不随に。右片麻痺だ。右側の手と足が動かなくなったのである。

ところでおれの話だが、おれは特別養護老人ホームで働いている機能訓練指導員である。こういう片麻痺者の生活指導やリハビリが専門中の専門である。モノホンの片麻痺者を毎日毎日来る日も来る日も相手にして、それで生計を立てている。本物を毎日みているおれとしては、この妻の麻痺描写には違和感爆発であった。右の手と足が全く動かないほどなのに、体幹、つまりボディに麻痺の影響が感じられない。認知障害もない。脳神経の麻痺もない。何言ってんだかわからなくてもいいが、こういったケースは稀であることは言っておきたい。どんな病気なのか、劇中詳しい説明はないから、普通の臨床像を当てはめることはできないのかもしれんが、脳血管障害でこういった形で右の手と足だけ麻痺するというケースは稀だと言っておきたい。普通は胴体や顔や頚部にも広汎に麻痺が出現し、座っていることすらできなくなってしまう。そしてそこまでの麻痺なら血管性の認知症も併発することが多い。構音障害も出現するかも。だが、劇中奥様は手と足の麻痺以外は全て正常なのだね。

そこで老老介護の生活が始まるのだが、このおじいちゃんは完全に介護テクニックに関して素人である。ちょっとかじった人がみればありえない間違ったやり方で介護している。こうした間違った方法が介護者、障害者双方に大きな負担をかけることは言うまでもない。徹頭徹尾間違ったやり方でやっているのである。これはかけてもいいが監督はわざとやっているのだ。この老いた夫婦が専門家の支援を全く受けずに社会から孤立しているということを表現しているのだろう。誰にも助けてもらえず辛い日々が続く。だが妻は二度と入院はさせないで欲しいと夫に頼む。夫は約束し、自分で面倒を見るのだ。

家族やかつての知り合いも訪ねてくるが、心配はしてくれているけど特に具体的な援助はしてくれない。気の毒がるだけだ。なぜ入院させないのかとか勝手なことを言う。症状の落ち着いた片麻痺者が病院から追い出されるのは日本でも常識である。これは知っておいたほうがいい。病院や医者は助けてくれません。これは残念ながら事実です。それを思えばこの家族の無責任な助言は腹立たしいもので、劇中おじいちゃんも本当に怒っていました。周囲の無理解が強調されています。

そうこうしているうちに二度目の発作が起きます。今度の発作は凄まじかった。おれが上で言ったようなこと、監督はとっくにわかっていたのである。わかっててやってたのだね。今度の発作はおれが上で懸念したようなことは全て網羅した障害をあとに残した。すなわち頭は呆け、体幹は麻痺し、脳神経麻痺による構音障害でうまく言葉がしゃべれず、ものを飲み込むとムセてしまう。寝たきり生活で起き上がることもできない。痛い痛いと一日中大声を出し続ける。排泄はオムツ。風呂は命がけ。悪夢の介護生活である。これこそがおれの毎日みている光景だ。こんな人ばかりである。日本にはこう言った高齢者が数百万人いるのだ。

妻が呻く。
人生は素晴らしいが長すぎると。

我々に何が言えるというだろう。

夫は妻を愛しているから介護を続ける。優しく。献身的に。
だが、闇が心を蝕んでゆき、最後には…
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という映画であるが、ラストはまさに絶句だ。いつも急にこういう驚愕シーンを入れてくるがこれは監督の趣味だろう。固定カメラの長まわしも相変わらずで、無音のエンドロールもいつものハネケ。もう絶句するしかないのだが、夫の献身的な介護ぶりは涙なしには見れない。もうヒックヒック泣ける。だがそこで気持ちよくなって帰ってもらうことなど、ハネケたんは許せなかったのだろう。涙が一気に引っ込む仕掛けが最後に残されている。それが何かはネタバレしないが、あまりにもひどいものである。だが、周囲の助けがあれば救えただろうか?といえば、それは否である。本当にこの奥様を理解した真実の介護ができるのは夫たるおじいちゃんだけである。その介護のテクニックは適当かもしれない。しかし、それでも奥様を介護できるのはおじいちゃんだけ。そこに愛がなければ介護なんぞできない。タイトルの意味もいきてくる。だからこの話にこうすれば良かったのに、ああすれば良かったのに、といった救いや答えは用意されていない。

美しい愛が幸せ、とかいう既存の価値観にまたしても中指突っ込んでクソ流し込んできたハネケ監督。感動してんじゃあねえよ!美しい話??バカ言ってんじゃあねえこのビチグソがああ!最後どうなるかよくみとけこの日和見がぁぁ…という声が聞こえてくるかのよう。感動だけして気持ち良くなって帰ってもらおうだなんて絶対に許さないぜ。他者からみれば感動的に見えたかもしれないが、老夫婦にとっちゃそんな言葉は無意味なの!とタダイストのハネケたんなら言うだろう。まあおれの妄想かもしれないが(笑)。そういう主張がなければラストをああいう風にする意味はないのではないか?そう思うのである。

ハネケファンの人にとってはいつものハネケ監督である。安心して観れる。必見だ。ハネケを知らない人はちょっと様子をみた方がいいかもね。映画館で絶句して無言で帰って行くシニアな観客の後ろ姿。泣けました。

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