第三帝国極悪伝説07 パウル・ブローベル

シェアする


パウル・ブローベル

Paul Blobel

「バビ・ヤールの大虐殺」主犯

paul

所属:アインザッツグルッペンC、ゾンダーコマンド4a
出身:ドイツ、ポツダム
階級:SS大佐(SS-Standartenführer =シュタンダルテンフューラー)
罪状:キエフ、バビ・ヤールの大虐殺を指揮・実行。2日間で33771人の女子供を問わないユダヤ人・ウクライナ人・共産党員・ジプシー・ロマ、精神障害者の虐殺に関与

皆さんは「慈しみの女神たち 」という小説をご存知だろうか?ナチ親衛隊将校オーバーシュトゥルムバンフューラー(中佐)、マクシミリアン・アウエ博士の視点で地獄の東部戦線を劇小説化しているこの怪作は、上下二段改行ほぼなしの小さな字でぎっしりと1000ページぐらいあるとんでもない小説である。しかし完成度は半端なく、資料を丹念に読み解き歴史的事実にのっとった的確な運びでナチが巻き起こしたこの世の地獄・暗黒世界を忠実に表現して見せた。化け物じみたフランス小説で、最近日本語化されたので好きなヒトは是非おさえてほしい。この星の話とは思えません。そんな小説ではあるが、最初、主人公のアウエSS中尉(=オーバーシュトゥルムフューラー)はこのパウル・ブローベルが率いるゾンダーコマンド4aに所属している。つまりこのブローベルが上司なわけだが、物語の第一段階はウクライナ、キエフにおけるユダヤ人の大量虐殺が起こったという史実にのっとって話が進む。この小説はフィクションと言えばそうなのだが、200人以上の実在したSS将校が登場するということでかなり決め細やかに作られている。小説の後ろの方には訳注がのっていて、いちいち言葉の説明や解説・人名・地名事典の様相を呈していて、訳注を読んでいるだけで日が暮れてしまうという困った小説である。上下あわせて9000円ぐらいするので普通のヒトはまず買わないだろうが、ボクは大好きな作品です。

今回は「慈しみの女神たち」で最初アウエの上司として登場するパウル・ブローベルをとりあげる。この男はバビ・ヤール渓谷というキエフ市街中心地から北西約3キロにある、峡谷状の地形の土地で、2日間で33771人のユダヤ人・ウクライナ人・共産党員が虐殺された事件に責任を負っている。

1894年、8月13日にドイツ、ポツダムで出生。第一次世界大戦に従軍し、戦後は建築を学んで31年まで建築関係の仕事をしていた。しかしその後職を失いナチ党へ入党。親衛隊に入隊する。1934年からSDに所属し、対ソ連侵攻作戦「バルバロッサ」の発動と共にアインザッツグルッペ(=特別出動集団)Cの指揮下のゾンダーコマンド(SonderKommando=特務部隊)4a(以下sk4a)の指導者となる。

1941年9月、sk4aは南方軍集団についてキエフに入城。キエフでは赤軍が撤退時に大量の爆薬を設置していったため、各所で爆発が起こりドイツ軍は大混乱に陥った。しかしこのこのことが口実を与え、キエフにまだ6万人いると目されていたユダヤ人の皆殺し作戦のきっかけを与えることになる。当時のドイツ軍の感覚ではパルチザン=共産党員=ユダヤ人であり、これらをイコールで結ぶことにためらいを見せる者は殆どいなかったという。

東国および北ロシアHSSPF(上級SS兼警察指導者)、フリードリヒ・イエッケルンSS大将などが計画・立案したこのバビ・ヤールの大虐殺では、実行は主にsk4aに割り当てられた。彼の部隊に加え、現地のウクライナ警察、武装親衛隊、治安警察部隊などから処刑人を募った。

キエフに住む全ユダヤ人を対象にビラを貼りだし、一箇所に集合するよう命令を出した。その命令に従わないものは銃殺するとの脅しが書いてあった。この馬鹿馬鹿しいビラにキエフのユダヤ人3万人以上が集まり、物品を略奪され、衣服を脱がされ、バビ・ヤール渓谷まで歩かされた。そして処刑場まで着くと少人数のグループに分けられ地面に横たわるように命令された。その後銃殺班が哀れな犠牲者を処刑する。そして死体が何とか隠れる程度に土をかぶせ、また別のグループを呼び出して銃殺する。・・・・この手順が繰り返された。延々と。年輩の男女、若者と子供、赤ん坊を抱いた母親・・全く区別はなかった。

yar

yar1

yar3

この虐殺の数少ない生存者の一人、リュドミラ・シャイラ・ポリシュチュクはその時のことをこうふりかえる。
「母と私は集合場所に連れて行かれました。私が泣き出すと母は私の両手をとってこう言いました。『いい子ね、泣いてはダメよ。二人とも殺されてしまうわ。あなたが静かにしていたら、もしかして助かるかもしれないわ』射撃班が銃を撃つ前に、母が私を抱いて穴の中へ身を投げたのです。母は私の上へ覆いかぶさりました。特殊部隊が私たちの上へ死体をどんどんかぶせ始めました。それからまた別の集団を射殺しました。母は自分の身体の下で私が窒息しそうなのを感じ取り、私の首を両の拳で支えてくれました。血の海の中で私がおぼれ死なないようにと。兵隊がやってきて生存者を捜している物音が聞こえました。幸運なことに、一人の兵隊が母の身体の上に立っていました。その兵隊は隣に倒れている負傷者を刺し殺したのですが。やがて兵隊たちが行ってしまうと、母は朦朧とした意識で私を引きずり出し、抱きかかえて逃げました。・・後略」

殺す処刑人の心理的負担もとてつもないものだった。この処刑は1時間やってまた1時間休むといった具合に交代制であった。酒はいくらでも飲めたという。
「今でも覚えています。墓穴の縁に連れてこられたユダヤ人たちが、穴の底の死体を見下ろしてどんなに驚愕していたかを。・・・穴の底でこうした汚れ仕事をすることに、どれほどの精神力が必要か、想像もできないでしょう。おぞましいかぎりでした。」
sk4a隊員、クルト・ヴェルナーの証言

パウル・ブローベル自身もしばしばストレスによる過度の飲酒により任務遂行が困難になっていた。彼はナチ指導部より呵責ない行動力、忠誠心、人種イデオロギーに対する無条件の服従、指導者としてのずば抜けた資質、精力的な人間と評価されていた。ブローベルの命令でsk4aは6万人を殺したという。彼は信念を持って虐殺を行っていたという証言もある。この残酷な殺戮はドイツ民族のために行っているのだと。そんな「熱烈なナチ」であっても虐殺の心理的負担は耐えがたいものであった。銃殺班の中には自殺者も数名出たという。

任務を解かれたわずか5ヵ月後、彼は1005分遣隊という特殊部隊を率い、虐殺の証拠隠滅作業に従事した。死体を掘り返しガソリンをかけて焼き、骨を特殊な臼で粉にした。SS隊員として安定を取り戻していたブローベルはこの任務もやりとげてしまう。

終戦後、ニュルンベルク裁判にかけられたブローベルは「人道に対する罪」により死刑判決を受ける。最期まで彼は後悔の念を示さず、被害者よりも加害者に同情を寄せていたという。


慈しみの女神たち
髑髏の結社 SSの歴史 上下
ナチ親衛隊知識人の肖像
ナチスの知識人部隊
ヒトラーの親衛隊
http://ww2gravestone.com/general/blobel-paul
http://www.holocaustresearchproject.org/einsatz/blobeltest.html
http://www.zchor.org/BABIYAR.HTM